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第13話 鈴の音、軽やかに
『彼に好きって言えばいいじゃない』
『言えるわけないわ』
『どうしてよ。デートに誘いなさいよ』
そうだそうだ。デートに誘えばいいのに。躊躇う主人公に胸のうちで野次を飛ばした。だって、そのくらいのことしたくなる。夕ご飯を一緒にどう? そう彼女がその人を誘えばそれは「デート」って皆に思われる。
俺は、思われない。
先生を夕飯に誘ったって。
男女っていうだけで片想いの成就率は跳ね上がるんだから、野次でも妬みでも飛ばして零してみたくなる。
「はぁ……」
見ちゃったじゃん。先生にオススメされた恋愛映画。だって、検索したら、会員のとこのネット配信であったんだもん
あらすじはニューヨークのマンハッタン、一匹の赤い魚を中心に、その赤い魚を売っていた店員の恋の話と、その赤い魚を飼育している人の恋の話を、その赤い糸代わりな魚を中心に描いていくラブストーリー。
赤がとてもいいアクセントに、なってるんじゃない? ただの金魚だけど。ただのもじもじした男女の恋の話だけど。舞台がニューヨークだろうが歌舞伎町だろうが、ほぼ水槽の手前で繰り広げられるから、どこでもいい気がするけど。
「……」
なんてへそ曲がりに考えてしまう。面白いとは思うけれど、面白くなんかないって突っぱねたい自分がいる。
だって、これを先生は彼女と見たんでしょ?
「……」
彼女と見て楽しかった映画なんで俺に勧めないでよ。ひどくない?
『……好き、なの』
ひどいよね。キスシーンとか、あるじゃんね、これ。
ベッドにタブレットを置いて、壁に寄りかかりながら見てた。でも、なんだかへそが曲がりに曲がってあっちにいっちゃったから、もうずるずると壁をズリ落ちて、最終的に不貞腐れて寝転がりながら見てた。ちゃんとなんて観ない。しっかりなんて観てやらない。
先生が彼女と眺めたキスシーンなんて、真面目に見ないんだ。
『……っ』
キス、長くない? しかも、ちょっと濃くない? これ。
これを観て、先生はさ、その……した? キス、した? 彼女に? こんなふうにした?
羨ましい。
先生とこんなキスできるなんて羨ましくて、そっと唇に触れた。自分の指だけど、少し強めに押し潰して目を閉じる。
先生のするキスを想像しながら。
「葎―!」
「! っ、な、何っ?」
お母さんは部屋にいきなり入ることはしないのに、慌てて飛び起きて、慌ててベッドの上に座って掛け布団を掻き集めた。なんか、色々隠れるように。
「明日、帰り何時だっけ?」
「え? ぁ、明日は……明日から、部活もあるから普通に遅いよ」
「はーい」
びっくりした。
「……はぁ」
そして、タブレットの画面の中では真っ赤な金魚が尾びれをフワフワ揺らしながら優雅に泳いでいた。
職員室は初等科、中等科、高等科にわかれてる。直江先生、またもや窓際なんだね。前はおじいちゃん先生がいて、直江先生の所在の有無を俺の顔を見ただけで教えてくれてたっけ。今は定年退職して、のんびりしてるらしい。ちょっと嬉しかったのは、そのおじいちゃん先生が人気者の直江先生の所在を教えるのは俺だけだったこと。他の女子とかが直江先生目当てに職員室に顔を出しても、しれっとしてることに気が付いた時は、ちょっと自慢気に思ったっけ。
しつこく先生の後ろをついて歩いてたから、かもしれないけれど。
「先生、弓道場の鍵を貸してください」
「……あぁ、ちょっと待ってろ」
道場とか特別教室、準備室、そういう施錠があるとこの鍵は一箇所にまとめられている。先生がそっちに行くと俺も後ろをついて歩いて、一番奥へと向かっていく。
「そんで? 部活動は明日からだろ? 何か弓道場に用事か?」
