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ネコ-5-
ソファに座りテレビを観ていると、トイレから出た志波はそのまま洗面所へ向かった。
少しして戻った志波の前髪は水滴を滴り落としていた。
顔を洗って頭を冷やしたのだろうか。
先程までの熱は失われたようで、妙に暗い。
気まずいのか俺と距離を取るようにベッドの端に志波は座り、こちらを見ようともしない。
何だこれ。初エッチ失敗したカップルみたいな空気。
いたたまれない。勘弁してくれ。
重苦しい空気を払拭しようと声を掛ける。
「志波。お前腹減ってねーのか?」
「胃がまだ気持ち悪いから、要らない」
「スープくらいは飲めるだろ?」
「要らないと言っているだろ」
「匂いを嗅いだら腹減るかもしれないだろ。一応頼んでおくな」
リモコンを使って注文する俺を止める為か一瞬だけ志波はこっちを見たが、直ぐに視線を自分の手元に戻してしまった。
そして再び沈黙到来。
垂れ流したままの見放題映画が熱烈なラブシーンなのが辛い。
むちゅむちゅとこれでもかってほど濃厚なキスの音が重い空気を更に重くする為、空気の浄化も兼ねてアニメ映画に切り替える。
少年探偵もののそれが始まって直ぐにインターフォンが鳴り、玄関へ注文の品を取りに行った。
「志波、来たから一緒に食おうぜ」
「僕は……」
「いいから来いって」
食いもんの乗ったトレーをテーブルに置き、ソファーに座ると手招きした。
「早く」
志波はしぶしぶソファに近寄ってきたが、座る事はせずにしかめっ面で立ったままだった。
「座れよ」
隣の空いている空間を叩いて催促すると、不本意と言わんばかりの顔で隣に座った。
「どっち食えそうだ?」
「大黒が要らない方でいい」
「バーカ。俺はお前が食い残したもんを食う残飯処理係なの。どっちがいいとか無いんだよ」
さっさと食えとせっつくと志波は渋い表情のままたまごスープを手に取り啜った。
何口かスープを飲むと食欲を刺激されたのか、軽い物なら食べられるだろうと頼んでおいたサンドイッチに手を伸ばし、もそもそと食べ始めた。
「なぁ、志波。公園の男とはどういう経緯で知り合ったんだ?」
『君には関係ないだろうと』噛み付かれると思ったが、飯を食い気が緩んだらしく志波は素直に答えた。
「ネットの掲示板で知り合ったんだ」
「ふぅん」
「何時も親身になって相談に乗ってくれていて、一度会って話をしないかって誘われて…それで……」
「あの公園に行ったのか?」
「違う。最初はカフェで待ち合わせてて、コーヒー飲みながら話してそのうち一緒に食事する事になって、近道だからって公園を通る事になって、そのうち具合が悪くなって……」
なるほど。
完全に嵌められているじゃねーか。間抜けめ。
「志波。お前弱いんだから簡単に知らない奴に付いて行くんじゃねーよ」
「簡単じゃない。僕だって考えた。悩んで、それで勇気を振り絞って会いに行ったんだ」
「結果アレじゃ意味ねーだろーが」
言い返そうと睨むものの返す言葉がなく、押し黙る。
「事件になっていないだけで強姦も傷害事件もそこらに転がっているもんなんだよ。自分だけは大丈夫とか無 ーんだよ」
「そんなの分かっている」
「分かっているならもっと気を付けろよ。今日は偶々俺が居合わせたから良かったが、そうじゃなかったからクソみたいな目に遭わされていたんだからな」
今更ながら男に犯されていたかもしれない現実に、志波は顔を青くし表情を凍らせた。
「相談くらいなら幾らでも乗ってやるから、変な奴に会おうとするな」
「き、君に……僕の相談役が務まるとは思えないが」
身に起こったかもしれない事件にショックを受けながらも、減らず口は健在だ。
声は何時もより大分弱々しいが。
「話す相手がいるだけでも全然違うぞ」
志波の目が「それだけか」と言っている。
仕方ないだろう。男同士の恋愛なんて未知の世界なんだから。
聞いて貰えるだけ有難く思え!
「不満なのかよ」
「別に。元より君に過度な期待なんかしていないよ」
溜息を吐かれた。
何つーか。
スゲーむかつくんですけど!
ミルキーブラウン色の頭にチョップを叩き込むかどうかを思案していると、志波は財布から千円札を取り出した。
「何だ?」
「これは助けてもらった対価だ」
単価は中坊の頃のままのようで、一枚だけデーブルに置かれた。
「これは服を汚してしまった侘びだ」
千円が重ねられる。
「それとこれは気持ち悪く思っていない証明の対価だ」
三枚目の千円。そして四枚目の千円が続けて置かれる。
「これは……」
失言に対する侘びか?
「慰めの対価だ」
は?
慰めって……。
「キスが出来たんだ。抱きしめるくらい出来るだろう?」
あん?
「早くしろ!」
不機嫌な声に命令口調。苛立たし気な表情に、何様だコノヤロウと額に青筋が立ちかけるが、膝上に置かれた志波の手が小刻みに震えているのを見て、腹立たしい気持ちが何処かへ失せた。
苛立っているのではなく、襲われた時の事を思い出して緊張で表情が硬くなっているだけなのだ。
声や言葉がキツイのはあふれそうな感情を抑えるのに必死だからだ。
怖かったと素直に甘えられるような人間 じゃないよな。お前。
中学時代にやせ我慢ばかりしていた姿を思い出し、口元が綻ぶ。
本当に変わっていないな。
そっと抱き寄せると志波は一瞬身体を緊張させたが、あやすように頭を撫でてやると俺の胸の中でボロボロと泣いた。
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