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ネコの視点-4-※

 息苦しい実家で生活を数日間堪えた僕は、大学近くのワンルームマンションで一人暮らしを始めた。  行動を管理監視する母も、ルール厳守と口煩く言う寮長も、僕の都合などお構い無しに訪ねて来る鷲山も居ない十一畳の部屋は静かだった。  外の雑音に苛立ちを覚える程に。  部屋に娯楽用品の類は無く、例え有ったとしても楽しみ方を知らない僕にそれらを使って時間を潰す術は無く、ただぼんやりと窓の景色を見続ける。  車や人の行きかう姿を見ていると、男女が寄り添いながら歩く姿に、あの日の光景が蘇る。  見ず知らずの人間を見るように冷たい眼差しの大黒。  その隣に当たり前のように並び立つ女性。  違和感の無い二人の姿に気持ち悪さを感じ、それを消し去る為に大学入学祝に買ってもらったパソコンでクラッシック音楽を掛け、本棚から参考書を引っ張り出す。  一心不乱に参考書の文字を辿って行くが、ほんの一瞬集中を途切れさせると二人の姿が脳裏に浮かび、心が乱される。  自分の物だと主張するように大黒の腕に巻きついていた女性の手に怒りを覚え。  女性と付き合っている事から大黒と自分は違うのだと、気落ちする。  映像を消し去ろうと必死に参考書を読み込むが、映像は消えては浮かびを繰り返し、心を掻き毟り続けた。  大学が始まるまでの数日間部屋に引き篭もり、嫌な映像を思い出しては消すを繰り返し、すっかり心が疲弊していた。  何をしても心機一転出来るとは思わないが、少しでも気分転換が出来ればと身形を調える事にした。  入学前に生活費として振り込まれた金を下ろし美容室に行くと色をミルキーブラウンに染め、顔全体を覆っていた伸ばしたままの髪を短く切ると、髪型に合わせ眼鏡も新しく購入した。  髪の色が明るくなり、眼鏡のフレームを黒から赤に変えても精神的な作用は無く、ただ溜息が零れるだけだった。  入学式当日。  母がオーダーメイドで用意してくれていたスーツを着て行くと、会場で無遠慮な視線とひそひそ話しをされ、中学時代の記憶が思い出され、気が重くなった。  式が終わり、会場を出て直ぐに式参加者の女性二人組に「この後予定ありますか?」と問われ、何故見ず知らずの人間にそんな質問をされるのか分からない僕は「急いでいる」と断りを入れ、足早にその場を去った。  大学に通い始めて男女問わず色々な人間から声をかけられた。  名前に始まり専攻学科、どのサークルに入るのか、趣味は何か、携帯の番号やメールアドレス、その他色々質問されたが良く知りもしない人間に個人情報を教えるのに不安を感じ「教える義務はない」と全て断った。  登校すれば誰かに声をかけられる。  そんな煩わしい日々を送り大学生活にも慣れて来た頃、鷲山の名刺を思い出した。  精神的に落ち着いている今なら電話をしても問題ないだろうとその日の夕方に大学に設置されている公衆電話からかける。何度か呼び出し音が繰り返されると、何時もの暢気な声が応答した。  名前を名乗ると鷲山は嬉しそうな声で「元気か?」と訊ね、そして何時ものように一方的に話し出した。  入学してから今日までの鬼の様な猛練習の内容に、正直興味は無かったが、鷲山の話しを聞くのは嫌いではなかったので、黙って耳を傾けていると投下したコイン分の時間が過ぎ、強制的に通話が切られた。  話の途中だったが、かけ直すのも何だと今日の分の無駄話しは終了とした。  翌日同じような時間に鷲山の携帯に掛け、謝罪すると「志波らしい」と何故か笑われた。  昨日の失敗を踏まえて公衆電話から掛けている為に何時切れるか分からない事。それが話しの途中でも掛け直しはしないと説明した。  鷲山は「分かった」と了承すると昨日とは違う話を始めた。  毎日公衆電話から掛けるのは経済的に厳しい為、週に一回だけ掛けた。  毎週毎週鷲山のくだらない話しを聞く度に大学で声を掛けてくる人間に感じる不愉快な気持ちが和らぎ、ふとした瞬間に思い出す大黒とその恋人との映像でささくれ立つ気持ちも落ち着く様な気がした。  鷲山に電話を掛ける様になって三ヶ月が過ぎた時。  何時もの様に鷲山の内容の無い話しを聞いていると、その話しは唐突に始まった。 「実は大学の柔道部の先輩の一人がホモらしくってな」  突如耳に入った単語に息を呑んだ。 