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第22話 スキとキス
――具合、どうだ?
そう何度も何度も車の中で訊かれた。最初、車酔いのほうだと思ってて、「平気だよー」って答えた。でも、あまりに何度も訊くから、心配しないでいいよ、吐いたりしないし、もうずっとバスと電車で通学してるんだから、酔わなくなったよって答えた。
そしたら、俺の頭をくしゃくしゃに撫でながら。
――バカ、そっちじゃない。
そう言って苦笑いを零した。
セックスしたばかりの身体で車の揺れは大丈夫か? そういう意味での「具合はどうだ?」だった。だから、俺は、「とってもとってもとーっても悪い」って答えたんだ。先生の運転は夜なのにずっとノロノロ運転だった。俺の身体のことを気遣ってそうしてくれてるのかもしれない、なんて自惚れて。
ユラユラ揺れる度にそう嘘をついたら、もっと一緒に車に乗っていられるかな、なんて思った。だって。
「……すごい、本当に赤いんだ」
だって、うんと、うんと悪い子じゃないとお仕置きをまたしてくれないかもしれない。うちに帰ったら、冷静になってしまうかもしれない。鏡を見て、肩についた爪痕に後悔をするかもしれない。
「……綺麗な色」
今、自分のうちのお風呂で、鏡に映る自分の首筋を何度も見てはさっきしたセックスが本当のことだったんだと実感する俺みたいに。
先生とセックスしたんだぁって。
直江先生の場合は、生徒とセックスをした、になるけれど。
首と肩のちょうど真ん中辺り、鏡の前で首を傾げると見えるそこに赤い小さな印。先生のキスの痕。
「っ、ふっ……ン」
先生のが、ここに。
「ン」
柔らかい。
「っ」
先生の指も、ペニスも、全然違ってた。こんなに太いんだ。俺の指じゃ、全然違っちゃう。
「ぁっ!」
太さも長さも足りてない。先生のはもっとずっと熱くて硬くて太かった。
「っン、ふっ」
乳首を抓った。先生がしてくれたのを思い出して、きゅって抓ったら、指を咥えた孔がきゅんきゅん啼いてた。
「あ、せ……んせ」
――遅くなったな。
大丈夫だよ。先生。子どもじゃないし。それに。
「あ、ぁっ……ぁっ」
それに、俺はお仕置きされたいくらいのとても悪い子なんだから。
待ち合わせは朝の九時。
山、だっけ。山登り? でも、車で拾ってくれるって言ってたから、ドライブかなぁ。ドライブとか、なんか大人のデートっぽい。
歩道に並ぶお店の一つ、大きなガラスに映る自分の姿を確認した。
今日は暑くなるんだって、天気予報が言ってたけれど、これ、暑そう? 長袖のオーバーサイズのリネンの白シャツにしちゃった。Tシャツは、ダメ。見えちゃうから。
先生のつけてくれた赤い印。
山登りでもいいようにスニーカーで。あ、でもクロップドのパンツじゃ、足首のとこ虫に刺されるかな。でもドライブなら、別に。
それにデートにがっつり山登り仕様じゃ、ビミョーじゃん。
「……」
デート、か……な。
ガラスの反射で映るカップルみたいに、デート、なのかな。今の俺って、デートの待ち合わせしてるっぽいかな。
帽子、変? キャップとかは全然、もう笑えるレベルで似合わない。シュウは似合うんだよね、やっぱ。けど、俺はハット系のほうがまだマシで。でも、ハット系もたいして似合ってないっていうか。けどけど、先生と生徒だから、あんまり顔見えないほうがいいかなぁって。
「!」
窓ガラスのとこ、右から左から、行き交うカップルとかサラリーマンとか、大人とか、その中でぽつんって立ってる、すごいカッコいい人。
「せっ……」
先生って言っちゃ、ダメ、だよね。
「待ち合わせはもう少し先の辺りじゃなかったか?」
「……」
