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第8話 アンラッキーアンライク
勉強は、やっぱりハードかな。レベルは高いと思う。私学だから、ちょっと鼻につくような、なんと言うかエリート思考的なキャラクターの奴もいるし。
初等科からの幼馴染のシュウ君は違う。
だから、仲が良いんだけど。
「それでさ! カケをもらったんだけど」
「かけって?」
手袋だよ。指を保護するの、って説明すると、ふーん、って答えて、学食のカレーを大きな口で頬張った。
初等科は教室で給食なんだけれど、中等科からは学食での昼食が可能になっている。もちろん持参して教室で食べることもできる。でも購買はないから、大概の人は学食レストラン。
「それでさ、めっちゃサイズが違ってたんだ。指長! 手、でか! って。でさ、全然指が余るから使えないだろって、捨てようとするんだよ? 大慌てでもらってきた」
「使えねぇのに?」
「だって、先生のお古だよ? もったいないじゃん」
使い込まれたカケは柔らかくて気持ち良かった。よく使うところがしっかり黒ずんでて、先生が指を曲げるとこで皺が寄ってるの。形状記憶みたいにそこで曲がり易くなるように、皺が入っててさ。その皺のせいで俺の指がヘンテコになるんだ。
先生が使い込んだんだぁって思いながら、昨日は帰った後ずっとそれを眺めてた。
「いつかさ、あれがぴったりに来るのかなぁって」
「そんな古っちいやつ、ずっと取っとく気?」
「もちろん!」
「……ふーん」
たまに嵌めてみたりして。そうすると先生の手の大きさが実感できて、一人で部屋で矢を射る真似事をしてみたり。
「なぁ、葎、お前、告白されたんだって?」
「ぶっ、げほっ、ごほ!」
もう、やめてよ。思いっきり噴き出しちゃったじゃん。
「なんで、シュウ君が知ってんの?」
「あの子、可愛いじゃん」
「だから、なんで、シュウ君が知ってるのっ」
「なんで付き合わねぇの?」
「んもー!」
俺が怒ると、反比例するようにシュウ君が笑った。
「好きじゃない子と付き合わないでしょ」
「そういうもん?」
「そういうもんっ!」
知らないけれど。好きな子、がいたことないからわからないけれど。
「っていうかさ、お前、好きな子とかいたことあったっけ?」
「!」
こういう時、やだなぁってなる。初等からの知り合いだから、ある意味色々筒抜けで知られてる。本当になんでも。もちろん、そのほうがありがたいこともあるけれど、何かトラブルとかさ、あると大変だったりもするらしい。関係性のリセットボタンもないしさ。
「な、なんで、急にそんなの訊くんだよ」
「だって、そういう話一切しないじゃん。葎って恋愛関係全く興味なさそうなんだもんな」
「あ、あるよ」
ないけれど。
「ほー」
「な、何その、フクロウみたいな返事」
目を細めて見つめられると、何か、居心地が悪いよ。
「んー? だってさ、お前って、直江先生のこと話してる時のテンションと、今、告ってきた可愛い女子の話のテンションがさぁ。普通逆じゃね?」
「そんなの」
別に、だって、仕方ないじゃん。
あの女子のことあまり知らないよ? 知らないのに、俺のどこを好きになったのか、わからないんだもの。いきなり好きですって言われても、面食らうだけだよ。
先生はさ、カッコいいから。憧れなんだ。その人からカケをもらえるなんて嬉しいじゃん。
小さい頃からずっとかまってもらってるし。それこそあの女子よりずっとたくさん知ってるもん。
数学の先生だから英語とか国語とか苦手かと思いきや、小説とかたくさん読むんだって。あとあと、そう、意外にも芸術とかも好きで、美術館にもたまに行く。好きな動物は猫も犬も、なんでも。苦手な動物は、とくにないけれど、虫は少し好きじゃないんだって。足がたくさん生えてるのはちょっとダメって、俺が初等科で昆虫係りになった時に教えてくれた。運動は好き、でも、部屋でゆっくり静かに本を読むのも好き。映画は恋愛映画以外ならなんでも。あ、ホラーも大丈夫だって。
俺は、ホラー映画はちょっと苦手。怖いもん。
でも、ちょっと強がって「へっちゃら」って言ったら笑って嘘を見破られてしまった。
先生には俺のこと丸わかりなんだ。きっと。
「まぁ、いいけど。それにしても、告った女子、可愛かったのになぁ」
「だからっ!」
「好きじゃないのに付き合わない、んだろ?」
「うん」
シュウ君は笑って、またカレーをパクリと食べた。食べながら、学食の外を眩しそうに眺めてた。