「その話を聞くまでは特に気にならなかった寝技の練習を意識してしまって、正直困っている」  困っていると言ってはいるが声の調子は明るい。  鷲山にとってただの笑い話しなのだろうが、僕にとってはそうではなかった。  平静を装い相槌を打ちながら何故こんな話しをされているのか。  どう返すのが正解なのかを考える。  焦りからか心臓は早鐘を打ち、その所為か思考は纏まらない。  早くこの話題を終わらせようと、頭に浮かんだ言葉をそのまま伝えた。 「迷惑しているんだな」 「迷惑と言うほどの事はされていない。だが、正直理解は出来ないな」  鷲山の答えにガンと殴られた様な気がした。  心の何処かで鷲山なら理解を示してくれるんじゃないかと勝手に期待していたのだ。  そんな訳はないのに……。  打ち明けるなんてバカなマネをしなくて良かったと安堵すると同時に、胸は重く沈んで行く。  これまで心を穏やかにしてくれていた鷲山の声を聞いているのが辛くなり、初めて自主的に電話を切った。  記憶にこびり付いた嫌な映像を思い出さないように、鷲山の優しい声を忘れる為に勉強に読書に没頭した。  相変わらず大学では声を掛けてくる人間は居たが、大黒と鷲山という存在を失った僕は他人と馴れ合う気にはなれず、全ての声を拒絶した。  家、学校、図書館、そしてその日の気分で入る飲食店。  判で押したような毎日をただ繰り返している。  やりたい事はない。  行きたい場所はない。  誰にも何に対しても興味が持てない。  空っぽな一日がただ過ぎて行くだけだった。  その日も取り立てて食べたい物も無く、適当な店に入った。  メニューを選ぶのも面倒で店長おススメと書かれたセットを注文し、読書をしながら待っていると店員が商品を持って現れた。  本から目を上げ店員を見て、ギクリとした。  顔のパーツは何処と無く似ている程度だが、全体的な雰囲気が大黒を彷彿させた。  もしや兄弟か何かかもしれないと胸に付けられたネームプレートを確認するが、名前は『最野《さいの》』と書かれていた。  他人のそら似かと再び凝視すると、店員と目が合い、僕は慌てて目の前に置かれたセットメニューに視線を落とし、食事を始めた。 「ごゆっくりどうぞ」  店員がテーブルから離れるのを横目で伺い、立ち去る背中を見詰め続けた。  その日から三日置きにその店に通うようになった。  フロアスタッフの正確な数は分からないが、最低でも三人は居るだろう。  席へ案内する店員や水を運んでくる店員は毎回ばらばらなのに商品を運んでくる店員は決まって最野だった。  偶々か、配膳する係りが決まっているのだろうと気にしていなかったが、ある日注文した商品と共にメモ用紙が置かれ、見てみると『もう直ぐあがりだから外で待っててくれ』と書かれていた。  意味が分からず顔を上げると最野はテーブルを離れ、何処かへ消えていた。  一方的な待ち合わせに応える義務など無い。  無視して帰るべきだと分かっているのに、何故か外で最野が現れるのを待ってしまった。  少しして私服姿の最野が店の裏手から現れ、並び立つとあの日の大黒と対峙している様な錯覚を覚えた。 「待っててくれたんだ」 「待てと言ったのは君だろう。一体僕に何の用だ?」  つっけんどんな態度で言うと、最野は人好きする笑顔で僕の肩に腕を回した。 「馴れ馴れしくしないでくれ。迷惑だ!」 「そうツンツンしないでさ。直ぐそこに行きつけの店があるんだ。全室個室でゆっくり出来るからそこで話そう」  力強い腕に肩をホールドされ、半強制的に歩かされる。 「待て! 僕は行くとは言っていない!」 「まぁまぁ。直ぐそこだから、ね」  最野に連れ込まれた店は和風な作りの庶民的な飲み屋だった。  最野の言う通り、通された席は他の席と完全に仕切られ、声は多少聞こえるが何を話しているかまでは分からない。 「こんな所に連れて来て一体何の用だと言うんだ」 「まぁまぁ。それはとりあえず注文した(もの)が来てからにしよう。話しが中断されると気持ち悪いからな」  最野は自己紹介をし、次いで僕にも自己紹介を求めたが、何時ものように応える義務はないと断った。  少しすると最野が勝手に注文した料理と飲み物が運ばれ、店員が室内から出たのを皮切りに最野は質問をした。 「あんたこっち側の人間だろう?」 「こっちが何を指しているのかが分からない」  うそぶいて見せると対面席に座っていた最野は僕の隣の席に移動して来た。  