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第2話
清水千里という男は、少し出不精なところがあった。掃除、洗濯、その他もろもろの家事を俺に頼み、昼間は外に出ず自室のベッドで眠り、夜中になると室内の明かりもつけず、月明かりだけで絵を描いている。
たまに、朝早く起こされては、昼間に外に出て何か写真を撮ってきてくれと頼まれる。
一度、夜食を運ぶときになぜ外に出ないのか聞いてみたが、淡々とした声色で「そういう体質だ」と答えられた。
ベランダに出て、夜空に輝く星をみながら俺はタバコをくわえた。
そもそも、清水はなぜ俺を拾ったのだろうか。見ず知らずの俺の、誰にも認められないような才能をほしいと思ったのだろうか。
「・・・・・・天才の考えることは、わかんないな」
「天才がうんぬんより、人間はふつう、他人の考えなどわからんだろう」
なんとなく呟いた言葉に、返事が返ってきたので俺は、驚いて後ろを振り返る。
そこには、珍しく部屋から出てきた清水が立っていた。
「珍しいですね、なにか用でも?」
「いや、今日は月が出てないからな。絵が描けねぇから外にでも出ようかと」
「絵なら、電気つければいいんじゃ・・・・・・?」
何気なく、疑問に思ったことをそのまま伝えると清水の瞳からスッ、と光が消えた。あまりの表情に、冬場の滝にでも打たれたような錯覚を覚えた。
「すこし、散歩に付き合え」
そう言って清水は、何事もなかったかのように笑った。
言われるがまま、俺は清水と二人で暗い夜道を歩いていた。懐中電灯もなにも持っていないこの状態では、申し訳程度にある街灯だけが頼りだ。
「あの、暗くて見えづらくないですか?」
暗に、懐中電灯を取りに一度帰りましょうと提案してみたつもりだったが、清水は一度だけ俺を見やるとすぐに前へと歩いて行ってしまう。
「あの!」
しつこく、彼に詰め寄れば、ピタリとその足がとまった。彼に合わせて俺自身もその場にとまる。
妙な静けさが辺りを包んだあと、清水はゆっくりと振り返る。
「桜の花のひとつひとつも、水の中で静かに泳ぐ魚も……」
清水が一歩、足を進めると少しだけあいていた距離が縮まった。彼の白く骨ばった大きな手が俺の頬を包んだけれど、彼の瞳に、彼の声に魅入られて、拒むことはできなかった。
「きみの長い睫毛のひとつ、ひとつまでよく見える……あぁ、きみはこんなところにホクロがあるんだね」
清水の指が耳たぶに触れる。その触り方に、なんだか色気のようなものを感じてしまい、ぞくりと体がふるえた。あわてて、俺は彼の手を振り払う。
「だから、懐中電灯は必要ない。きみが必要と言うのなら、私が手を貸そう」
気にしたふうもなく、清水が手を差し出してくる。俺がその手をとらずに、ただ首を横に振ると彼は、ふっと小さく笑った、そんな気配がした。
「なら、このまま散歩を続けよう」
きびすを返して、彼はコツコツと靴音を響かせながら先を歩く。
目的もない夜の散歩は、空が微かに明るくなるまで続いた。
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