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第2話
「お誕生日、おめでとう、春川ちゃん。」
小さな湯呑をテーブルに置くと、アンドーさんはにっこりとほほ笑んで俺に言った。
続けざまに誕生日のお祝いを言われるなんて。なんだか照れてしまう。
「ありがとうございます。…へへ」
(……!!)
思わず頭を掻いたそのとき、キッチンからヒミズさんがお盆を持って現れた。
無意識に、半端ない速さで手を下ろして“気を付け”している。背筋がピーンと伸びたのが自分でもわかる。
ヒミズさんがちらりと俺を見た。
今日は黒いエプロンを付けている。真っ白なシャツが細身の躰によく合って、腰から下を覆う黒いソムリエエプロンが腰のラインを際立たせる。ああ描きたい …って、それどころではない!
「おはようございますヒミズさん!ねっ、ねぼうしてしまいましたごめんなさい!」
もはや素振りに近いヘッドバンキングレベルのお辞儀に、アンドーさんがくすっと笑ったのを頭頂部で聞く。
「体育会系男子みたいよ春川ちゃん。」
さっと体を起こすとヒミズさんは俺から目を逸らし、俺を無視してテーブルにお盆を置いた。
ああ~。怒ってるのかな。近くで見ないとわかんないんだよな~、ヒミズさん感情表現ヘタだから。
(また失望されたかな、俺…)
「別にいいわよねえ寝坊くらい。誕生日だし。」
アンドーさんが横からフォローをいれてくれたが、ヒミズさんは相変わらず仏頂面でテーブルに小さな土鍋のようなものをセッティングしている。…じゃなくて、土鍋だ。今朝はお粥かな?
「ハルからおはようのキスしてくれたー。ハルのほうから。」
ちょっと!
「あんたが春川ちゃんを通してあげなかったからでしょ。丸聞こえよ。ばかね。」
「はははっ」
店長が笑いながら軽く体当たりをするようにして俺をさらにダイニングテーブルへ向かわせる。
なんてことを言うんだ店長…ヒミズさんに誤解されたらどうするんだ。
店長はヒミズさんのことが好きだから、今のはヒミズさんの嫉妬を誘いたくて言ったんだろう。
店長は、俺とヒミズさんをくっつけたがっている。ヒミズさんが俺のことを好きなんだと勘違いしているからだ。なのに平気でこういうことを言う。俺も気持ちも知らないで…
…ん?俺の気持ちって…
そもそも、どうしてヒミズさんに誤解されたら困ると思ったんだ?俺は…
まとまらない思考のままダイニングテーブルまで来ると、テーブルには、今朝は真っ黒のテーブルクロスがかけられていた。ヒミズさんのエプロンはクロスの色に合わせているようだ。奥の真ん中の席に、黒茶色の厚手の板が乗せられてある。
板の上にはおしぼりとレンゲと、一人前用の白い土鍋と小皿が数点。やっぱりお粥みたい。小皿は3つあって、一つ目にはナッツ。松の実だ。
ナッツ類はヒミズさんの『お気に入り食材』。サラダやスイーツだけでなく、お粥や雑炊にも細かく砕いたものが薬味代わりによく添えられている。
それから、青菜が入った白い小皿。もう一つ、黄金色の、パンを揚げて千切ったようなものがある。
一人前ということは、やっぱり店長はもう朝ごはんを済ませている。うーん、裏切者。
配膳を終えたらしいヒミズさんはキッチンへ戻ってしまった。
アンドーさんと店長に挟まれる形でテーブルに座り、温かいおしぼりで手を拭いて、遅刻したお詫びを言い足りずモヤモヤした気分のまま手を合わせて「いただきます」をする。
左右のふたりがじっと俺を見るので食べにくそう。だがこれも寝坊した罰だ。店長に至っては頬杖をついてあからさまに俺に顔を向けている。無だ、無になれ。朝ごはんに集中だ。
土鍋の蓋のうえには小さな白い布巾が乗せられていて、ヒミズさんの細やかな気遣いに敬意を表しながら布巾ごと蓋を掴んで土鍋を開ける。
