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第18話 自覚ある罪人

 何してるんだろう。  自覚はしてる。 「渡瀬せんぱーい、お疲れ様です」 「……お疲れ。鍵、俺が先生に返しておくよ」  これはすごくすごく、すごく、悪いこと。 「え? けど」 「いいよ。気にしないで。準備は中等科の仕事とか、そういう年功序列ってあんまり好きじゃないんだ」  いけないことって、自覚してる。 「お疲れ様」 「! あ、ありがとうございます! 先輩っ」 「気をつけてね」  道場の片付けを中等の子たちが、はしゃぎながらしている横で静かに待ってた。静かに、でも、これっぽっちも悪びれずに、それどころか少し楽しみながら、待ってた。  これが体育館とかだったら作戦変更しないと、だけど。 「……」  弓道場は弓道部しか使わないから大丈夫。 「……」  顧問の直江先生に伝えた練習時間は午後一時から午後の四時まで。今の時間は、四時十五分。  職員室じゃダメなんだ。  数学準備室でもいいけれど、そこに行く理由がないからちょっと難しい。だから、ここがいい。 「おーい、練習終わった、か……」  話をするなら、ここがいい。 「……どうかしたのか? 渡瀬」  先生が驚いていた。練習の片付けは中等科の子たちがやってると思ってたから、今ここに、俺しかいなくてびっくりしてた。俺は中等科からずっと弓道部だから、支度も掃除も、片付けももちろん何回もやったことがある。部外者が来ないことも、よく知ってる。 「中等科はどうした?」 「……もう、片付けを終えて帰りました」 「……」 「先生を待ってた」  まるで、射位にいる気分だ。射手として、今から弓を引く気分。 「……何か用があったか? まだ道着のままか。着替えてからでも話なら聞くぞ。職員室にいるから」 「ううん。ここがいい」  射抜くのは俺の初恋。 「なんだ? 道場で話って……」  射抜いて、貫いて、壊すんだ。 「ねぇ、先生」  胸の内でもう何百回も呼んだ初恋の人に壊すのを手伝ってもらうの。 「この女の人、誰?」 「……」  先生に初恋を粉々にしてもらおう。 「ショートカットの人。昨日見た。駅前のエレベーターのところで、デートしてた?」  だって、あと半年もしないうちに俺はここを卒業して、先生とはもう関係がなくなってしまう。先生はまた新しい生徒に勉強を教えながら、理事長の娘と結婚して、子どもを作って、お父さんになるんでしょ? 俺がずっと恋してたことなんて気が付かずさ。俺が先生のことを通り過ぎて行くんじゃなくて、先生が俺を置いていく。この初恋を抱えたまま、ずっと重い物を抱えた俺からどんどん離れてどんどん先へといっちゃうの。 「でも、この人、理事長の娘じゃないでしょ?」 「……お前、どうして、それを」 「結婚するの?」  このショートカットの人と? それとも理事長の娘と? どっちなの?  昨日、一晩たくさん考えた。  このショートの人が本命で、愛してるんだけれど、仕事の立場上、理事長の娘とこ縁談を断るにも断りきれなくてズルズルしているのかもしれない。  もしくは、この人とは浮気? とか? 理事長の娘との二股?  それとも、このショートの人はただの友だち? なんて、それはないよね。友だちにこんなふうに擦り寄らないでしょ?  ねぇ、先生。 「どっちの女の人と?」 「……」 「これ、きっと、すごいスキャンダルでしょ?」 「渡瀬、お前、一体」  ねぇ、先生。 「内緒にする。先生」  手伝って欲しいんだ。 「内緒に、して欲しい? 先生」  俺の初恋を綺麗なままにしたくない。ぐちゃぐちゃでかまわない。汚くていい。誰にも触られなくないから、綺麗にしときたくないの。  汚れてたら、誰も触らないでしょ? 「内緒に、してあげるから、先生」  キラキラピカピカな綺麗な初恋じゃなくていい。 「俺のこと、葎って呼んでよ」  キスしたかった。ずっとずっと、先生のこの唇にキスを――。 「先生」  初めて、初恋の人に触りたいように触った。いつも「先生と生徒」って思っていたけれど、本当はこの胸に手を添えて、頬をくっつけて、抱きつきたかった。 「葎」  首にしがみつこうとした手を捕まえられて、少し強く握られて、ゾクリと興奮が込み上げてくる。 「お前、今、教師を脅してるんだぞ?」 「……うん。知ってる」 「それがどういう意味か」 「わかってるよ」  ずっとずっと捕まえたくて追いかけてた。この手で捕まえてしがみ付きたかった人に、手首を折れそうなくらいに掴まれて、ゾクゾクしてる。 「でも、先生だっていけないことした」 「……」 「二股なんて、先生がしたらいけないでしょ?」  おあいこ、でしょ? 「先生だって、したもん」 「……」  手伝ってください。 「ねぇ、先生」 「……」 「叱って……」  初恋を壊すのを手伝って。 「……」  背伸びをして、不安定なまま、首を伸ばして、そっとそっと、触れた。 「ンっ、ぁっ……先生っ」  唇に触れたと同時、爪先立ちをしていた俺を抱き締めて、触れた唇が先生の舌と絡まり合って、濡れていた。

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