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ネコの視点-7-

 何処をどうやって歩いてきたのか、気付けば荷物を預けていた駅のコインロッカー前に立っていた。  預けていた勉強道具入りの鞄を取り出し、ホテルから持ち帰った指輪の箱をしまった。  本当なら今直ぐにでも大黒に連絡して返すべきだと分かっている。  だが、大黒の幸せを壊したくないと思う反面、僕のものにならないのなら誰のものにもならないで欲しいと思い願ってしまう。  己の心の卑しさに重い溜息が零れた。  何で大黒と再び出会ってしまったのだろう?  何で昨日助けに現れたのが大黒だったのだろう?  見ず知らずの人間ならその場で礼を言って終わりだったのに。  大黒だったからこんな事になった。  もし、神様とやらがいるなら聞きたい。  何故、諦めていた恋情を揺さぶるようなまねをするのかと。  望みがないのなら会いたくなどなかったのに。  そんな事を思いながら歩いていると図書館に辿り着いた。  中に入り適当な本を取ると設置されている読書コーナーへ行き、窓際の一番奥にある席に座った。  余計な事を考えたくない時は何かに意識を集中させればいい。  本を開き、必死に文字を追っていくが、ふとした瞬間に大黒の力強い瞳を思い出し、集中が途切れる。 二度と映る事のない瞳に映り、志波隼人だと認識され、一生触れる事の出来ない唇に触れ、抱きしめられた。  昨夜の事が怒涛の如く頭に浮かび、身体が熱を増す。  ドキドキと胸が早鐘を打ち始める。  だが、次の瞬間。指輪の存在を思い出し、一気に心と身体が冷めて行くのがわかった。  溢れ出しそうになる感情を溶かしたかのような涙が零れそうになり、本を傷めては申し訳ないとそっと目元を袖で覆った。  図書館を出た後、気分転換になればと街を適当にふら付いてみたが、何処へ行っても大黒の事を思い出し、その度に涙が溢れた。  夕方になる頃には瞼はすっかり腫れ上がり、店の窓ガラスに映る自分の姿の酷さに笑いが込み上げた程だった。  失恋話を肴に同じ傷みに打ちひしがれる同士と慰めあえば少しは気が紛れるだろうかと、電車を乗り継いで行き付けのゲイバーに向かい、店に入ると万年失恋中の常連客である数人に顔の酷さを心配され「失恋には酒だ!」「今日は奢りだ!」と常連客が僕の肩を抱き、一晩中それぞれの失恋話を肴に飲み明かした。  店が閉店時間となり、帰る場所のない僕は覚束ない足取りで昨日入会した所と同系列のネットカフェに入店すると、薄い仕切りで囲われた部屋に入った。  アルコールに侵食された脳はふわふわグルグルと色々な感覚を鈍らせてくれる。  余計な事を考える事も、思い出す事もせずにすむ。  きっと大黒の夢など見ない。  頼むから現れてくれるなと、そっと涙を零しゆったりとしたライニングチェアで眠りについた。  アルコールのおかげでか大黒の夢は見なかった。  その代償に起きてからずっと吐き気と頭痛に襲われ、気分は最悪だ。  ネットカフェに備え付けられているシャワールームでバーでの移り香を流すと近くのドラックストアで二日酔いの薬を購入し飲むが、直ぐにどうにかなるものでもない。  酷い体調のまま一日を過ごし、夜になると昨日と同じゲイバーへと足を向けた。  自由に使える金は子供の頃から使わずに溜めていたお年玉と中学以降に母から貰っていたお小遣いの残りを貯金した物だ。勘当され、正直明日をも知れぬ身だ。計画的に使わないといけないと分かっている。  だが、誰かと話ながら飲めば大黒の事を思い出さずにすむ。  今の僕にはこれが必要なのだと自分に言い訳をし、その日も閉店まで飲み続けた。  