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第34話 俺の、先生

 シュウと晩御飯食べて来てもいい?  そうお母さんには伝えた。嘘はよくないけれど、誰とご飯を食べるのか、そこを正直に話したら、きっと許してもらえないだろうから。  学校の先生と晩御飯食べに行ってもいい? なんて。 「……ここって」 「蕎麦屋、美味いぞ」  急いで着替えて、急いで待ち合わせの場所へ。私服をちゃんと組み合わせる時間があまりなくて、とりあえずあまり子どもっぽく見えないためにカラフル過ぎないように気をつけて待ち合わせの場所へと走った。  先生と晩御飯、先生と晩御飯、って初めてだから少しはしゃいだ気持ちのままスキップでもできちゃいそうな足取りで。  待ち合わせの場所に車を停めて待っていてくれたのはとってもカッコよくてモデルみたいな人。思わず、その場でピョンピョン飛んじゃいたくなるくらい。  そして連れて来てもらったのはお蕎麦屋さんだった。  なんか、ちょっとだけ、意外、かな。  だって、直江先生なら、もっとさ、もっとこう、イタリアンとか、かなって。洋風のレストランとかに行くのかなって思ったいたところで、お蕎麦屋さんだったから。  本当はね、ほらよく映画とかで出てくるような「乾杯」ってグラスを傾けちゃうようなレストランを予想してた。 「天ぷら蕎麦がオススメだ」 「じゃ、ぁ……天ぷら蕎麦で」 「飯は?」 「ううん、大丈夫」  首を横に振ると、くすっと笑って、古ぼけたメニューの冊子を閉じて、誰かを「すみません」って呼んだ。呼び出しのボタンもないし、お店のスタッフが注文をとりにくるとかでもない。  なんだかちょっと慣れない昔っぽい雰囲気のお蕎麦屋さん。  大きな、二車線の道路を曲がって、小さな道を二度三度右へ左へ。一軒家くらいの大きさのお蕎麦屋さんで、入り口には盆栽が並んでいた。  やっぱ、ちょっと意外。  盆栽も、お蕎麦も、それにお冷を飲んでお店の端っこにあるテレビに視線をやる先生も、意外。 「どうした?」 「う、ううん」  その時、暖簾をくぐって割烹着姿の中年の男の人が顔を出した、四角くて無骨な顔にふさふさした眉毛。先生を見つけて、その眉毛をひょこって上げた。 「おや、先生、久しぶり、何? 忙しかった?」 「まぁね、ごめん、天ぷら蕎麦ふたつ」 「はいよー。大変なんだねぇ。先生は」  お店の人知り合いなんだ。じゃあ、よく来るのかな。天ぷら蕎麦がオススメって先生が教えてくれたくらいだし。少しだけ言葉を交わすと、お蕎麦屋さんの店主さんが中の厨房へと引っ込んでいった。 「あ、あの……ここって」 「ちょうど、うちから学校の通勤路にあるんだ」  そうなんだ。  晩御飯をたまにだけれど、ここで済ませるんだって。イタリアンでも、洋風のレストランでもなく、お蕎麦屋さんで。 「こういうとこあんまり来ないか?」 「うん。あんま、ないかな。ファミレスとかはよく行くけど」 「そうか」  ニコリと笑って、先生がなぜか席を立った。トイレ? かと思ったら、ウオーターサーバーだ。お水、セルフサービスなんだ。慌てて手伝おうとしたら、座ってろって言われてしまった。 「先生は、よく来るの?」 「まぁな。最近は忙しくてあんまりだったけど、よく来てたよ」 「そうなんだ」  夕飯、ってこと? そしたら、ひとりでここで夕飯を――。 「へい、お待ち」  運んできてくれたのは、さっきの店主さんだった。  めんつゆの鰹節? かな、いい香りがする。割り箸を割ると、先生は綺麗に、俺は斜めに分かれてしまって、先生に「下手くそ」って笑われた。お蕎麦の味は。 「んんん!」  すごい、すごく美味しかった。俺の歓声に、先生が得意気な顔をする。眉毛を上げて、唇の端だけ吊り上げて笑うんだ。  その笑顔がね――。 「……」  その笑顔が、可愛くて、とても胸のところが締め付けられるくらいに愛しかった。 「葎?」  あ、ここ、外なのに、しかも、先生してるってここの店主さん知ってるのに、いつもどおり、二人っきりの時みたいに「葎」って呼んでくれた。 「なんでもない。先生、すごくこのお蕎麦美味しい」  イタリアンのほうが似合う気がしてたのにね。  ズズズって音を立てて食べる姿も、天ぷらに大満足すぎてしかめっ面になるのも、なんだか先生っぽい。直江先生って感じ。  綺麗な顔をしてるのに、優しくて、初等科の知らない子どもの世話も焼いてくれるあったかい人。 「ねぇ、先生」 「んー?」  でもね、バス停に先生がいると、キャーって黄色の歓声が上がるんだ。素敵って。皆が憧れてる。 「やっぱ、ご飯食べたい」 「だから言っただろ?」 「うん」 「麦飯とろろ、あとは、まぐろ丼」 「うーん、先生と同じの」  麦飯とろろ、かな? なんとなくね、先生ならそっちかなって。 「麦飯とろろ、お願いしたい」  大きな声でそうリクエストを飛ばすと、厨房から返事が返ってきた。先生の大きな声も、なんか、目を丸くした俺を見て、悪戯を楽しむように笑う先生も先生らしいと思えた。  ここにいるのは――。 「先生」 「?」 「大大、大好き」  ここにいる先生は俺だけが知ってるって、そうすごく感じた。思ったんじゃなくて感じたの。恋しさと一緒に。 「ずいぶん脈絡のない告白だな」  今、胸のところで感じたんだ。 「米粒、ついてるぞ」  まだ、麦とろろご飯届いてないのに? それなのに、何かを俺の口元から摘んで、そして、食べちゃった。何を食べたの? ねぇ、先生。今、ぱくって、何を食べたの? まるで関節キスみたいにさ。  好きっていうとキスをくれる先生は今何を食べたんですか?  目は口ほどに、っていうやつなのか、先生は笑ってた。少し困ったように笑って、照れくさそうにシャツの裾を腕まくりした。  なんかね。  なんか、言うと怒られそうなんだけどね。 「ほら、早く残りも食べちまえ」  先生のことを可愛いなんて、思っちゃったんだ。

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