うん。そう。もう少し先。駅前とかは目立つからダメで、その駅のロータリーを右に曲がって、真っ直ぐ進んで、進んで。
――葎が使ってるバス停あるだろ? あそこ。そのバス停の近く、猫のオブジェが飾られてるとこで待ってろ。
その猫のオブジェがあるカフェはまだ少し先。
「車、路肩に止めてるだけだから、早く乗れ」
「う、うんっ」
ねぇ、あのさ、帽子、変じゃない? 山って山登り? この格好で大丈夫? っていうか、この格好変じゃない? あー! っていうか、車乗るんじゃん。帽子。髪ぺちゃんこになっちゃってないかな。失敗した。変になってない? 鏡、ないけど。手櫛でどうにかできるかな。
「今日はずいぶん無口だな」
「……ぁ」
だって、デートなんて、夢でしかなかったんだもん。っていうか、これをデートって思ってるの、俺だけかもしれないけどさ。
「シートベルト」
「あ、はい」
助手席座っちゃったけど、合ってた? 後ろにするべきだった? 帽子、深く被っておけば顔見えないから平気? 帽子、どうしよ。えっと。
「昔……」
「?」
「お前が初等科の頃」
先生が運転してる。骨っぽい手をハンドルに置いて、この前送ってくれた時はもう夜だったから、あんまり良く見えなかったけれど、硬そうな大きな手がカッコいい。
「よく職員室に来ては算数を教えろって言ってたお前に、うちの高等科の生徒が可愛いって言ったことがあったっけか」
「……」
「あからさまに不貞腐れた顔しながら、算数やってた」
そう、だったっけ。あんま可愛いと言われたことは覚えない。でも、真っ赤な口紅をした高等科の女子生徒が先生のとこに遊びに来るのはしょっちゅうだった。その度に、やだって思ったのは覚えてる。それと――。
「でも、俺が可愛いっていうと嬉しそうにしてたっけ」
それと、先生に可愛いと言われて嬉しくなったのは、覚えてる。算数を解ける度に褒めて、頭を撫でてくれたのもよく覚えてる。
蕩けちゃいそうに嬉しかったんだ。先生に褒められたのも、可愛いって言ってもらえたのも、皆に言いふらしたいくらいに嬉しかった。
だって、ずっと大好きだったもん。ずっとずっと。
「ど、どうせ、あの頃に比べたら」
「可愛いと思ったよ」
「……」
「駅前はやっぱり混んでるな。なかなか進まない」
先生のキスはとても優しくて気持ちよかった。先生から何度もキスしてもらえた。俺がキスをすると笑って、頭に触れて引き寄せてくれた。
セックスはやらしくて、甘かった。
揺さぶられる度に苦しいくらいに先生でいっぱいになるのが、溶けちゃうくらいに幸せだった。
あの人が俺に似てるって言ってた。ショートで色白でそっくりだっただろ? って、俺を見て言ったんだ。
誰に似てるのかは言ってくれなかった。
理事長の娘さんのことは好きでもない人とは言っていたけれど、結婚がどうなったのかは教えてくれなかった。
俺の「好き」に返事をしてくれなかった。だから、今、好きって言っても、やっぱりきっと返事はくれないんでしょ?
でも、好きっていうと、キスを、してくれたんだ。
「……好き」
キスを、してくれた。
「帽子、似合ってる」
聞き取れないほど小さな声で褒めてくれた。キスをしながらじゃなかったら聞き取れないくらい、低くて、優しい先生の声。
「ぁ、りがと。先生はすごく、カッコいい」
「……そうか?」
山登り? なら、急がないとダメ? でも、まだもう少し、信号のとこで他の車がまごついてくれますように。
「うん」
まだ、もう少し、停まっていてくれますように。
「先生、大好き」
好き、に答えてくれないけれど、好きっていうとね、キスをもらえるから、だから、もう少しだけ――。
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