三日連続で通い、浴びるほど飲んでは店のトイレで吐き崩れている姿に一緒に飲んでいた同士達から心配され「失恋を癒すのは酒だけではない」「新しい恋をした方がいい」と諭された。  それが出来ないから飲んでいるのだと心の中で愚痴りつつ、このまま酒浸りなのも駄目だと四日目はバーに行く事を控えた。  一日空け、アルコールを抜くと飲むためのバーではなく、出会いを求める為のバーへと足を運んだ。  新しい恋を始めるのは無理だとしても、大黒の残像を塗り替える事が出来ればと淡い期待を胸に重厚な扉を開き、中に入れば品定めするような視線が向けられそれだけで逃げ帰りたくなったが、グッと堪えて奥へと進む。  席に着くなり色々な男性から声をかけられたが、フジの一件もあって誘いに乗る事が出来ず、その日はそのまま帰った。  それから数日。出会い系のバーへと足を運んだが、肩や腰に腕を回される度に生理的嫌悪を感じてしまい誰の誘いも受けられず、大黒を思い出しては涙を流した。  もう、心も身体も疲弊しきっていた。  誰でもいい。何でもいい。大黒の残像を塗りつぶしてくれと願い、飲むためのバーに向かった。  ぐだぐだに酔い、泣きながら飲んでいると僕を不憫に思った同士の一人が媚薬を分けてくれた。 「その辺のアダルトグッズ店で売っている偽物と違って、ちゃんとした医薬品だから効くぜ」  手渡された物を見詰め、これさえあれば大黒を忘れられるのだと嬉しかった。  媚薬が登場した事によって何故か僕の処女喪失計画を同士達が真剣に考え出し、色々恥ずかしい質問に責め立てられたが、アルコールで頭が麻痺していた僕は素直にそれらに答えてしまった。  媚薬を使う前に身体の準備をした方がいいと同士達に言われ、それならばとバーを出た後、アダルトグッズが売られている店に向かって歩き出した。  準備と言われても具体的に何をしたらいいのだろうか?  皆口々に商品名を言っていたが、良く覚えていない。  店に行けばどうにかなるだろうとふらふらと歩き続ける。  何度か転びそうになっていると力強い腕に支えられ、見れば先程まで一緒に飲んでいた同士の一人だった。  人の良さが滲み出た人畜無害そうな容姿を持った三十代中頃。確か、名前はアケさんだっただろうか? 「買いに行くの?」  爽やかな笑顔で聞かれ、しどろもどろに答えると、何故か一緒に買いに行く事となった。  店に着くと初心者に適した道具を教えてもらい必要最低限のものだけを買うが、こんな物本当に使えるのだろうかと心配していると、アケさんは「使い方、教えてあげようか?」と冗談を言うので、僕も冗談で返した。 「そうしてもらえると助かります」  目を覚まし寝返りを打つとそこには見知った横顔があった。  慌ててベッドから飛び起きると、その振動でアケさんも目を覚ました。 「おはよう」 「おは、よう…ござ、い、ます」 「そんな、この世の終わりみたいな顔をしないでよ」 「その……」 「心配しなくてもアナルケアーと道具の使い方を教えただけだって。覚えていない?」  僕は吐くほど飲んでも記憶を失くす事はない。  昨日、アダルトグッズを購入後。思考力、判断力の低下した僕は何の考えもなくアケさんに促され、道具の使い方のレクチャーの為に一番近くのブティックホテルに入った。  そして、アケさんに言われるまま裸になると風呂場で後ろの処理の仕方を教えてもらい、その後ベッドに移ると自分で入れるのが怖いとお尻用バイブをアケさんに入れてもらい、拡張の為だとそのままベッドにうつ伏せになった。  そこまでは確り覚えている。  今現在、お尻に何もないと言う事は、僕が寝た後でアケさんが後始末してくれたのだろう。  何重にも犯した失態に恥ずかしさから汗が吹き出る。  そして、申し訳なさから勢い良く土下座する。 「すみませんでした!」 