太腿に最野の大きくて熱い手が置かれ戸惑っていると、するりと太腿の内側へ手を這わされ身が竦んだ。 「こっち側だろ?」 「ちっ…ちがっ…」 「嘘吐かなくていい。不思議なもんで同類同士は分かるんだよ」 「違う…」 「違う? あんなに物欲しそうな顔で見ていて?」 「し…知り合いに似ていたから…見ていただけだ」 「へー。なら、その知り合いの事が好きなんだな」  僕が大黒の事を……?  ありえないと首を横に振る。 「その割りにこっちは確り反応しているけど?」 「た…ただの生理現象だ」  太腿を撫でられただけで硬くなり始めたそこを最野の目から隠そうと身を捩るが、太腿を撫でる手は離れるどころか核心部分をやんわりと握り込んだ。  身を強張らせると最野は覆い被さるようにして耳元で囁いた。 「自分で言うのもなんだけど、俺上手いよ」  ズボンの上からソコを擦られ、困惑と恐怖で混乱する。 「や…止め…!」 「あんまり大きな声出すと、誰か来るかもしれないな」 「やっ…」 「大丈夫。こんな所で最後までしないから。ちょっと気持ち良くなるだけだって」  不思議と最野には相手を従わせるような雰囲気がある。  こんな痴漢まがいの行為は殴ってでも止めさせるべきだと分かっている。  だと言うのに、最野の手に嫌悪感は無く成すがままになってしまう。  ――気持ちいい。  このまま身を委ねてしまってもいいのではないかと、浅ましい自分が顔を覗かせる。  与えられる快感をそのまま受け、この場の異様な空気に流されて行く……。  だが、最野がズボンのファスナーに手を掛け引き下ろそうとした瞬間。  ハッと、我に返った僕は慌ててテーブルの上のグラスを手に取るとそのまま中の水を最野に浴びせ、最野が怯んだ隙に急いでテーブルの隅に設置されている呼び出しボタンを連打した。 「退け。人が来るぞ!」  最野は怒鳴り散らすようなまねはせず、肩を竦めるとそのまま大人しく最初に座っていた席に戻り、僕は財布から千円を取り出すとテーブルに置いた。 「失礼する」  逃げるようにして個室を出るが、最野は引き止める事も追って来る事もしなかった。  足を縺れさせながら店を出ると、そのまま歩いて帰ろうとするが上手く歩けず、仕方なしにタクシーを拾いマンションに戻った。  震える手で鍵を開けると逃げ込むようにして中へ入り、後ろ手で鍵を閉めた。  靴を脱ぎ捨て床を這うようにして部屋に辿り着くとそのままその場に蹲った。  実家では母の目が気になって自慰をした事は無く、高校の寮では男性同士のアダルトDVDを見た時とその後何度かしただけだ。  性欲は薄く、自分ですら滅多に触れないソコを他人に触れられた事に驚き、興奮している。  ドクドクと脈打つソコは熱を増すばかりで、一向に治まる気配が無い。  好きどころか良く知りもしない相手に触られ勃たせている自分を恥ずかしく思いながらも、ソコに手を伸ばす。  不慣れな手つきで自身を慰めていると昔見た男同士のアダルトDVDの映像が頭に浮かんだ。  何度注意しても態度を改めない生徒に教師がお仕置きするという内容。  うろ覚えで顔も思い出せない教師役の男の貶めの言葉を思い出し、扱く。 『お前は誰に触られても感じる淫乱なのか?』 「違う……」 『お仕置きだというのに嬉しそうに先走りダラダラ垂らして悪い子だな』 「ごめんなさい…先生…」  記憶の中の教師は何時の間にか最野へと変わり……。 『バツとしてコレを自分で入れて見せろ』 「そんな…無理……」 『いいから入れろよ。志波』  そして、教師の姿は最野から大黒へと変わっていた。  ドクドクと煩いくらい早鐘を打つ心臓。  甘く痺れる下腹部にソコを擦り上げる速度が増す。 『イきたいか?』 「イきたい……大黒……」 『見ててやるから一人でイって見せろよ』 「大黒…大黒…」  大黒に見られている。  自慰しているいやらしい姿を見られている。  そう思うと堪らなくなり、質量を増したソコが手の中でビクビクと跳ね上がる。  背筋を痺れさせる射精感に身体を震わせた次の瞬間、手の中に熱い欲望を吐き出していた。  興奮冷めやらぬ身体はまだ欲を吐き出し続け、残り全てを搾り出すように擦ると、手の平の白濁とした思いを見詰め泣きたい気持ちになった。 「大黒…僕は…」  気付いたところで報われる事の無い感情に絶望し、僕は床に崩れた。

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