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◇ 再興 ◇

 独身用としては広いマンションの一室。リビングに置かれた大きなソファに、諒一は座らされていた。  あの後、一哉は辰巳に一言残し、諒一をここまで連れてきたのである。玄関前に回された車は、まさしくヤクザというに相応しい様相を呈していた。  辰巳を”親父”と呼ぶ一哉の姿は、諒一の見慣れないものだ。  九年間。思い返してみれば確かに長い年月ではある。何を今更と一哉に追い返されても仕方がないと諒一は思っていた。  だが、一哉は話を聞いてやると、そういって諒一をここに連れてきたのである。  移動中に少し聞いた限りでは、辰巳の本宅とは別に、皆それぞれマンションを所有しているのだという。家族といっても形態は様々なものだと、思わず諒一は感心してしまった。  コーヒーでいいかと、そう言った通り、リビングへと戻ってきた一哉の手には二つのマグカップが握られていた。諒一が礼を言ってそれを受け取ると、一哉は隣にどさりと腰を下ろす。態度が荒々しいのは、どうやら変わっていないようだった。 「驚かせて悪かったな」 「別に驚いちゃいねぇよ。フレッドから話は聞かされてた」 「そっか…」  フレデリックという外国人はいったい何者なのかと問えば、一哉の口からはあっさりと『親父の恋人』という答えが返ってきて諒一はなるほど…と、そう納得する。言われてみれば、フレデリックの姿は辰巳の隣に在る事が自然だった。  ふぅん。と、そう小さく呟いた諒一に、一哉が僅かに眉を上げる。 「驚かねぇんだな」 「まあ…俺も好きな人…男だし」 「ああ? マジかよ」  うん…と、諒一が肯定すれば、一哉は呆れたような顔を向けてくる。その表情に、諒一は告白する前から振られる事を覚悟した。  九年前のあの日以来、諒一が一哉を忘れなかったのは本当だ。憧れだったヒーローを失った諒一が辿り着いた答えは恋心だったのである。だからこそ、諒一は弁護士になると決めたのだ。 「親友だと思ってたよ。お前はいつも俺を守ってくれて、憧れのヒーローだった…筈なんだけどな…」 「はあ? お前の好きな男ってまさか…」 「うん。そのために俺は弁護士になった。お前に会いたくて…お前の隣に戻りたくて…俺は…」  まるで言葉を遮るように大きな溜め息が聞こえてきて、諒一は黙って目を閉じた。振られる覚悟くらいは出来ている。これで顧問弁護士の話が流れる事になったとしても、一哉に振られたのならどうせ辰巳の家になど諒一に用はなかった。  だが、諒一の耳に聞こえてきたのは否定ではなく質問だったのである。 「本当にお前、馬鹿じゃねぇの? そのために辰巳の顧問弁護士になったとか言わねぇだろうな?」  諒一は閉じていた目を開いた。ついでに一哉を見る。 「…そうだけど」 「あーあー、そのためにお前は九年間かけたってか? わざわざ外国まで行って勉強して?」 「もちろん」  あっさりと肯定すれば、一哉は額に手を遣って項垂れた。何かおかしな事を言っただろうかと考えても、諒一には思い当たる節などない。 「何かおかしいか?」 「お前の頭がおかしいって事に、お前はいつになったら気付くんだ?」  頭がおかしいなどとは心外な諒一である。諒一とて色々と考えなかった訳ではないのだ。それに、努力もした。 「人の努力に対して随分な言い草だと思うんだが」 「努力する方向が明らかに間違ってっ事に気付けよ」 「間違ってなかったから俺はこうして今お前の目の前にいるんじゃないか」  そう。このために諒一は今までの九年間を過ごしてきた。一哉にこうして再び会い、気持ちを伝えるためだけに。  それなのに何が間違っているのだと諒一は言った。一哉の答えはどうであれ、こうして目の前にいて気持ちを告げる事が出来たのだ。それのなにがおかしいというのか…と。 「あーもう…、ホントお前って馬鹿…」 「それよりも俺はお前の答えを聞かせて欲しいんだが」 「報われるかどうかも分かんねぇのに九年もかけんじゃねぇよ阿呆…」 「それは答えになってないぞ一哉」  一哉は九年もかけたとそう言うが、諒一にとってその九年に無駄な事など一切なかった。例え辰巳の顧問弁護士の話がご破算になったとしても、弁護士としていくらでも働いていけるのだ。何の問題もない。  それに、一哉とこうして再会して気持ちを伝えられた。それだけで充分諒一の努力は報われているのである。 「さあ答えろ一哉。俺はその答えを聞くために弁護士になったんだからな」 「答えろったってお前…そんなの答え決まってんじゃねぇかよ…」  そう言って一哉は諒一の胸を拳で叩いた。次いで肩に額をつけるように頭を乗せられて、諒一は思わずその髪を撫でる。ただそれだけで、再び会えてよかったと、そう思ってしまった。 「九年もかけて告白しに来る馬鹿を…無下にできる訳ねぇだろ…」 「相変わらず素直じゃないな。こういう時は、嬉しいって言うもんだろ?」 「うっせぇ馬鹿」  一哉のぶっきらぼうな口調は、九年前と何も変わりはしない。あの頃に戻れる訳ではなかったけれど、元より諒一は戻るのではなく新しい関係を始めるためにやってきたのだ。