「謝らないでよ。後ろの処理なんてネコにしか分からない悩みなんだし、それに俺は医療関係者だから人の身体触るの全然平気なんだ。だから気にしなくていいよ」 「でも……」 「酔った勢いでの過ち。って事で手を打とう。ね?」  そんな言葉一つで流していい事ではないが、ここでグダグダと拘っては返ってアケさんに申し訳ないだろうかと、その申し出を受け入れる。 「本当なら俺が抱いて上げられたら良かったんだけど、俺ってば根っからのネコなんでね。ごめんね」  何故か謝られてしまい、僕は勢い良く首を左右に振る。 「あの…何とお詫…お礼を言っていいか……」 「お礼なんていいよ。但しこれだけは約束してね。失恋したからって自分を粗雑に扱わない事」 「……はい」 「挿れる側は受ける側の事なんて考えない奴一杯いるから、自分で自分の身体を気遣うんだよ。いいね」  迷惑を掛けた相手の言葉に素直に頷くしかなく、無言のまま首を縦に振ると頭を撫でられた。 「初めてなんだから、相手はちゃんと選ぶんだよ?」 「ぜ、善処します」  アケさんは僕の頭をぐしゃぐしゃと撫で回し「いい子」と何度も繰り返した。  ブティックホテルでアケさんと別れ、とんでもない夜を過ごしたと己の失態に眩暈を覚えつつも、折角アケさんが教えてくれたのだから忘れないうちに実践に生かそう。  今日こそはと覚悟を決め、夜になるのを待った。  夜の帳が下りる頃。僕はアケさんに教えてもらったバーで『マサヤ』と言う人が現れるのを待った。  傷付いている人を慰めるのが趣味な人だから初心者には打って付けだとアケさんは言っていた。  そんな人なら酷い事にはならないだろうと、店の扉が開く度に教えられた特徴に合致するかどうか確認するが、中々それっぽい人は現れなかった。  約束をしているわけではない。  気まぐれに現れる人だとも聞いている。  今日は来ないのかもしれないと諦め、店内を見回すと大黒に似た雰囲気の男に目が留まり、慌てて逸らす。  手の中のグラスを煽り、大黒の残像を消す為にアルコールを流し込む。  そんな事を繰り返している間に何人かの男に声をかけられるが、連れが居ると嘘を吐き追い払った。  だが、中には引き下がらない人間もいた。  何時もの調子で辛辣な言葉で断るが、男は「気が強いのが好みだ」「お高く留まった顔を泣き顔にしてやりたい」などと勝手な事を言い、尻を撫で回してきた。 「止めろ」と「あっちへ行け」と言うが、男は離れるどころか身体を密着させてくる。  ほとほと困り果てているところへ割って入ってくる人間がいた。 「人の連れに何してんだ。テメェ」  見ると声の主は僕よりも頭一つ分以上背の低く、額に大きな傷がある青年だった。  見覚えのない青年の登場に面食らっていると青年は僕の手を取って男から引き離し、店の外に連れ出した。 「あ…あの、どちら様ですか? どなたかとお間違えじゃないですか?」 「あ――。俺、ユッ…大黒の友達(だち)で白神ってんだ。大黒恭路って名前に覚えはあるだろ?」  知らないと答えない事で知っていると認識したのか白神はそのまま話を続ける。 「何か大黒の奴あんたに用があるみたいなんだよ。直ぐ来るからここで俺と待っててくんない?」  大黒が来る!?  冗談じゃない!!  今直ぐに逃げ出したいが、白神は僕の腕を掴んだまま離さない。  何とかして逃げ出さないといけない。必死に考えていると先程の男が店から出てきた。 「そいつを寄越せ!」 「あぁ? ンだ、テメェ面倒臭ぇなぁ!」  乱暴に肩を掴む男に応戦する為、白神が僕の腕を離し、背を向けた瞬間。  僕は脱兎の如く、その場を逃げ出した。

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