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第12話 貴方の知らないコト

 好きだと自覚をしたのはずいぶん後だったけれど、好きになったのは一目惚れだったんだよ?  知らないでしょう? 先生。 「春休み中は練習なかったからな。腕、なまってるんじゃないか?」  弓道場に日差しが差し込んで、春の優しい光なのに的が輝いて見える。  ちっとも知らないんだ。俺が先生のこと好きだなんて、思いもしないんでしょう? 「部活紹介の時、的、外さないように少し練習しておけ」 「でも先生、今日はなんにも準備ないよ?」 「俺のを貸してやる」  やった。カケ、貸してくれるの? 「ありがと」  ねぇ、先生。あのね。 「ほら」  手渡されたカケに胸当て。カケは個人個人で持ってるけど、胸当ては学校の。  準備をしている間、先生の視線を感じてた。見られてるって思うと、ドキドキしちゃって。もう丸五年続けてるのに、変なの。カケを嵌める手がたどたどしい。そのたどたどしい手を取って、先生が手伝ってくれる、の、とかさ。  心臓破裂しちゃいそうになるよ。 「…………お前、まだ俺がやったカケ持ってるのな。この前、見た」  あぁ、見つかっちゃった。あの時、鞄の中にあったのを部員が見つけて、ずいぶん古いの持ってるんですね、なんていうから。  ちゃんと持ってるよ。あまり使ってないだけで、きっとずっとずーっとあれば俺の宝物。 「うん。持ってる。大事だもん」  声、ひっくり返ってない? ヘンテコな声にならなかった? おかしくなかった? 「……あの時は、指、余ったのにな」 「だって、中学生じゃん」 「あぁ……そうだな」  やだな。 「もう高三だもんな」  大きくなりたくない。男っぽくなんてなりたくない。だって、先生は女の人が好きだから。 「けど、細すぎだ」 「細くないもん」 「ちゃんと食ってるか? 指だって、こんなに細い」 「っ」  心臓が、ホント、破裂しちゃうんだってば。分厚い鹿の皮ごしに指を握られて、心臓が止まる。そして、身体の芯が溶けちゃいそうに熱くなる。 「……細く、ないし」 「お前、副部長と並ぶとえらい違いなんだぞ?」 「し、知らないっ」  あれは、副部長がごついんだってば。でも、いいの。俺は成長したくない。細くて華奢なままでいたい。  笑っちゃうよ。ないのわかってるのにさ。ありえないって知ってるのに、それでも、あの日、中学生の時に見た、先生の横に絡まるつる草みたいな女の人の細い背中が目に焼きついてる。  あの女の人とはキスをした?  あの女の人とはもっと――。 「よし。いいぞ」  もっと。 「……はい」  返事をして、射位に立つ。構えて。弓を引く。  知ったら、きっとこんなふうに二人っきりになんてなってくれないんでしょう? 「珍しいな。肩に力が入ってる」  よくわかるね。そんなの。なんで見ただけでそれはわかるんだろ。 「……渡瀬?」  今、俺が先生とキスしたいって思ってるのは、見透かせないのに。 「なんでもない。先生」  キス、したいの。  先生とキスをしたんだ。  あの日、貴方が俺の舌を撫でた時からずっと、きっとずっと、俺は貴方とキスがしたかったんだ。  車酔いと重く甘ったるい香水の匂いのせいで吐きそうになって、でも、クラスメイトもいてさ、どうしたらいいのかわからなかった。  先生が大きな手で背中をさすってくれて、低い声で少しぶっきらぼうに「大丈夫」って言ってくれて、笑って……。  おとぎ話の中のお姫様は、きっとあんな気持ちになったんじゃないかな。命を救ってくれたことに心臓が歓喜の鼓動を奏でて。  ガラスの靴を片方履いた、みすぼらしいシンデレラは思ったと思うんだ。自分の汚い姿を晒しても気にせず手を繋いでくれることに気持ちが和らいで。  恋すると、思う。  先生にかまってもらいたくて、算数を教えてなんて口実振りかざして職員室に通って。算数の成績だけはもうずっと一位だったくらい。  中学になったら先生が顧問してる弓道部に入部して、一生懸命に追いかけてる。 「っ」  矢が空気を裂いて的へと飛んでいく。 「……」  ちょっと、ズレ、たね。考え事しながら射てしまったから。 「肘、下がってたぞ」 「……はい」  もう一回。 「っ」  矢が走る音が鋭さを増した気がした。そして、今度はしっかり命中。先生のそばに少しでも近づきたくて弓道部に入ってもう何年目だと思ってるの。 「さすが、部長」 「……」  だって、部長になりたくて頑張ったんだから。部長になれたら先生の近くにいけるでしょ? 「これで部活紹介の時は大丈夫そうだな。女子部員が増えそうだ」 「えー? そんなわけないじゃん」 「知らないのか? 弓道部の部長は美形だって言われてるの」 「……知らない」  他の誰かにそんなの思われなくていい。 「先生、次、先生も射手してください。お手本」 「いらないだろ」  いるもん。見たいの。先生の行射姿すごくカッコいいから。  おねだりをしたら、仕方ないって溜め息混じりに笑って、今、貸してくれたカケを、今、俺がしてた胸当てをして、構えてくれた。  俺は端にどいて跪坐の格好で見つめた。  静かで、凛としていて、力強い。先生の射手姿。大好きなんだ。中学生の頃から見惚れてた。ゆっくり、けれど、しっかりとしたその動き一つ一つがすごくすごくカッコよくて、いつまででも見てたい。 「っ」  ほら空気を裂く音も、的に突き刺さる音さえも違って聞こえる。 「……久しぶりだからな」 「あ」  思わず呟いたら、ちょっと怒った顔をした。とてもレアな少し幼く見えるふくれっ面に胸を弾ませて、ちょっとはしゃいでしまった。 「わっ」 「おっと」  ごめんなさい。 「……懐かしいな。大昔、葎が入部したての頃だったか。長時間座ってるっていうのがないお前が足を痺れさせて転んだっけ」 「……そ、そんなの、よく覚えてるね」  あの時は、本当に転んじゃったんだ。おっとっとって。だって、足の感覚なかったんだもの。すごく恥ずかしかった。 「まぁな」  ごめんね。先生。あれは本当だったけれど、これは嘘だよ。今はわざと痺れたふりをして先生のほうによろけてみせたんだ。触れるし、それにね。 「将来の美形部長の大失態だからな」  大好きなあのグレープフルーツの香りが欲しくなって、よろけたフリをして抱きついたんだ。

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