後ろを振り返りはしても、そこに執着はない。  昔は幾つもピアスが並んでいた左の耳には、今はもう何もなかった。名残で少しだけ凹凸の残るそこを、諒一は男にしては細い指先で辿る。 「ピアス、やめたんだ?」 「耳千切られたくなかったら外せって言われたんだよ」 「ああ、なるほどな。それで一哉はこんなに凶悪な躰になった訳か」  シャツの上から這わせた指先には、しっかりと硬い腹筋の感触がある。胸板も、肩も、一哉の躰は昔と何一つ同じものはなかった。  ぺたぺたと確認するように諒一が躰を触っていれば、一哉の口から困ったような声音が聞こえてくる。 「お前さ、自分が何してっか分かってそれやってんの?」 「確かめてる」  そう短く言えば、一哉は諒一の肩の上で小さく首を振った。どうやら呆れているようなその姿に、一哉の性格が丸くなったことを知る。昔の一哉は、もっと気性が荒かった。  さすがにボコボコにはされないだろうとは思っていたが、勝手に追いかけてきて告白などしようものなら一発くらいは殴られる事を覚悟していた諒一である。殴られずに済んだのは、嬉しい誤算だ。 「一哉って彼女いないの?」 「それは普通告白する前に聞く事だろ」 「いるなら別れて」 「っ…ストレート過ぎ…」  可笑しそうに笑う一哉は、だが彼女はいないと、そう言った。女に割ける時間などなかったと。随分とヤクザというのは忙しいものだと、そう思う諒一である。 「性欲ないの?」 「勘違いすんな馬鹿。付き合わなくたって処理くらい出来るっつーんだよ」 「下衆っぽい言い草だな」 「ヤクザ相手に何言ってんだお前」  確かに。と、そう思う。極道など綺麗な世界の筈がない。 「セフレも切れよ?」 「女かお前は」 「馬鹿だね。男の方が嫉妬深いんだよ?」  諒一がそう言えば、一哉は肩に乗せていた頭を上げた。それは本当に一瞬の出来事。あっという間に諒一はソファに組み敷かれ、一哉に見下ろされていたのである。  愉しそうに笑いながら見下ろす一哉の頬に諒一は手を伸ばす。 「綺麗になったね、一哉」 「諒一様はその綺麗な男に抱かれてぇの? それとも抱きたいの?」 「…考えてなかったな」  そう。諒一は一哉を抱く事しか考えてはいなかった。一哉も男であるという事を、うっかり失念していたのである。それを言えば、苦笑が返ってきた。 「やっぱお前馬鹿だろ」 「こんな綺麗な顔してたら、抱く事しか考えないって」 「お前一遍犯してやろうか?」  言いながら一哉に脚の間から手を差し込まれて、諒一は困ったように眉根を寄せる。抵抗してもいいが、どうせ一哉には敵わないだろうとそう思う。  それでも、一哉もまた自分の躰に興味がない訳ではないのだと思えば、諒一は抱かれるのもアリなんじゃないかと思ってしまうのだ。 「一哉が抱いてくれるなら…それでもいいよ」  その代わり浮気は許さないと、諒一はそう言った。 「はぁー…ホントにお前って我儘なんだか素直なんだか分かんねぇな」 「…これでも必死なんだけど」 「まあいいわ。俺の躰見て、それでもお前が抱きたいってんなら抱かれてやるよ」  そう言って一哉はあっさりと服を脱ぎ捨てた。露わになった躰は、綺麗な顔とはまったく別の、完全に男のそれだ。しかもこれまで諒一が見た事もないような、引き締まった裸身。  綺麗だと、そう思った。こんなものを見せつけられて、抱きたくならない筈などないと、諒一はそう思う。 「っ…その躰で抱かれてやるってお前…凶悪過ぎでしょ…」 「はぁん? 諒一様のお気に召しませんでしたか?」 「まさか。こんなの手放せる訳がないだろ」  諒一は、上体を起こした一哉に向ってめいっぱい腕を伸ばした。抱き締めたいと、そう思ったから。  どこか呆れたような顔でゆっくりと腕の中に倒れ込んでくる一哉を、諒一は力いっぱい抱き締める。 「一哉…会いたかった」 「九年も待たせんじゃねぇよ」 「仕方ないだろ。実績も何もない弁護士なんて相手にもされないんだからな」 「だからってまさか顧問弁護士とはね…諒一様には敵いませんよ」  おどけたように言いながら愉しそうに笑う一哉に、諒一は軽く口付けた。小さな水音を伴って離れる唇を一哉が追う。一哉の逞しい腕に囲われたままの諒一に、逃げ場はなかった。  あっという間に捕らえられ、吐息ごと奪われる。 「っ…ふ、ぁ…一哉…っ」 「好きだ…諒一」  名前を呼ばれるただそれだけで、諒一は思わず息を詰めた。  いつも”諒一様”と、揶揄うようにしか名前を呼んでくれない一哉に、初めて”諒一”と、そう呼ばれたのだ。  狡いと、そう言った諒一の抗議は唇を塞がれて掻き消された。  やがて満足気に笑った一哉に腕を引かれ寝室へと連れ込まれた諒一は、自ら寝台の上に横たわった一哉に圧し掛かる。躰中を確かめるように撫でまわし、愛しむように口付けを落としていった。  擽ったそうに眺め降ろす一哉の瞳は優しくて、それだけは昔と変わらないのだと諒一は気付く。いつも隣にいて諒一を守ってくれた一哉の目だ。 「もう二度と…勝手にいなくなるなよな…」 「お前こそ逃がさねぇから覚悟しとけっつーんだよ」

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