ふんわり。
ほかほかした湯気が鼻先にまとわりつくのと同時に鶏ガラとショウガのいい匂いが鼻孔をくすぐる。
ああ。今朝は中華粥だ。
添えられていた陶器製の白いれんげでお粥を掬うと、ご飯粒はすでに煮込み過ぎて割れてしまっていて、俺が寝坊したせいかな、とまた少し残念な気分になりかける。すると、横からアンドーさんが「アラ、本場っぽくなって今の方が美味しそう」と言ってくれたので、これで正解なのかとも思う。
「お米の花が咲くっていうのよ。」
俺の頬にくっつきそうな勢いでお粥を覗き込んでいたアンドーさんがそう言いながらすっと離れ、そこに割って入るようにヒミズさんの腕が伸びる。
「近すぎだアンドー。食べづらい。」
「だって若い子の寝起きの肌って吸い付きたくなるくらいおいしそうなんだもの~」
―― ことん。
横長の木の板の上にさらにお湯のみが置かれた。アンドーさんが飲んでいた小さくて薄い湯呑ではなく、店長の実家に来た時にいつも俺が使っている縦長のシンプルなぐいのみ。今日はその中に、緑茶ではなく中国茶が入っているらしい。
ヒミズさんに何か言おうとして、でもヒミズさんはまたさっさとキッチンへ戻ってしまった。
仕方なく、掬ったお粥を口に運ぶ。
―― ふう。ふうう。
息を吹いて熱い食べ物を冷ますとき、いつもヒミズさんの「ふうふう」を思い出す。俺が熱を出した時、ヒミズさんが作ってくれた特製雑炊をそのまま食べようとして俺は舌を火傷しかけた。するとヒミズさんが器をすっと取ってくれて、器の中の雑炊を「ふうふう」してくれたのだ。
あのときの、あたたかな空間と満たされた気持ちとを心の中でなぞるたび、俺の心は優しくほぐされ、じんわりとぬくもる。
はふっ…
(………!)
んなー!やっぱりおいしい!
温もりが胸の中心に向かって降りていく…
とろとろになったお粥には柔らかくほぐされた鶏肉が入っていて、濃厚な中華スープのなかでとろけかかった長ネギがいいアクセントを醸し出している。
「その油条 入れたらさらに美味しいわよ。」
「んんよう?」(飲み込みながらしゃべってしまった。)
「揚げパンみたいなの。」
「松の実もおいしいよ、ハル。」
うん、うん、うま!
それぞれの小皿の中身を少しずつ散らして味の違いを楽しんでいたが、どの小皿も美味しいので最後は全投入してかき混ぜながら食べる。
朝からこんな美味しいものを、素晴らしい景色(中庭)を眺めながら、素敵な人たちに囲まれていただける俺ってなんて幸せ者なんだろう。
「ハル、食べ終わったら買い物へ行こうよ。」
「え?お店の買い出しですか?」
「ちがうよ、誕生日でしょ、ハルの。きみのプレゼントを買いに行くんだ。」
えっ。
「アラよかったわね春川ちゃん!ここぞとばかりに好きなものたくさん買ってもらいなさい。純金なんていいわよ、価値が変わらないから。純金たくさん買ってもらいなさい。」
「アンドー、きみさあ…」
「…あ、の…、すみません、」
実は、俺…
そう続けようとして、
「ヒミズー、ぼくもアンドーと同じ凍頂烏龍茶飲みたいー」
「アタシもおかわりー」
言うタイミングを逃した。どうしよう。
と、ヒミズさんがキッチンから再び現れた。今度は小さめのお盆の上に、あれは、ゴマ団子…確か名前は、芝麻球 。きっとデザートだ。さすがヒミズさん、今朝は中華で統一するんだ。
飲み干すようにして一気に食べ終えていた土鍋が下げられ、代わりに、2つのゴマ団子が乗った陶器のお皿が目の前に置かれる。
香ばしくていい匂い。俺が知っているものより少しだけ大き目サイズ。これも手作りなんだろう。
ヒミズさんは土鍋と小皿を持ってきたお盆に移すと、再びキッチンへ戻る。
「春川ちゃんには誕生日 ケーキを用意しているのかと思ったわ。」
