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第44話 醜態
――なぁ、なんかさ、仕組まれてるっつうか。おかしくねぇ? わかんねぇけど、フツーそんな一瞬で噂って広まるもん? 朝一だぜ?
シュウのクラスもうちのクラスも噂の内容は全く一緒。
――葎、先生の周りとかでさ、最近、おかしなことなかった?
最近、おかしなこと。
「はぁ、はぁ、はぁっ」
あったよ。
「えっと、銀行のとこを右……」
そこからコンビニが見えたら、あと、もう少し。
「っ、はぁっ」
来たことはないけれど、うちの大学院。
高層ビルがあった。コンクリートの門のところには銅版にうちの学校と同じ名前を持つ大学院名がしっかり刻まれている。石畳があって背の高い街路樹が四本、均一に並んだその奥に、大きな大きなガラス張りのエントランスがあった。人の気配はなくて、中に入るのを普段の俺ならきっと戸惑っていたと思う。
けれど、迷うことなく中へ入って、先輩のことを呼び出そうと思っていたんだ。
「すごいな。まさか乗り込んでくるとは」
国塚先輩を。
「もう、かなりの噂になってる?」
「……先輩」
「数日ぶりだな」
先輩がベンチに座って本を読んでいた。でも、ここに場違いな高校生の俺を見つけて、笑って、その読んでいた本に赤い紐を挟むと、本を閉じた。
ぱん――って、本が空気も閉じ込めるように、閉じた瞬間音を立てる。そして、きっとこの先輩以外は皆、真面目に講義中なんだろう、耳鳴りがしそうなほど静かなで、先輩の革靴の足音が石畳の上で響き渡っていた。
「何をしたんですか?」
「んー?」
最近あったおかしなこと。
最近、OBがずっと練習に付き添っていた。忙しいというわりには練習日にはずっと顔を出してた。もちろん俺たちの最後の大会も「応援」しに来てくれていた。だから、その翌日のバーベキューだって招待した。
俺が中等科に入ってすぐ引退した先輩が、その後何年も来てなかったのに、ここで急に、超多忙な大学院生のはずの先輩が、夏休みの練習ほとんどに顔を出していた。
「むしろ、何かをした……いや、してたのは、そっちだろ?」
クスクスと、不敵に笑う。
「ん?」
「……」
「違う?」
目を細めて、薄い唇を歪ませて。その表情は冷たくて、まるで。
「まるで俺が悪役みたいになってる? なぁ、渡瀬?」
「……」
「違うだろ? 悪いことをしてるのは、お前と、先生のほうだろ? 教師と生徒、同性、いくつ歳離れてんの?」
「……」
「エグ……」
心臓が痛い。
「普通にただならぬ雰囲気って感じ出してたのそっちだろ? 教師と生徒、のわりにはお互いに、目で会話しちゃったりしてさぁ」
苛立ちで心臓が痛くなる。
「最後の大会の時なんて、めっちゃ良い感じだったじゃん? あのままラブホでも行きそうなさぁ」
貴方の、その笑い方のほうがよっぽどエグいよ。
「バーベキューの時は青姦くらいするのかと思ったけど、しなかったな。いやらしいことしてんのを激写しようと思ったのに、ざんねーん」
貴方のしていることのほうがよっぽど、いやらしいよ。
「先輩……」
「何? その、非難めいた目。フツーに考えて、悪いことしてるのそっちだろ? なぁ、バレて謹慎になるようなことしてる先生と、バレたらどうなるのか想像しただけで大変そうな生徒、お前らのほうだろ? なぁっ!」
酷い顔、酷い言葉、酷い笑い、醜い。
「一回トイレでさぁ、カマかけてみたけど、見向きもしなかったな」
「……」
「先生だけが好きってか?」
醜すぎて、心臓が燃えたように熱くなって息がしにくい。貴方なんかに、お前なんかに。
「っ貴方にっ」
「葎」
先生のことを一つだって悪く言わせない。先生は――。
「……葎」
「……」
「お前、学校だろうが」
先生は、ただ俺のことを好きになってくれただなのに。
「直江、先生」
「全く、サボって何してんだ。こんなところに来るなんて」
「先生っ、あのっ」
ふわりと笑って、俺の大好きは大きな手で頭を優しく撫でてくれた。
「バカだな」
「せんせっ」
「大丈夫だ」
大丈夫じゃないよ。ねぇ、だって、先生、学校来れなくなってるんでしょう? きっと、表面に出てないだけで、隠された場所ではもっと嵐のようなことが起きてるんでしょう?
「大丈夫じゃないでしょう? 直江教諭。大問題だ。教師が生徒と肉体関係。しかも、同性。ニュースになる事態だ。もうクビで済めばラッキーなんじゃない?」
「……直江教授のポイントは稼げたか?」
「!」
「もう少し賢くなったほうがいいぞ」
先輩の顔がみるみるうちに青ざめていく。血の気が引くというよりかは、体温が消えていくような青白さ。
「あの人は……難しい」
「なっ! 何を!」
「成績を操作なんてそう簡単にできることじゃない、そう言われて突っぱねられないようにな。そもそも自分は完全蚊帳の外でいるつもりなんだろう。今のお前の話じゃ、まるで、葎にちょっかいを出したけれど無視された腹いせで俺とのことを暴露したみたいになっている。それだってあの人の指示だろ? 人形扱いだ。使い捨てられるぞ。直江教授は」
直江教授って、先生と同じ苗字。でも、あの人って。
「愚かな人間が大嫌いだから」
「!」
「こんなことに労力費やしてないで、ちゃんと勉強を頑張ったほうがいいぞ」
あの人って、一体。
「葎、帰るぞ」
「え、先生?」
「もう、先生じゃないけどな」
「せっ……」
手を繋いで引っ張ってくれた。チラリとこっちを見て笑って、小さな風が吹き込んできていて、揺れた前髪。この辺は海には程遠い場所なのに。その笑った顔はあの日、先生と歩いた海岸線沿いで見せてくれた笑顔と同じだったから。
「……先生」
潮の匂いがした気がした。
あの日に、先生の前髪を揺らした、潮風を感じた気がした。
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