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クリスマス編 3 大人

 それはまるで魔法のようだった。 「先生の、なんか違う? なにそれ」 「? あぁ、そうか、初等科のネクタイはゴムなのか」  ゴム? そうなの? 「葎のお父さんもこうしてネクタイをしてるとこ、見たいことないか?」 「ううん。ないよ。朝ごはんの時にはもうネクタイしてるもん」  なるほど、そう先生は呟くと、少しだけ笑って、また魔法の続きをその指で、その襟元に施していく。  シュルシュルと触り心地の良さそうな音をさせて、長い指が、骨っぽくて、僕のとはまるで違う指が、ネクタイを綺麗にくるくるとその首に巻きつけてしまう。  パチン、って留めるんじゃないんだね。  いちいち、そんなふうにしないといけないのは少し面倒くさそう。  でも、先生みたいに、すごい速さでできてしまうのなら、全然面倒じゃないのかもしれない。 「……カッコいい」 「そうか? ただのネクタイだ」  そんなことないもん。 「お前もしてみるか?」 「! いいの?」  なんてことだ。 「したいしたいしたいしたい!」 「ほら、こっちに来い」  なんて、素敵な日なんだ。そう全身で表したくてスキップ混じりで駆け寄ると、こんなことでそう盛大に喜ばれるとは思わなかったって、また笑っていた。 「OB会?」  言いながら、そのOBっていう響きに少し警戒心が芽生えてしまうのは、あの先輩のことがあるからだろう。 『んー、なんかそうなんだよ。俺は、葎はたぶん無理だと思うって先生に言ったんだけどさぁ』  シュウからの電話だった。大学の講義のあと、資料室で次の研究の資料を探していて気が付かなかった。電話、資料室では禁止だから。さぁ帰ろうと思ったところでシュウからの着信を発見した。テキストと問題集を鞄に詰め込みながら電話をかけ直すと、開口一番、シュウに謝られてしまった。 『そっちから、こっちに出てくるのって、大変だろ?』  俺はエスカレータ式で進学しなかった。シュウはあのまま順当に大学へと上がった。ほとんどの生徒がそのまま大学へ行ったんじゃないかな。今年はなんかその進路を選んだ生徒がすごく多かったって言っていた。  外部の大学へ進学していったのは二割にも満たなかったって。  それで、この冬、進路をこれから真剣に選ばないといけない二年生、それともう選んだ進路先の様子を知りたい三年生に向けて、OB会という形で講義を行うらしい。 「んー」  ちょっとめんどくさいかなぁ。電車だと、行きは良くても帰りがめんどくさそうなんだよね。  どうしようか迷いながら、大学の校舎を出ると風が冷たくて自然と肩が縮こまる。海風は冬になると冷たさがすごくて、頬がヒリヒリと痛むほど。 『まぁ、断るだろうなぁって思ったんだけどさぁ。久しぶりだし、俺としては飲みに行きたいかなぁとかも思ってさぁ』 「んー」  どうしようかな。  クリスマスがさ、近いんだ。先生はいらないって言ってたけれど、そんなの知らないもん。俺が先生にあげたいだけなんだもん。  都内のお店とかなら素敵なネクタイがありそうだなぁって。カッコいいでしょ? 先生のネクタイ姿はドキドキしちゃうんだ。だから俺が選んであげたネクタイをクリスマスプレゼントにしたいなぁって。 『先生に訊いてみてよ』 「うん」  シュウはもちろん、二人で暮らしていることを知っている。なんなら俺が先生への気持ちを自覚する前から、シュウは知っていたんだってさ。見てれば誰でもわかるほどだったぞって呆れられた。  教えてよって、言ったら。  自覚ないとは思わなかったって、笑っていた。 『そんで? 最近、そっちはどう?』 「こっち? 寒いよー。すっごい寒い。シュウがこっちに来ればいいじゃん。お魚の美味しい飲み屋さんがあるんだ」  先生と一緒に行ったの。金目鯛の煮付けがすごく美味しくてね。おかわりしたいって思ったくらい。 『えーやだよ。遠いじゃんか』 「え? それ、今さっき、俺のことをOB会に招いた奴が言うわけ?」 『あははは』  あははは、じゃないってば。  俺も二年生、三年生と出席はしたけれど、あまり覚えてない、かな。  二年の時は、先生のことをたくさん見られるって、そっちばかり意識してて、後で先生に叱られたっけ。  三年の時にはもう先生は……。 『とにかくさ、一応、考えておいて。数人外部へ進学した奴も来るらしいけど』 「うん。わかったぁ……あ」 『?』  三年の時にはもう先生はいなかったし、俺は外部の、ここの大学に通うことに決めていたから、OBの話なんてどうでもよかった。 『葎?』  先生だ。先生が大学の校門のところに立って、星を眺めてた。 「なんでもない! 訊いてみるね!」 『っぷ、わかりやすい奴』 「? シュウ?」 『なんでもねぇよ、早くしたほうがいいじゃね。待たせるの。寒いんだろ? そっち』 「うん、それじゃあ、また」  あぁ、そう言って電話を切ったシュウは微かに笑っているような気がした。 「せんせー!」  手を大きく振って、おーいって、あの人が一秒でも早くこっちを見てくれないかなって。 「なんで? 今日、学校終わるの早いね」 「あぁ」 「やった。一緒に帰れる」  手を自然と繋げた。寒いからって言って繋いだ先生の手は少し冷たい。少し、待たせてしまったのかもしれない。 「星が綺麗だねぇ」 「……あぁ、そうだな。お前、マフラーは?」 「エヘヘ忘れちゃった」 「お前ね」  見上げると、まさに満天の星空。その星空の下、呆れたと溜め息とついて、先生がマフラーをくれるから慌てて遠慮しようとしたんだけど。  かまわず首をぐるぐる巻きにされてしまった。 「綺麗だな」  不思議。自分が話す度にふわふわと立ち込める白い吐息は邪魔っ気なのに。 「あ、ねぇ、先生」  どうして先生の唇から零れる吐息の白は邪魔に思わないんだろう。 「あのね、シュウが……」  食べてしまうことはできないだろうかと思うほどで、先生が首を傾げてキスをしてくれそうだったから、少したくさん息を吸い込んだ。  貴方の吐息を食べられるようにって。 「シュウがね」  そう呟いた拍子に俺の唇から零れる白を食べるように、先生がまた、キスをしてくれた。

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