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二章 許処で君が -伍拾夜 きみがため-

*  暗闇の中、水が落ちる音がした。  まっくらで自分の体も見えない。ここはどこだろう。  ふと、誰かが僕の手を握る。何故か冷たいと感じることに違和感があった。けれど、ひどく安心する。これは、誰の手だろう。  優しく触れるその手の主の、顔が見たいと思った。 *  ぼんやりと意識が戻ってくるのを感じながら、最初に認識したのは見慣れた高い天井だった。部屋は薄ぼんやりと明るいが、東側のカーテンの隙間から差す光は眩しく、ああ、朝かと脳内で一人ごちる。  ついで、左手に何かが触れているのに気付く。そういえば、誰かに手を握られる夢を見た気がする。あれは誰だったんだろう。疑問に思ってもわからないままかと現実を確認しようと目線を下げたら、見慣れた栗毛が寝息を立てていた。 「なんで、いるんだ……?」 「ん……ぁ、おきた?」  疑問を口に出したら、瞼が震えて色素の薄い瞳が顔を出した。あくびをかみ殺す小野を眺めながら、引く付く喉に手をやって起き上がろうとしたところで目眩がした。ぼすんと枕に頭を沈める。 「ダメだよ、寝てなきゃ。まだ顔赤いし、熱あるだろ?」  ぐわんぐわんと回る世界で、顔のすぐ傍を何かが移動する。 「うわ、ぬるいっつーか乾き始めてる……?草町、水替えてくるからちょっと待ってね。あ、冷えピタとかある?」 「……ない」 「そっか。後で買ってくる」  少しずつ回復する視界に、冷凍庫から出した氷を洗面器に入れる小野がいた。枕元まで戻ってくると傍にあるラックの上でタオルを絞る。冷たいソレが額に乗せられ細く長く息を吐いた。喉の違和感を極力意識の外に追いやって声を出す。 「おの……ひえぴたは、いい。……すきじゃない」 「……ん。わかった」  何度か瞬きをしてから、柔らかく微笑む顔を久々に見た。そういう顔の方が良い。辛そうな顔は、悲しいのを隠す顔は似合わない。どうして笑ったのかは、やっぱりわからないけれど、よかったと思って知らず口元が緩んだ。  それから、ぼうっとしている間に少ししょっぱい粥が出てきて、半分程食べてギブアップした。苦戦しながら市販の薬を飲み下して再び横になってから、小野は薬の場所を知っていただろうかと疑問に思う。買ってきたのかもしれない。後で確認して、お金を払って、礼を言って。懸命に考えるのだが、考えた端からぽろぽろこぼれていく気がして眉間に皺が寄る。 「また熱上がっちゃうよ。なんも考えないで寝ちゃいな。……ここにいるから」  寄った皺をやんわりと解された。そういえば、どうしてこんなに世話を焼いてもらっているんだろう。 「……なんで、いるんだ?」 「え、ソレ聞く?」  眉をハの字にして笑うのが見えた。眉間を解していた指が離れて、大きな手の平で頭を撫でられた。とたんに眠気が襲ってくる。 「好きな人が熱出して辛そうなのに、ほっといて帰れないよ」  瞼が落ちそうになったけれど、まだ寝てしまいたくなくて薄い夏の布団から腕を引き抜いて小野の手を取った。あたたかいと思っていた手の平は思いの外冷たい。 「て、つめたい……きもちぃ」 「……草町が熱いんだよ」 「おののてがつめたいておもうの、はじめてだ」  普段は僕の方が体温が低いから、たまに触れた時はいつも暖かいと感じていた小野の体温を冷たく感じるのは新鮮だった。心地良くて、顔を寄せる。 「いつも、おのはあったかいから……へんなかんじだ」 「そ、そう……」  されるがままだった手が、睡魔と戦う僕の頬をそっと撫でる。触り方が優し過ぎて眠くなるから、止めてほしい。 「早く、よくなってね」  心配しなくても薬を飲んで寝れば治る。病院の世話になったのは小学生の時にインフルエンザにかかった時くらいだ。僕は年に一度くらいこうして熱を出す。幼い頃は1週間程寝込んだものだが、成長するに従ってその期間は短くなった。