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第50話 手と手を
通い慣れた海岸沿い道は日陰なんてなくて、日差しは凶悪なほどに強烈で、さすがにしかめっ面になってしまう。
これじゃ、アイス溶けちゃうかなぁ。急いで帰って冷凍庫に入れたら、夜にはまた凍ってるかな。
「あっつ……」
つい、そう呟いて、坂をゆっくりと歩いていく。蝉の鳴き声がすごくて、地面にくっついた自分の影は濃くアスファルトは眩しいくらいに日差しに晒されて。
いいなぁ、小学校の先生は八月、ほとんど休みなんだもの。なんて言うと、毎日じゃないだろって渋い顔するけど。大学生の俺は夏休みを呪いたいとしか思えない教授たちからの課題という名のプレゼントに追われてる。だからとっても羨ましい限り。でも、大丈夫。先生に家庭教師してもらうもん。
それで、ちゃんとお勉強が終わったら、アイス食べよおっと。二人で、一緒に。
「あっつーい……」
先生と今、一緒に暮らしてる。
まだ、親には相手が先生とは言ってないけれど、男性とルームシェアをしていることは言ってある。じゃないと、色々不都合があるから。家賃もそうだし、うちへ様子を見に来たいって親が言うかもしれないから。
ルームシェアなら、ね。友だちともするでしょ?
先生の生まれ育った家の手前には長い坂がある。この坂のきつさは、夏はやっぱり、ね。ちょっとしんどいんだけれど。でも、ちょっと好き。
ここを歩く度に、あの日のことを思い出すから。
去年の夏、ここに初めて連れて来てもらった時の高揚感を。あの人の一番深い内部に自分がいけた気がした時の気持ちを。
「ったく、お前、電話寄越せ」
「! 先生」
「帽子、忘れて、何してんだ」
「だって、今朝寝坊だったから慌てちゃったんだもん。途中で、あ、うちに忘れたって思ったんだけど、坂下りた後だったから」
今の俺はその深い内部を先生と一緒に共有できている。あの日「先生の生まれ育った家」だった場所を「うち」って言えることが嬉しくてたまらない。
頭の上にポンと置かれた帽子にほんの少し熱が収まった気がした。
「車で迎えに行くって言っただろ?」
「……うん、でも、今日は暑いから」
「暑いから、だろうが」
だって、先生も大変でしょ? 夏休みだからって、今日はたしか学校のプールがある日だもん。先生は半日プールで、はしゃぐ子ども達にヘトヘトになっちゃうでしょ?
「ほら、買い物」
「うん……ありがと」
自然に差し出された手に、一つだけ荷物を――。
「ねぇ、先生、俺も持つってば」
けれど貴方はその大きい手で二つ持っていってしまう。でも大丈夫だよ。
「ねぇってば」
俺、もう子どもじゃないよ? 先生。
「いいんだよ。別に」
「紳士だなぁ」
「お前にだけだ」
「えー、嘘だぁ」
嘘だぁ。皆に優しいの知ってるんだから。生徒にも、ご近所さんにもすごくすごく優しいじゃん。
「下心付きの親切は」
「!」
ぴょこんと跳ねた気持ちを見破って、先生が悪戯を楽しむ子どもみたいに笑った。笑って、そして、やっぱり荷物を二つ持ったまま歩いて行ってしまう。
下心があるから優しくしてくれるんだって。
ズルい。そういうの、俺が大喜びするってわかって言ってるんだもん。でも、俺はまんまと喜んでしまうけれど。そんなふうに笑うのも、そんな下心を持つ相手も、俺だけなら、良しとしようって、嬉しくなってしまう。
「ほら、帰るぞ」
「はーい」
仕方がない。じゃあ、荷物を二つ持たせてあげよう。そうなっちゃうのを先生はわかってるんだもん。
「それで資料捜してたら、学食がさ、混んじゃって」
「あぁ、学食狭いからな」
「うん。だから、お弁当もいいなぁって思って、冷食いっぱい買ってきちゃった。ついでにアイスも」
先生の好きなチョコチップと俺は新味に挑戦してみようかなって。カスタードプリン。甘すぎるかなぁ。でも、甘いのがいいなぁ。……太る、かな。
「作ってやるよ」
「え?」
先生が手に下げていたエコバックを持ち上げ、横に数回振って見せる。
「弁当、にするんだろ? ちょうど夏休みだし」
びっくり、しちゃった。
「は? え? 先生? 何言って」
お弁当って、お弁当だよ? お昼に食べるの。学食は狭いし混んでて、課題とかがたくさんだとお昼にありつけるかどうかって感じになるから。だから大変だったんだぁって話してた、そういうお昼ご飯のお弁当だよ?
「だから、弁当、作ってやる」
「! だ、だって、そんな」
「言っただろ?」
先生の作ったお弁当?
「お前にだけは下心あるって」
「!」
「毎日の弁当作り」
それに見合った下心って一体どんな。
「なんだったら、ずっと作ってやろうか?」
それと同等の下心って、まるで、それって。
「そぼろでハート形とかな」
まるで。
「さてと」
「え、ちょ、先生」
「ほら、帰るぞ。アイスが溶けちまう」
「ま、待ってってばっ!」
通い慣れた海岸沿いの道は日陰なんてなくて、日差しは凶悪なほどに強烈で。先生の生まれ育った家の手前には長い坂がある。この坂のきつさは、夏はやっぱり、ね。ちょっとしんどいんだけれど。
「先生!」
いつか、慣れて、先生みたいにへっちゃらになるのかな。
毎日歩いてたら、数年後にはこんな坂ちっとも大変じゃなさそうに上れるようになるのかな。
「先生! ってば」
手を伸ばした。
いつもみたいに、手を伸ばして捕まえようと。けれど、いつだって先生はするりと俺の手を抜けていってしまう。いつだって捕まえられなくて追いかけるばかり。この手は――。
「ほら。葎」
「……」
先生の大きな手が迎えに来てくれる。
「……葎」
この手を愛しい人と繋いで、ほら。
「せんせっ」
どんな坂道だってなんのその、って、二人で一緒に歩いていくんだ。
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