ヒミズさんの背中に向かってアンドーさんが言い放つ。ああ、やめてください余計なこと言うの。俺は内心ハラハラする。
出し直されたおしぼりでまた軽く手を拭いて、ゴマ団子を手に取る。温かい。やっぱり出来立てかな。
温かなゴマ団子にかぶりつこうとすると、ヒミズさんがすぐに戻ってきたのでつい視線を向けてしまう。
ヒミズさんは今度は四角いお盆にせいろを乗せてきた。せいろといっても、ざるそばを乗せるものより少し分厚い。せいろのうえには急須と、口の広い陶器製のシンプルなポットが乗っている。お盆にはせいろのほかに、お湯呑みと、お湯が入っているらしき銀製のポット。
ああ、何度か見たことあるぞ。中国茶を本格的に楽しむキットだ。(『キット』って、俺…)
ヒミズさんはアンドーさんの横でお盆を置くと、立ったままおもむろにお茶を淹れ始めた。
お湯をさばく手つきがあまりにもきれいで見とれていたら、ヒミズさんがちらりと俺を見た。
「食べないんですか?」
ああそうだった、見られるのがいやなんだ。
急いで手元のゴマ団子に視線を戻すと、アンドーさんがこっちを見るのがわかった。肩を小さく揺らして笑う。
「アンタの反応が見たいのよ。」
目の端でヒミズさんの動きが一瞬だけ止まる。あ、今、イラついたんだな。
ヒミズさんは感情をほとんど表に出さないけど、最近は少しだけわかるようになってきた。
イラついたとき、驚いたとき、照れくさいとき、そして、うれしいとき。
ヒミズさんは照れるとほんの少しだけ耳を赤くする。色白だから、よく見ているとすぐにわかる。
うれしいときはさらに赤くなる。頬がぽっと上気したような桃色になるときもあって、こういうことを言うと悪いけど、本当にかわいい。
見られるのを嫌がるのは、そういった自分の感情を他人に悟られたくないからだと俺は思う。そういうところ、感情や考えをすぐに人に悟られがちな俺と似ている。『似ている』、なんておこがましいけど、ヒミズさんをより身近に感じられて俺はうれしい。(いやだよね、ヒミズさんも。)
昔、俺はヒミズさんのことを怒ってばかりいるひとなのだと思っていた。
最近わかってきたことだけど、ヒミズさんが俺に怒ることって滅多にない。と、思う。少なくとも理不尽な怒り方はしない。(店長はよく怒られているけど理不尽ではないし怒られている本人は全く気にしてない。)
ヒミズさんのそういう部分がようやくわかってきた俺に自分で敬意を表しながら、ゴマ団子にかぶりつく。
(…ん、おいしひ…)
香ばしいゴマともちもちした生地、そのあとで甘い餡が口の中でハーモニーを…
……ん?
…なんだ、この…酸味?
中庭を見ながら幸せを噛みしめていた視線をゴマ団子に戻す…と、そこには驚くべきものがあった。
こし餡の中に、いちごがある。
…いちごがある!!
「びっくりした?」
なぜかアンドーさんが嬉しそうに言う。
びっくりするもなにも、これは、いちご大福ならぬ、いちごゴマ団子!!
ンお……ッ!合う…!噛みしめるたびに広がる酸味と甘みと香ばしさ!
これは……革命だッ!
ゴマ団子革命だ!!
「すごいですこれヒミズさん!!」
ヒミズさんはお湯呑みにお茶を注いでいるところだった。
手つきがふと止まり、そのあとで耳が徐々に、徐々に赤くなる。
見続けると可哀そうなのでゴマ団子に向き直って、残りのゴマ団子をまた一口ほおばり、味わう。
やっぱりおいしい。いちごが入っている前提で食べるとまた新たな視点で味わえる気がする。
「これは…カフェでも使えるかも。女の子もぜったい好きそうです。」
頭の中にカフェでの光景が思い浮かぶ。これを食べて驚きを伝えあうお客様たち。
……いい!ぜったいに喜んでいただける!
「常連さんで試してみますか?あっ!」
そうだ!
