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第5話
「おはよう」
そうやって声をかけられたとき、俺は五分やそこらで起こされたのだと思った。
雨の感覚で起きるにしては嫌な目覚めじゃないなとまぶたを開け、そこにあるトパーズ色の瞳に息を飲む。今はなんだか透明感が強くて、とてもキラキラして綺麗だ。
「よく眠れたかい?」
「……びっくりするぐらい」
「そうか。それなら良かった」
低く柔らかな声におかしそうに問われてやっと、今が朝なのだと気づく。どうやら俺は真倉さんの腕の中で、夢も見ずにぐっすりと眠っていたらしい。
気持ちの良いまどりみとぬくもりから離れるのが名残惜しくて無意識のうちにそこに擦り寄ると、くるくると真倉さんの喉が鳴った。眠気はさほどないけれど、もう少し眠りたい。
「そんなに可愛い真似をされると困るな」
そうやって優しく抱きしめてくれるから、こちらからも手を回してよりぬくもりに近づく。
雨の音が遠くに聞こえる気がするけど、嫌な感じはしない。それどころかなにか懐かしい感覚が突然蘇ってきた。
雨の匂いとふわふわ。
「ぬいぐるみ……」
「ん?」
ぼんやりとまどろむ意識の中に浮かんだものを思わず口にすると、真倉さんがそれを聞き取って小さく聞き返してくれる。その低い声が胸に響く振動が心地いい。
「……いや、すいません。寝ぼけました」
「ぬいぐるみがどうしたって?」
ああ、そうだ。ぬいぐるみ。クマのぬいぐるみ。俺が、雨の日に眠れなくなった理由。なぜ忘れていたんだろう。マモルだ。
「ちっちゃな時に、なんかのプレゼントでもらったでっかいクマのぬいぐるみに『マモル』って名前つけてて」
あの時はものすごく巨大なぬいぐるみだと思っていたけれど、今にしたら普通のサイズだったかもしれない。とにかくあの時の俺にとってはとても大きなものだった。大好きだったマモル。
「ずっと一緒に寝てたんですけど、さすがに小学校の高学年になると持ってるのも恥ずかしくなって離して置くようになって。親ももういらないと思ったんでしょうね。ある朝起きたら、捨てられてたんです」
とろとろと思い出すことを思考しないままに喋っているうちに段々と記憶が鮮明になってくる。朝起きた時の視界の違和感。そして雨の音。
「いくら一緒に寝なくたって捨てる気持ちはなかったから、慌ててゴミ置き場に拾いに行ったんですけど。一晩雨をぐっしょり吸ったマモルが、なんか別物ですごく恐くて。持ち帰ることもできずにそのまま逃げ帰ってきてから、悪夢が始まったんですよね、そういえば」
雨の音と、恐いと思って持ち帰らなかったことが引っかかって、雨が降るたびぐしょぐしょになったマモルが家に帰ってくる夢を見た。恨みがまし気に俺を濡れた手で引っ張ってどこかに連れて行こうとするんだ。それが恐くて恐くて、雨の日に眠るのが嫌になった。
「それがずっと続いて、いつの間にか理由を忘れて、とにかく雨の日になるとなにか恐いものがやってくるっていう悪夢だけ残って」
「それが雨の日の不眠症の理由か」
つらつらと喋る俺の言葉を静かに聞いていてくれた真倉さんに頭を撫でられ、やっと頭が起きてきた。なにを俺は抱きついたまま恥ずかしい思い出を語っているんだ。
「すいません、おはようございます」
「よく眠れたようで良かったよ。良かっただろ? 抱きマクラ」
慌てて離れて起き上がるとそのまま頭を下げる。
すると同じように起き上がった真倉さんが柔らかく笑った。
ずっと同じ態勢をさせてしまっていたからか、体の半分の毛が跳ねてしまっている。そうか。体も寝癖がつくのか。むしろ俺がつけてしまったのか。後で責任取ってブラッシングしよう。
ぐっすり眠れたおかげで体が軽い。でも、代わりに気持ちが重い。
そうだよな。その自信の持ち方は、誰かがそれを実際体験して眠れたからで。このベッドで、真倉さんに抱きしめられて寝た人がいたんだという当たり前の事実に、なんだか急に目が覚めた。
そうか。これだけいい男で優秀で、雨の日にちょっとくせっ毛がひどくなっちゃうお茶目さを持っている真倉さんがモテないはずがないんだから。
どうにも俺は、気づかないうちにその好意を別物のように勘違いしていたらしい。それに気づいて恥ずかしくなってきた。
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