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第42話 ラスト

 先生の実家への一泊二日旅行から数日後、俺たち三年にとって弓道ラストの大会が控えていた。猛暑日を越えた高温日が続いてて練習が急遽中止になっちゃうこともあったりして、ちょっとだけ準備がままならない部分があった。しかも、対戦相手は地区でも三本の指に入る強豪校。さすがに、勝てる見込みはあまりない。  だけど――。  中等科へ進んですぐ、春先に行われる部活動紹介。もうその前から、なんだったら初等科の頃から入る部活は決めていた。  弓道部。  決めた理由は先輩方が模擬的に俺たちの目の前で弓を引く姿のカッコよさでも、道着を着た射者の凛々しさでもなく。ただ、直江先生が顧問を務めていたからだった。  それでも、六年間続けていたんだ。学校もほとんど休まなかった俺はもちろん練習だってかかしたことなかった。  弓道、楽しかったし。  だから、やっぱり、ちょっと勝ちたいって思う。  今日で最後だから。 「……」  先生にもらったカケを使いたいんだ。  最後、だから。 「せんぱぁぁい、カッコよかったです!」 「あはは、ありがとう。負けちゃったけどね」 「わたぜええええ」 「や……市川、鼻水出てる……」 「うぅぅ」  副部長の市川がずびずび鼻を鳴らしてた。  強かったね。さすが強豪校だった。ブレないもんね。とても綺麗な行射姿だった。見事な的中率だった。 「さて、うちらはもう片付け。俺は直江先生のとこに行ってミーティングの時間を聞いてくるから」 「あびがどう。ぞしだら、俺は、国塚先輩のとこに報告しに行ってぐる」 「……う、ん」  そう、あの国塚先輩が俺たちの引退試合を見に来てくれていた。観客席にいるって言ってたっけ。大会前、ラストの練習の時に。  一度、顔を出してからちょくちょく来てくれていた。先輩が現役だった当時の弓道部は強かったし、指導もしてくれるからすごく助かったけれど、先輩が引退してからは一度も顔を出していなかったから、あまりに急に、あまりに頻繁に顔を出してくださるのが不思議だったんだ。 「……」  からかわれたし。前に、トイレで。  忙しい忙しいっていうわりには、大学院生って暇なのかな。 「さ、ほら、じゃあ、皆も。お別れ会を兼ねたバーベキューがあるから、今は撤収作業!」  まだ泣いていた子たちの背中をぽんと叩いて、その場の片付けへと急かした。 「先生!」  会場の廊下、逆行になってるせいで先生の姿がほぼ影色でわかりにくくても、それでもシルエットでわかってしまう。迷うことなく声をかけると先生が振り返った。ほら、やっぱり直江先生だ。 「渡瀬」 「……はい。全員、集合してます」 「あぁ」  今日は「先生」、ワイシャツにネクタイ、スラックス、きりっとした背の高いカッコいい先生。腕まくりは、ちょっとドキドキしてしまう。筋肉質の腕から手の甲にかけての筋っていうか、ラインがすごくセクシーで。 「お前な……」 「?」 「指先余ってなかったか?」 「……」  カケ、そう、大昔、もらったばかりの時は指の長さが違いすぎて、すごく余ってたっけ。  懐かしい。  あの時は、貴方にこれをもらえてすごくすごく嬉しかったんだ。だって、先生の手に触れてるみたいでしょ? 先生が使った分だけ刻まれた皺が俺の握る時の関節の曲がり方と違う、ただそれだけで嬉しくてずっと持ち歩いてた。今でももちろん嬉しいよ。大喜びする。 「あんな古びたの、まだ持ってたんだな」 「持ってるに決ってます」  先生のことが大好きだもん。 「俺の宝物なんです」 「……大袈裟だ」 「大袈裟じゃないし。本当にっ」 「……あぁ」  貴方のことが大好き。 「そ、そしたら、直江先生、お忙しいと思いますが、三年生たちから挨拶、させてください」 「……あぁ、わかった」 「皆を呼んできますねっ」  やだな。なんか泣きそうで慌てて駆け出した。別に会えなくなるわけじゃないのにね。これからだってまだあるんだから。部活の接点はなくなってしまったけれど、もっとちゃんと繋がってるんだから、泣くことなんてない。  今は、もう――。 「直江先生、長い間、ご指導くださりありがとうございました。私たちは――」  今はもう大丈夫なんだから。  なんで、そんなふうに思っちゃったんだろう。 「……え?」  なんで、平気だなんて、安心してしまったんだろう。 「直江、先生が?」  あの日、部活を引退した日、もっと先生と話せばよかった。  その翌日、弓道部全員参加でやったバーベキューで、強引にでも先生と二人っきりになっておけばよかった。  なんで、もう最後だからと後輩たちとしゃべってたんだろう。  なんで、部長だから、顧問だからと、大会の帰り道、別々に帰ってしまったんだろう。 「体調……ふりょ……」  どうして、いつ最後が来るかを怖がらずにいたんだろう。ずっと怖かったのに、なんで、怖がるのをやめちゃったんだろう。  もっと話せばよかった。先生って、いつもみたいに甘えた声で囁けばよかった。  キスをすればよかった。  最後かもしれないのに。  セックス、すればよかった。  もう二度とできないかもしれないのに。  どうして、いつまでも先生って呼んでいられると思ったんだろう。 「なんかぁ、理事長の娘とさぁ、結婚がっつってたの、蹴ったんでしょ?」 「すげ、それで謹慎? マジで?」 「どーなんだろー。なんかさ……」  ――うちの生徒となんかあったんじゃないかっつってた。  こそこそと、でも、やたらと大きく聞こえた。 「……嘘、でしょ」  まるで晒すように、職員室の掲示板に張り出された一文に眩暈がする。 『三年一組担任 体調不良のため しばらく』 「休職……」  どうして、あの時、先生のこと――。 「っ」  溢れてくる後悔に言葉も体温も一瞬で消えて、しまった。

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