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第32話 デートのお誘い
今日は、先生、まだ少し残って見回りがあるって言ってたっけ。そしたら、どこかで時間潰してたら、会えるかな。
連絡、してみようかな。
部活を終えた頃、外では真っ直ぐ降り注ぐ日差しに目が眩む。八月に入るともう練習は午前ばかりになってくる。午後は暑すぎて、道場の中でも相当な温度になってしまうため、練習が禁止されていた。
外に出る前に先生に連絡をしてみようと思った時だった。道場から校舎に続く渡り廊下、その先のところから歓声が聞こえてくる。
OBの大学院生で国塚さんの周りを中東の子たちがぐるりと囲んで騒いでた。
「あ、渡瀬、練習お疲れ」
「……お疲れ様です。練習、見てくださりありがとうございます」
お礼をすると目を細めて笑ってた。
大学も大学院はそう近くないとこにあるはずなんだけど。でも、もうこれで三回目になる。あのアイスの差し入れの日から。
「いやいや、そろそろラストの夏の大会だろ?」
「……はい」
暇、なのかな。そんなしょっちゅう来れるくらいに。
「あ、渡瀬先輩! お疲れ様です!」
「……何、してるの?」
皆が帰らないと俺が居残ってても先生に会えないんだから。早く――。
「今、大学院の勉強ノート見せていただいてるんです」
めっちゃくちゃわからないんですよ。呪文みたいって言いながら見せてくれた。
「すごいですよねぇ。ちんぷんかんぷんなんですよー」
「へぇ」
そう頷いて首を伸ばすと、一人の子が見せてくれた。
これは……たしかにわからない。ちんぷんかんぷんの呪文みたい。
「わかんないだろ」
先輩がにこやかにそういうと、今、俺が見ていたノートのページを確認して、パラパラとめくった。
「渡瀬は来年、大学?」
「……えぇ」
「うちの?」
「はい」
そのつもりでいる。先輩は「そっかー」って呟くと、自分のノートを眺めながら目を細めた。
俺が中等一年の時の部長だった人。すごい優秀だったって聞いてる。成績も運動も。だから、学校の先生たちも一目置いてたって。だって、大学院に進んじゃうくらいだもん。やっぱりすごい人なんだろう。その後、この国塚先輩の次の代の部長は少し気弱そうな人だったけど、俺は、その人のほうが好きだった。
本当に優しそうな人で、朗らかな先輩だった。
「あ、そうだ。ちょうど、部活終わったし、皆の勉強見てやろうか?」
「え! いいんですか?」
先輩のその提案ひとつに一瞬で中等の皆が賑わった。大学院生に教えてもらえるなんて、しかも無料で、なんてさ。すごく優秀な家庭教師が来てくれたようなものだから。
「ほら、うちの学校ってさぁ、夏期休暇の課題量ハンパじゃないじゃん? 俺、毎回、夏休みの前半のうちに終えたくてさぁ、必死だったし」
またもや先輩の話一つに皆が賑わう。あの量を前半で終えるんですか? って。たしかに、前半なんかで終わる量じゃないし、今、それを見てもらえるのなら、万々歳だろう。全員じゃないだろうけど、このまま午後を学校の図書館やどこかのファストフード店で皆でやろうって思って持ち歩いてる子はけっこういるし。本当にそのくらい隙間時間でも消化してかないと。
「弓道場は締めるだろ? じゃあ、どっか出る?」
「え、でも、先輩も課題とか、うちらの勉強みていただくなんて、すごくありがたいですけど、お邪魔じゃないですか?」
そう尋ねると、あはははと、大きな声で笑われてしまった。息抜きになるからちょうどいいくらいだって。
国塚先輩が部長をしていた時、よく、しっかりしてて面倒見がいいと言われていたっけ。
「んー、でも、そしたら、学校の外に弓道部全員っていうのは、ちょっと何かあったら、あれなので、顧問の直江先生に訊いてきます」
「あー、宜しく」
変、じゃないよね。先生に訊いたほうがたしかに良いと思うもん。うん。とくに中等の子たちが入るのなら、尚更そのほうがいいよ。
先生に、伝えておいたほうが、きっといい。
「勉強会?」
「はい」
先生は数学準備室じゃなくて職員室にいた。
なんだ、残念。数学準備室だったらよかったのにって心の中で少しだけ項垂れつつ。
勉強会しますって言いに行ったら、数学準備室にいなくて、がっかりしちゃった。
「OBの国塚に?」
「はい、そうらしくて。中等の子たちが嬉しそうにしてて、お邪魔じゃなければって言ったんです」
お邪魔じゃないし、リフレッシュになると言われてしまったら、もう、断れないし。って、俺は断りたいわけじゃないけれど、ただ先生といたいなぁって思っただけなんだけど。先生はなんだか国塚先輩のことが、あまり。
「そしたら……弓道場は締めて、うちの教室を使え」
「いいんですか?」
うちの教室、先生も三年のクラス担任をしているけれど、残念なことにうちのクラスじゃない。
「あぁ、そうだな、四時くらいまで」
先生は腕時計を見て、少しだけ眉をひそめた。四時、か。
「……はい。そしたら、皆に伝えておきます」
四時、の後って何かあるのかな。じゃないと四時ってなんかちょっと微妙に中途半端な時間じゃない? 五時でもなく、三時でもなく、四時。ほら、その後、着替えて出かけることもできそうな時間帯。大人のデートを、もしかしたら、あの。
「あぁ、それと、渡瀬」
「……はい」
職員室には誰もいなかった。夏休みだもん。普段みたいに先生がたくさんいるわけない。だから、後で先生は校内の見回りをしないといけなくて、何か急な連絡があるかもしれないと、職員室にいないといけなくて。
「葎……」
「!」
一人で職員室でお仕事してた。
「その後、もしも、ご家族に連絡入れてみて許可が下りたら、晩飯どうだ?」
「! う、うんっ」
誰もいないけれど、誰がいつ入ってくるかもわからないから、さっきは「渡瀬」って苗字で。今は、こそこそ内緒話の声だから「葎」って名前で、呼んでくれた。
「うん! 行く!」
「許可が」
おりたら、でしょ? そう先生が言うのよりも早くに答えてた。晩御飯を一緒にしたことはないから。四時、ちょうどいいと思うの。部活終えてからどこかでデートするにはそのくらいの時間帯が一番、いいと思う。夜デートをするのには。
「皆に四時までって伝えてきます!」
ちゃんと敬語で、手をブンブン振りながら。先生はそんな俺に手を振ってくれた。
四時には絶対に終わりにさせますって、強い意志で答えると、手を振って、そして笑っていた。
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