今は三日も休めば問題ない。慣れもある。  その慣れたはずの病床で、小野の存在は異質だった。そういえば、今日は頭や節々に鈍痛を抱えたまま食料を探しに徘徊したりしていないし、コップに水を入れる間に取り落としてぶちまけたりしていない。何より。 「……ねつだしたときに、だれかがちかくにいるって……こんなにあんしんするんだな」 「……お父さんもお母さんも、仕事忙しかった?」  聞き取り難いだろうに、病人の声を焦らず最後まで聞いて、穏やかな声を返してくれる。ほとんど記憶にないけれど、確かに覚えがある気がして懐かしさに目を細める。 「おとうさんは、ちいさいころにしんだ。かあさんはいそがしくしてたから、いつもひとりでほんよんでた」 「……そっか」 「……おの」 「ん?」  迷惑をかけた。心配もさせた。小野はこんなに安心をくれるのに、僕があげられるのは悲しみばかりに思えて申し訳なくなる。  食べたり話したりで疲れたのか、睡眠を欲する体を叱咤して言葉を紡ぐ。 「あり、がと……」  あれ、思ってたのとちがう。そうじゃなくて。 「――……うん、おやすみ」  謝ろうと思ったのに。小野があんまりやさしく笑うから、言いたかったはずの言葉はまどろみに紛れて消えてしまった。  目を開けて薄暗い部屋を見渡す。三分の一程開けられた窓からそよそよと吹く風が、控えめにカーテンを揺らしている。室内に人の気配はない。 「……かえったか」  治ったら、改めてお礼をしなくては。重い体をゆっくり起こしてまだ少し熱い息を吐いた。薬が効いたのか、大分楽になっている。 「べたべたする……」  たくさん汗をかいたようで、寝間着代わりのTシャツの背が濡れている。着替えなくてはと思うのだが、うっすら頭に熱が残っていて着替えを取りにいくのも億劫だ。もういっそ、脱いでそのままもう一眠りしようか。どうせシーツも洗わないと湿っぽい。  そういえば布団に入った記憶がない。もしかしなくても面倒をかけたんだろう。世話焼きな彼を呼び出した時点で、こうなることは決まった様なものだったけれど。  軽くふらつきながらTシャツを脱ごうと手をかける。頭に引っかかったのを引っ張っていると、呼び鈴が鳴った。 「きゃく?」  頭にTシャツがひっかかったままでは来客の相手はできないともがいているうちに、カチャリと鍵が開けられた。ピッキングのような音ではなかったが、泥棒だろうか。 「草町ー生きてるー?」 「おの?」  ドアが開く音のあとに控えめにかけられた声はよく知るものだったが、生憎視認できない状態だ。汗をかいた肌が露出して涼しいが、腹を冷やすのはよくないから早く脱ぐか着直すかしたい。どこに絡まったのか、イマイチ働かない頭を抜こうと試みているうちに小野が入って来た。 「うわっ!?な、何してんの!?」 「ひっかかった。たすけてくれ」  救援を求めると、慌てて近寄った気配がすぐに離れていく。パチっと音がして、Tシャツに覆われた視界が明るくなった。電気を付けてくれたらしい。  とにかく引っ張ってなんとかしようとしていたら、伸びる!伸びるから!と止められて丁寧に脱がされた。ようやく解放された顔を上げたら、思いの外近くに小野の顔があった。 「ありがとう」 「……うん」  礼を言ったら顔をそらされた。病人とはいえ、一人で着替えもできないなんてと呆れられたのだろうか。  僕が脱いだ服を持って洗濯機のある玄関の方に向かう小野が声をかけてくる。洗濯くらいは起きられるようになってから自分でやるのだが。 「起きてた?」 「さっき起きた」 「とりあえず着替えだね。クローゼット開けるよ?」  言いながら、戻ってきて扉に手をかけた小野は開けた瞬間に動きを止める。彼が開けた収納スペースにあるのはほぼ本だ。 「そこにはないぞ。服はぜんぶロフトだ」 「……ほんと、草町ってブレないよね」  ぼそぼそとこぼしながら扉を閉めるのを視界の端に見ながら、ベッド脇に旅行鞄を見つけて手を伸ばした。