「? だって、先生が言ってた。備品がって。副部長と確認しないといけないから」
「あ」
もう寝惚けてた? 春休みボケしてたんでしょう? って、からかったら、笑って、俺の手の上に置いてくれた鍵を没収してしまう。チャリンって、金属と鈴の触れ合う可愛い音が先生の手の中から聞こえて、そのまま先生は職員室を出ていく。
「先生?」
「備品、確認するんだろう?」
「? うん」
する、けど。そうたくさんじゃないでしょう? いつもどおりなら、別にすぐに終わるよ? ただ備品を一人、誰もいない中で開けたあと、それが紛失したりしたら面倒だから。盗んだ盗まないとか、トラブルにもならないようにと確認の時は誰か一人が立ち会うことになっている。
「ね、先生」
「んー」
チャリンチャリンって、先生の大きな手の中から鈴の音。
「あの映画観たよ」
「?」
んもぉ、本当に寝惚けてるんでしょ。
「映画! この前、薦めてくれた恋愛映画」
「……」
「赤い恋、っていうの、観たの。昨日」
「へぇ、珍しいな、お前が恋愛映画なんて観るの。あんまりそういうの好きじゃないだろ?」
知っててくれたんだ。好きじゃないよ。興味ないもん。小さい頃からたくさん先生のことを追いかけてたからさ、自分アピールもすごくて、それこそあれもこれも、今なら言わないでー! っていうことまで全部話してた。
「なんか、普通の恋愛ものだった」
「へぇ」
「赤い魚って金魚だし」
「まぁな」
「どっちもラブラブハピエンで」
「まぁな」
「キスシーン長めでちょっといらないっぽいって思った」
「は?」
先生の手の中の鈴が慌しく音を鳴らす。
は? って、だってあったじゃん。ただのキスシーンだったけど、すごいしけっこうがっつりだったから、これはこれで俺が見ていいんですか? っていうかさ。
「は? って、先生、観たんでしょ? ……観てないの?」
なにその、失敗したって顔と、失敗したっていう溜め息。
「いや……途中寝てたんだよ」
「! えええええ?」
「いや、最初と最後はけっこうのほほんとしてただろ? だから、お前、高校三年だし、まぁそういうのもやっぱり気になる歳なんだろうなぁと思ったから、とりあえず最近観たっていうだけで勧めた」
「なっ…………んもー!」
なんだよ、寝てたって。そんなの、そんなのっ。しかも、そういうのが気になる歳って。まるで子どもみたいに。寝てて最初と最後しか知らない映画なんて勧めないでよ。
「あんま好きじゃないんだよ。恋愛ものって」
「知ってる!」
「あぁ、そうだったな」
けれど、先生が勧めたから観たのにさ。
「あれは面白かったぞ」
「?」
「この前、借りてみたんだ。あんまりと思って観たんだが、よかった」
アクションサスペンス。もとマフィアの小間使いと警察官が組織を潰してしまうような派手で爽快な映画。
「これは、オススメ。ちゃんと最初から最後まで観たから」
「……」
彼女と? そう訊いてみたいようなみたくないような。確かめて昨日みたいに不貞腐れるのもイヤだけれど。
「一人で観ててよかったよ」
「!」
「途中、車が吹っ飛んでくるシーンがすごい迫力で思わず声出たぞ」
一人で? 彼女さんとじゃなく? 一人で観たの?
「たぶんお前は気に入る」
「観る!」
思わず大きな声で言っていた。
「絶対に今日観る! そんで明日言うね!」
先生が一人で観たのなら、ちゃんと観る。
「あぁ、車が吹っ飛んでくるシーンきっと驚くぞ」
鈴を鳴らしながら先生は長い足ですたすたと先を歩いていく。その後を、小走りで追いかけ、ようやく近くにいけたら笑ってた。元気な声だなぁって、笑っていた。
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