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2.彼のこと
座敷持ちの晴は、自身の部屋から客をもてなすための部屋へ移動していた。
夜の華が咲いた花街の騒々しさは雨の日であっても変わらず、晴の部屋のしんとした空気をより際立てている。
雨の日にしか登楼しない河野は、αであり老舗の呉服屋の次男坊だという。跡取りとしての重荷はないが、長男を支えるために勉強しているのだとか。
あまり自身のことを語りたがらない彼のことは、晴の水揚げをした山崎が教えてくれた。河野は山崎の紹介で連れてこられ、その後は晴の馴染みとなっている。
「なんでこんなに考えてしまうんだろう...」
最近は、暇ができれば彼のことが頭の中を占めている。少し変わっている彼だから、印象に残っているだけだと自分に言い訳をするけれど、いつもとは違うことは自覚していた。
おもてなし内容は他の客とほとんど同じであるし、雨の日にしかこないため登楼回数は少ないが、似た頻度の客はいる。
ここまで頭を悩ませたことがない晴は、考えれば考えるほどわからなくなり思考を放棄する、ということを繰り返していた。
いつもは自分の心の内を溢すことはないのに、ふとそんなことを秋野に溢してしまったことがある。彼に言わせれば、恋をしているんですよ、とのこと。絶対にそれはないと自身は思っているのだが、秋野はそう確信しているようで、河野が訪れると準備を張り切ってくる。
「恋って...どういう感情なんだろう」
晴の元をおとずれる客には同じように愛情を持って接し、関係を築いてきた。それの何が恋とは違うのか。晴には全くその違いがわからなかった。
「秋野です。河野様がいらっしゃいました」
「お通しして」
「はい」
訪れを知らされるとそわそわとしてしまう。部屋にある調度品までもが明るくなり、主と同じように嬉しそうに見えた。
部屋に入ってきた河野はすらっとした細身で、顎までの髪を真ん中から分けて額を露わにしている。登楼の際は洋服を着てくるようで、今日も洋風紳士な井出達をしていた。他のαと比べれば細身だが、怜悧な顔立ちは美しく整っていて、佇まいはα然としている。
「やあ、晴。今日も綺麗だね」
「お久しぶりです、河野様」
部屋の中央へ通し、秋野が持ってきたお酒と食事と共に案内する。
河野の右隣りに座り、お酌の準備をした。
「会うたびに久しぶりと言われると、寂しく感じるなあ」
座りながら河野は苦笑しつつ呟く。優し気な目と眉が切なげに寄っているのに、彼の顔は美しいままで憎らしい。
「でもほんとうに久しぶりなんですから」
つい、と顔を反らしそっぽを向く。
「つれないことをいう。拗ねているのかい?」
「そんなこと、知りません」
ほんとうに拗ねたような返しになってしまった晴に、河野はくすくすと笑みをこぼした。
「久しぶりの雨だったからねえ...あまりこれなくてすまない」
もっと晴に会いに行きたいと思っているんだが...悩まし気に言う河野の姿は絵になっていて、ほうと惚けてしまう。
「いえ、お忙しいでしょうから」
「山崎さんから晴の様子を聞くたびに、嫉妬してしまうよ。彼もわざわざ店に訪れて、僕に報告していくんだから意地が悪い」
山崎と河野は師弟のような間柄らしく、彼の手元を離れた今も目をかけてもらっているらしい。河野いわく、からかわれているだけとのことだが...
あんまりにも楽しそうに話す河野に、ちくっとした心は無視しつつ、彼が外からもたらす楽しい話を強請る。
「河野様、私の傍であまり他の人の話をしないでくださいませ」
つんとした表情の晴に一瞬目を開いた河野だが、すぐに顔を崩し笑顔になった。
「そうだね、すまなかった。今日はどんな話がききたいかい?」
「そうですね...では、先日拾った猫の続きをお聞かせください」
「いいよ、晴は猫が好きだね」
「ええ、一度あの毛並みを思う存分撫でまわしたい...と思うくらいには好きです」
以前に登楼した際、河野が子猫を拾ったという話が大層気に入っている。花街にも猫はいるが晴自身が直接触れることはなく、見た目の愛らしいあの生き物は、どんな手触りなのかと気になっていた。
河野から聞かされる猫の話で、その性質が自身の想像と違うところに驚きつつ、楽しそうに話す彼の顔を眺めているのだ。
身振り手振りを加えながら、話す彼の話題は尽きない。
けれど今日も話をするだけで終わるようだ。
初めて山崎と登楼した後に1人で訪れた彼は、晴と褥を共にすることはないよ、と言い晴を驚かせてきた。その後何度も訪れ、褥を共にする許可がおりる日数がすぎても、ただただ話をして帰っていく。
話を始めた彼の声に耳を傾けながら、雨が止む前に帰ってしまう彼との束の間の心地の良い時間に身をゆだねる晴であった。
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