それに気付いた小野が持ち上げて傍に持ってきてくれる。 「ここに、きがえ入ってる」 「あ、そっか」  高校の修学旅行のために買った旅行鞄はたまの帰省の時に役立っているが、安物を買ったせいか一番開ける頻度の高いメインのファスナーが固くて開け難い。普段だったら問題ないそれに手こずっていたら小野が開けてくれた。 「ありがとう」  礼を言って鞄を漁っていると、小野がちょっと待っててと言いおいて風呂場へ引っ込んだ。浴衣はあるだろうが一応入れておいた寝間着用のTシャツを鞄の底から引っ張り出すのに苦戦している間に、洗面器とタオルを持って戻ってくる。 「汗かいただろ?体、自分でふける?」 「ん」  小野がベッド脇の棚に置いた洗面器には水、かと思ったらぬるま湯がはってあった。ありがたくタオルを浸して絞ろうとするが、体勢のせいかうまく力が入らない。 「やっぱ無理か。貸して」  見かねた小野が絞ってくれる。はい、と手渡されるタオルを見て、ここまできたら甘えてしまおうと背を向けた。 「背中だけ、たのめるか?」 「えっ」 「わるい、背中だけでいいから。たぶん届かない」 「あ、うん……わかった」  冷たさに身をすくませることもなく、心地良い温度でべたべたしていた肌が拭われる。 「オレさ、バイト行ってたんだけど、よく眠れた?」 「ああ」 「そか、よかった。桃缶とか食料も買ってきたけど、食べられそう?」 「もも……かん……?」  思わず振り返った。驚いた顔をした小野が不安そうな目をして慌てる。 「あれっキライだった!?」 「……いや、すき」 「…………そ、そか。よかった。じゃあすぐ持ってくる」  心底安心した顔でタオルを僕に渡すと、キッチンへ向かう。冷蔵庫の前にビニール袋があって、ネギがはみ出していた。バイト帰りに買物をしてきたのだろう。そこから桃缶を出したのが見えて、気持ちウキウキと自分の体を拭く。  甘やかされている。そしてそれを嬉しいと思っている自分が不思議だった。病床で好物を目の前にぶら下げられて、子どもの様にはしゃぐなんてしたことがなかった。まだ熱が下がりきっていないんだろう。  さっぱりした体に替えのTシャツを被る。 「桃缶好きなの知らなかった。草町んち、缶詰系って結構あるのに見た事ない気がするけど」  缶切りで桃缶を開ける小野が話しかけてくる。クローゼットに何が入っているか知らなかった小野も、キッチン周りに関しては勝手知ったる他人の家だ。 「ほぞんのきく食料はたまにじっかから送られてくる。ももかんがあるとそればかり食べるから、親がめったに入れてくれないんだ。とうにょうになりたくなかったらひかえろって言われてる」 「制限される程好きなの?なんかカワイー」  笑いながら丼とフォークを持って来る。受け取ると丸々一個分の桃が四等分されて入っていた。わざわざ切ってくれたのか。半分丸々のままだと地味に食べ難いので有難い。 「ありがとう」 「ちなみに、みかんの缶詰は?」 「あるのかっ?」 「ははっよかった、好きなんだね。みかんは明日の夜にでも開けようか」 「ん。いただきます」  せっかく四等分にしてくれたので、フォークで刺してそのまま齧った。常温の桃は口の中で甘く砕けて、食道を刺激することもなく下りていく。糖分が染みて、生気が戻ってくる感覚に頬が緩む。  上機嫌で桃を頬張る僕の横で、ベッドに頬杖をついて小野が笑う。楽しそうだ。ほんの少し癪だけれど、小野が笑うなら風邪様々だ。 「まだちょっと赤いけど、だいぶ顔色よくなったね。気分は?」 「ずいぶんいい」 「ん、よかった。ほんとビックリしたんだよ?夜中にいきなり時間と場所だけのメール来んだもん」 「……そのせつは、すみませんでした」  もごもごと桃を咀嚼しながら謝った。そうだ、たくさん迷惑も心配もかけたのだから説明くらいはしなければ。 「朝あつまって、しんかんせんに乗って……着いてさいしょに、がっしゅくの安全とぶんかさいの成功をきがんしに、きふねじんじゃに行ったんだ。