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第7話 甘い憧れ
昔から色白だった。食べてもあまり太らないほうらしくて、よく姉には羨ましいって言われた。
でも、俺は若干、色白なのも細いのも嫌だった。
「わ、直江先生、今日は引いてくれるんだ!」
隣の女子が声を上げた。
その声に弦から手を保護するカケをいじっていたのをやめて、顔を上げる。
ホントだ。今日は先生、引いてくれるんだ。しかも道着姿だ。普段はシャツにスラックス、普段着の先生のまま胸当てをして引くことが多いのに。
「…………」
空気が変わるんだ。
直江先生が跪坐(きざ)しているだけでも見惚れてしまう。でも、立ち上がるともっとすごいの。
息をするのを忘れてしまう。
鋭い眼差し、真一文字に結んだ薄い唇、綺麗に重心を保つ姿勢。
「うわぁぁ」
隣の女子の歓声なんてさ、気にならなくなる。何もかも消えて、直江先生のことしか感じない。
ああいう人がいいよ。
ああいう人がカッコよくてさ、良いと思うんだ。バランスの取れた筋肉、背も高くて、しっかりしてるけどマッチョなんかじゃなくてさ。低い声、大きな手、凛々しい横顔。
先生が放った矢が空気を裂いて的に突き刺さるまでの本当に、瞬き一つよりもずっと短いはずの時間を堪能する。
「すごぉ……い」
ああいう人が、良いよ。俺は。
「おーい、中等の、渡瀬、だっけ? 帰らないのか?」
声をかけてくれたのは高等科で弓道部の部長だった。部活にもよる。部員数がかなり多いサッカー部、野球部、あとはテニスも、だったかな。そういうところは中等、高等で分けている。だからシュウ君は高等科の先輩たちとはあまり交流がない。あと、その三つに関しては初等科も部活参加が可能になっている。っていっても、そう毎日じゃなくて、毎週水曜だけ数時間、初等科の生徒だけで練習するんだけれど。
けれど、弓道部は中等高等部が一緒になっていた。ちなみに小学生には危険を理由に部活は設置されていない。
他の部活では色々嫌なこともあるらしいけれど、弓道部に限っては、中等、高等での軋轢とか、問題になりそうなことはなく過ごせてると思う。
「あ、はい。あの、施錠は大丈夫なので」
「あぁ、宜しく頼むな」
「はい!」
だって、今日、先生、道着なんだもん。
早く退場して欲しくて、じゃないと先生が着替えてしまうって、失礼なことを願いながら、一礼をした。そうとも知らない朗らかに笑う部長を見送って、少しだけ、胸の高鳴りを外に深呼吸と一緒に道場に落っことす。
まだ着替えてないでね、先生。
「先生!」
「……どうした、葎」
先生は道場脇の手洗い場で滑り止めになる筆粉で白くなった手を洗ってるところだった。
そして、手を拭いたタオルを濡らして……それで、首周りの汗を拭ってる。七月に入ったっていうのに、ここ最近、梅雨が戻ってきたみたいに雨が続いてて、その雨のおかげで涼しい日が続いてたから、急なカンカン照りは身体がびっくりしてしまう。
だから、汗を……タオルで……。
「葎?」
「! あ、はい! あのクスネを借りたくて」
「……あぁ、なんだ、弦の調子が悪いのか?」
ううん。本当は悪くないけど、クスネは先生の下管理されてるから、ちょうどいい口実になるんだ。話しかけたり居残ったりするのに。
「お前、どんだけ運が悪いんだ。この前調子悪い弦に当たってただろ」
「なっ、別に、続いただけだし」
「……そうか?」
見透かされてそうで、慌てて俯いた。
「俺はてっきりカケが変なのかと思ったよ」
「え?」
「さっき、いじってただろ?」
「……ぁ」
見られてたんだ。手にはめる皮製の手袋みたいなもの。紐を手首に巻きつけて固定するんだけれど。さっき手持ち無沙汰もあってそれをいじっていた。
見せてみろって言わんばかりに、無言で手を差し伸べられて、手にちょうど持っていたカケを手渡す。ちょっと気になっただけ。少し、手首に擦れてヒリヒリするから。
「……赤くなってるな」
手首を取られて、じっと見つめられる。
ちょうどカケの布端が触れるところ。
「あ、うん。あの、ちょっとだけ」
本当にちょっとだけ。赤いのはたしかに痛そうだけれど見た目ほどじゃない。ただ色が白いから、痛そうに見えるだけで。
「うん……ちょっと、痛い」
でも、嘘、ついちゃった。
「それと、お前ね、もう初等科じゃないんだから、敬語」
「……です」
「そこだけ付け加えるなよ」
別にいいでしょ。初等科の頃から先生のこと知ってるんだもん。
「まだ弓道初めたばっかだからな、擦れるんだろ。普通はそのくらいで赤くはならないが」
「だ、だって」
「俺のやろうか?」
「えっ!」
「お古だけど、ちょうど新しいのを買ったばっかだったからな」
ぁ、それで今日、あんなにちゃんと引いたのかな。新しいカケの感覚を知るために、とか?
「いっ! いる! いります!」
「……っぷ、お前な……でも、柔らかい分、古くて汚いぞ。かなり年季入ってるから。新品のでやってどうしても痛くなったら、そっちに代えればいいかもな。使わなきゃ柔らかくなんねぇから」
「はい!」
やった。うわぁめちゃくちゃ嬉しい。
「やっぱ、新品見た後だと、ホント汚いな」
「全然! 柔らかくて素敵!」
素敵って……って呟いてする苦笑いの優しさに、胸の辺りがトクトクトクと鼓動を早くする。
「先生ありが…………と……」
「っぷ」
「……んもー! 笑うことないじゃん」
「いや、さすがにこんなにサイズ違うとはな」
試しにはめてみて、その手の大きさの違いに愕然とした。手首はさ巻いて締め付けてしまえばいい。でも指の長さに違いは痛手だ。こんなに指先が余っちゃったら、何を掴むのも難しいじゃん。
「誤算だったな」
そう笑って、戻されるだろうカケを受け取ろうとする先生から、もうすでに自分のだもんってそれを隠した。
「使えないだろ」
「つ、使います。いつか」
もう断言して、その自分のカケになったばかりのそれをぎゅっと握り締めて、カケの旧主である先生のことを威嚇しておいた。
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