私立の一貫校、生徒はかなりあっちこっちから集まっている。学校が何しろ巨大だから、駅からは少し離れてて、その駅まではバスで向かう。時間帯によっては乗客がほとんどうちの学校の生徒になるんだ。だから乗るのは順番待ち。
今日は、次のバスには乗れるかな。
「ねーねー、三組の田中、伊藤と付き合ってるって知ってた?」
「マジで? うわぁ」
後ろの女子、うるさい。
バス停で、外で、よくそんな話を大きな声でできるな。同じ学校の生徒が何人も並んでて、その田中さんと伊藤さんの知り合いだっているかもしれないのに。
ヤダヤダ。うるさくて。そんな日に限ってイヤホン忘れるし。
「ほら、この前、課外演劇あったじゃん? あの時だって。自由時間それぞれ別の子らといたじゃん」
課外演劇ってことは同じ中等だ。
制服のリボンとかネクタイとかで中等、高等の見分けはつけられるんだけど、そこまでちゃんと見てなかった。けど、課外演劇には中等の生徒しか行ってないから。一年じゃない、と、思う。三組、隣のクラスだけど田中と伊藤っていう苗字はいなかったような。
へー……じゃあ、中等二年か三年の話か。
「だって、あの二人が一緒にいるとこなんて見たことないよ?」
「けどさぁ、見ちゃったんだって。うちのクラスの男子が、カラオケで二人がいてさ、個室ん中でキスしてるの!」
「うわぁ」
すご……中等で、もうキス? とか?
じゃあ。俺も、してたのかな。
キス。
あの女子と付き合ってたら。
「…………」
なんだろ、ちょっと、ヤだな。
なんでなんだろ。
「カラオケでキスとか、うわぁ、すご」
好きじゃない子だからなのかな。可愛い子だったとしても好きじゃないからなのかな。
「あ、でもさ、たしか伊藤って、この前、元カノと別れたばっかじゃん。それでもう?」
「違う違う。元カノに振られたんだよ。なんかしつこいって」
「ダサ! キモ! そんなの、それが目的じゃん。やりたいだけ」
好きじゃないのにキスしたくなるの? 変なの。その伊藤っていう男子、変だよ。俺もあの告白してきてくれた子、好きじゃないよ? だからキスしたいなんて、これっぽっちも思わない。なんで好きでもない子とそういうのしたいんだろ。
俺はちっともしたくない。
興味、ないよ。
「あ! キャー! うっそ、直センセーだ!」
興味なんて。
その黄色の声に顔を上げたら、直江先生がいた。
「キャー! ウソウソ、なんでなんでっ?」
直江先生のこと、初等科から知ってるもん。車で学校に来てるはずなのに、なんで? なんでバス停に?
「センセー!」
うるさい女子が大きな声でうるさく先生を呼んだ。先生は呼ばれたことに手を振って、それから口のとこに指を立てて、静かに、って、そのうるさい女子を叱ってる。乗れるかな。同じバスに、乗れたらいいな。
そう思いながら、イヤホン忘れたけど、女子がうるさかったけれど、バスが行列でよかったって思った。すんなり乗れてしまっていたら、先生に会えなかったから。同じバス、乗れたら――。
「……ずいぶん、混んでるな」
本当に、ぎゅうぎゅうだ。だって、先生の後にも続々とうちの学校の生徒が並んでたもん。だからできるだけ詰めて詰めて、押し込んで押し込んで。
「大丈夫か?」
「んっ」
押し潰されちゃいそう。
「すごいな」
「ぅ、ん。この時間帯はね」
「……敬語」
「……です」
言葉どおい敬語を取って付けたら、なんだそりゃって、先生が小さく笑った。
同じバスに乗れるだけでもラッキーだったのに、詰め込まれて人の波にぎゅうってされて、あっちからもこっちからも押されたら、先生が引っ張って助けてくれた。
大丈夫か?
って、潰れそうな俺を。
先生の愛車、車検に出してるんだって。代車だとすごく小さい車になっちゃうから断ったんだって。たまには電車通勤もいいだろって笑ってた。
次、止まります。
そうアナウンスが流れたと同時、右に曲がったバスにつられて人の波が傾いて。
「!」
ぎゅうぅぅぅって、潰されるとこだった――かもしれない。
「痛くないか?」
「う、うん」
「敬語」
「……です」
笑いながら俺を人の波からかばってくれた先生のおかげで潰されなかった。
小さくてよかった。
腕でもなんでも細くてよかった。
「あっついな」
「うん……です」
もっと筋肉もりもりだったら、助けてくれなかったかもしれない。
「あつい、です」
だから、小さくて、よかった。
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