「カフェでは小さなポットであたためた練乳を添えたらどうでしょう。いちごですし。練乳が添えられていたらきっと不思議に思うけど、割ってみたらいちごが出てくるからなるほどね、…って、これもすごく楽しいと思いませんか!?」
妄想が止まらない。
「あたためたココナッツミルクでもいいかも…メープルを添えてもコクが生まれる気がする…夏なら冷やしてもイケそう…餡の代わりにアイスクリームというも面白いか…皮の部分はもっと甘くして、サクサク感を持たせてもいいかもしれません、どうでしょうヒミズさん!」
気付くと俺は椅子から立ち上がってヒミズさんを凝視している。ヒミズさんは完全に動きを止めて、俺をじっと見ていた。うん、あれは、試す価値ありと判断してくれている!
「やりましょうヒミズさん!試作品作りましょう俺手伝います!」
「ハル。」
店長にパジャマの裾を引かれる。
「ハル、お買いもの。」
「あっ、それなんですけど店長、実は俺、今日はやりたいことがあって。」
店長が少し驚いた顔をする。
「なあに?せっかくの誕生日なのに。」
アンドーさんが続きを聞いてくれる。
「あの俺、自分で自分のバースデーケーキを作ってみんなに食べてもらいたいんです。俺が初めて店長たちに出会って、ヒミズさんが作ってくれたバースデーケーキ、あれをいちから再現したいんです。」
やっと言えた、今日の目的。実はずっと前からやってみたいと思っていたことだった。
「ヒミズの…あの、チョコレートケーキ?」
「はい、だから今日の買い出しは、ヒミズさんに手伝ってもらいたくて… …忙しいとは思うんですけど…」
ヒミズさんの顔色をちらりとうかがうと、ヒミズさんは少しあって口を開いた。
「…残念ですが春川、いちからというのは無理です。なぜなら、あのケーキのスポンジには、」
知ってる!
「生地にラムレーズンが練り込まれてあるんですよね!ブランデーも入っていたけど、食感が独特だったから、俺なりに考えてみたんです!」
ヒミズさんの瞳孔がわずかに開く。あたり!
「それで俺、こないだから家でラムレーズンを何回か試作してて、出来が良かったものを瓶に入れていくつか持ってきてるんです。ヒミズさんの理想に一番近いものを選んでもらえますか!?」
ヒミズさんは黙ったまま俺を見ている。細い目がまた少し開いた。脈ありだ。これは気の変わらないうちにすぐに味見してもらわないと…
「取ってきます!ついでに買い出しに行く準備もしてきます!俺なりに買い物リストも作ったんで、足りないものが合ったら教えて欲しいし、いい材料の選び方も教えて欲しいです!」
言い終わるととても喉が渇いてしまったので、行儀が悪いけど立ったまま、ちょっと急いでお茶に口をつけた。
ん、プーアル茶。美味しい。いちご入りのゴマ団子の余韻がスッキリと洗い流されていく。
飲み終わって、手を合わせ、お辞儀をするように「ごちそうさまでした」をした。
今日はきっと忙しくなる。木の板におしぼりを置きなおして、お皿ごと持ち上げようとすると、「そのままでけっこうです。」ヒミズさんが言ってくれた。
「ありがとうございます!すぐ、支度してきます!」
スリッパをパタパタさせて廊下へ急ぐと、後ろから店長の声で「おもしろくない」と聞こえた。…気のせい、かな?
とにかく、善は急げだ。
ヒミズさんに早くレーズンを味見してもらいたい。
今日はヒミズさんとケーキを作る。
うまく出来上がったら、店長も喜んでくれるだろう。
今日はきっと、一生涯忘れられない幸福に満ち溢れた一日になる。
最高の一日にしよう。
俺が店長たちとどんなに幸せなときを過ごせていたか、店長たちにわかってもらおう。
大切な人たちと、俺が焼いたケーキで自分の誕生を心から祝う。
自分が生きていることを祝うことが出来るのが、俺は今、とてもうれしい。
最高のケーキをヒミズさんに。
最高の笑顔を店長に。
俺がもらったぶんを、お返ししてあげるんだ。
そして、最高の祝福を、俺に。
======------→【 安堂編へつづく 】
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