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第2話
「潤 様……お連れ様がいらっしゃいました」
「……あぁ」
そのホテルは都内より少し外れた閑静な場所に建っていた。
高級ホテルと呼ぶに相応しい、全てが一流のホテル。
そこの最上階のエグゼクティブフロアにある『CLUB HIDRANGEA』。
宿泊者の中でも限られたVIPだけが足を踏み入れることができる特別なクラブフロアだ。
VIPの客にはそれぞれバトラーと呼ばれる専属の客室係が付き、フロアには高級料理や高級な酒、他にもありとあらゆるものがビュッフェスタイルで常に常備されている。
それをバトラーは客の為に提供し、チェックインやチェックアウトも全て行うと言う……まさしく、至れり尽くせりな所だ。
そんな、金持ちだけがいるこの空間で、ハイブランドのスーツに靴、時計……と、誰が見てもどこかの社長か御曹司にしか見えないような格好でグラスを傾け、俺は今夜も客を待つ。
「今日も雨か……梅雨だし、仕方ないよな」
フロア一周がガラス張りの開放的なラウンジ。
その窓の外には煌びやかな夜景と静かに佇む海が一望できる。
今夜のように梅雨のこの時期は、それらを掻き消すかのように窓ガラス一面に雨粒が叩きつけられ、全てを濡らし、全てを隠す。
そしてそこに沿うようにぐるっと配置されたカウンターは、落ち着いたダークブラウンの木目調の家具で統一され、そこに等間隔で置かれたキャンドルの灯りと、中央に垂れ下がる控えめな明るさのシャンデリアが幻想的な雰囲気を作り上げていた。
カシャンッというシルバーが擦れ合う音に混ざるようにピアノの生演奏がフロアに響き渡り、そこには優雅な時間だけが流れる。
「潤、待たせたな」
「佐伯 様、こんばんは」
「外は凄い雨でずぶ濡れだよ。君は大丈夫だったのか?」
そう言いながら、シワひとつないブランド物のハンカチを出してスーツに付いた雨粒を拭き取る。
「凄い雨なのはここからでもよくわかります。俺は傘を持っているので……」
「そうか、あのお気に入りの傘か」
「お気に入りというわけではないですが……大事にしてます」
フロントに預けた傘が一瞬脳裏を横切る。それに気を取られていると、いつの間にか佐伯の手が俺の手を包んでいた。
「傘が羨ましい。僕ももっと大事にしてもらいたいものだ」
「大事にしてますよ、佐伯様が一番です」
息をするように嘘を吐いて客をいい気分にさせる。基本中の基本だ。そして、そこに愛は必要ない。
「一番ねぇ。さ、じゃあ……証拠を見せてもらうとするか。おい、チェックインの手続きを!」
近くで待機していた専属のバトラーが佐伯の声に動き出す。ミッドナイトブルーのスーツ姿に黒縁メガネを掛け、髪をオールバックに撫で付けたその男が慣れた手つきで手続きを済ませると、佐伯にゴールドのカードキーを差し出す。それを受け取るのを視線の端に映すと、俺はグラスに残るウイスキーを一気に飲み干した。
「潤、行くぞ」
「何か飲まないんですか?」
「あぁ。君を抱いた後にゆっくりといただくよ」
繋がれた手がいやらしく俺の指先を撫でながら耳元で囁かれる。
「相変わらず厭らしい御方ですね」
「嫌いじゃないだろう?」
問いかけに答える代わりにニコリと微笑むと、佐伯が厭らしい笑みを浮かべた。
「佐伯様、潤様ごゆっくりとお過ごしくださいませ」
そのまま手を取られ席を立った俺たちをバトラーがいつも通りに見送り、すぐ下階のスイートルームへと移動した。続きの部屋の奥に並ぶのはダブルベッドが二つ。
その片方に押し倒され、佐伯が甘ったるい香水を振りまくように勢いよく覆い被さってくる。
抱きつかれたままの俺は、佐伯の背にゆっくりと腕を回しながら気づかれないように小さくため息を吐いた……
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