そこでとつぜん雨にふられて」 「京都、天気悪かったの?」 「いや、せいてんだったんだが……いきなりくもって、十五分くらい、ほとんどスコールだった。くもってきたしちょっとやすもうって、近くのきっさてんにはいろうとしてた時で、はんぶんくらいのにんずうが入ったあたりでふりだして」 「……まさか」 「いちばん後ろをあるいてたから、ずぶぬれになって。みせでタオル借りたんだけど、れいぼうけっこうきいてて、冷えて、ねつでた」  小野が口をぽかんと開けたまま固まる。もう一口桃を齧った。弱った体に瑞々しい甘さが美味しい。 「ふんだりけったり……」 「きふねは水のかみさまだから、かんげいされたなって、有川先ぱいは笑ってたけどな」  それって歓迎なの?という顔の小野は放って、それから小野を呼び出すに至った状況をかいつまんで説明した。  昼食を摂りながら、一緒にずぶ濡れてタオルを借りた文月君が隣で発熱しだした僕に気付いてひとまず宿へ向かうことになった。着く頃には顔は真っ赤で意識が朦朧とし始めていた。  数時間休んでも体調が良くなる兆しはなく、体温が上がりきって落ち着いた頃に一人で帰る旨を進言した。平気だからと付き添いを断った僕は、東京へ戻ったら親でも友達でもいいから誰かに連絡して面倒をみてもらうことを条件に一人で帰ることを許された。  責任者である有川先輩と心配した文月君(濡れても冷えても元気そうだった)が京都駅まで送ってくれ、凍えながら新幹線でとんぼ返りする道中、さて誰に連絡したものかと携帯を開いた。今は夏休みで、実家には平日も昼夜も関係なく弟がいる。心配させるのは忍びない。親だって仕事があるだろう。お盆も帰るとは言っていない。  メールボックスを開くと、一番上に小野からきた「いってらっしゃい」と書かれたメールがあった。待つと言ったのに、一方的に約束を破った僕が助けを求めるのは図々しいと思った。けれど、他に出先で発熱したから迎えに来て家まで送ってくれと言えるような友人が僕にはいなかった。  親か小野かで一時間うつらうつらしながら迷った末に、一からメール作成画面を立ち上げるのが面倒になって返信のショートカットボタンを押した。二十三時頃には着くだろうと時間と場所だけ入力して送信した僕は、手足の冷えと熱い頭を無視して無理矢理目を閉じたのだった。  小野にメールした理由を省いてごく簡単に話しおえた後、迎えに来ていた小野の顔を見た時から何度も気になっていたことを思い出す。 「なあ、どうして……」 「……それ聞く?」  我侭だとわかっている自分の行動を言及するのは罪悪感との戦いで、なんと言ったらいいものか迷っていたら苦笑された。言外にわからない事を不思議がられている。 「心配しちゃ、いけない?あ、カギ勝手に借りてごめんね」  心配して、急で無礼な呼び出しに応えて、我侭を聞いて。意識の無い人間を運んで寝かせて、仕事帰りに買物して様子を見に来て。僕が言えることではないが人が好いにも程がある。 「…………ごめん」 「最近、謝ってばっかだね。……何に対しての『ごめん』?」 「心配とか、めいわくとか面倒とか、たくさんかけたし……やつあたり、した」 「……させちゃったの、オレでしょ?」  小野もわかっていたのかもしれない。お互いに不安を抱えていて、どうしたらいいのかわからなくて、隠しきれずに顔に出てしまって、それがまた相手を不安にさせる。  久々に穏やかな空気だったのに、うっすらと影がさした。もう、戻れないのだろうか。何も考えずにいたあの頃には。 「あーあの、さ……」 「……ん?」  殊更に明るい声が聞こえたのに、最後は尻窄みになって消えた。食べ終えて空になった丼を受け取って弄っている。 「もう一泊したり、とか……だめ?」 「え」  理解するまでに少し時間がかかった。小声で想定外の内容だったのだから仕方ない。呆けている間にまくしたてられる。 「まだ熱あるだろ?缶詰だって開けるの力要るし、その……昨日さ、ホントに辛そうだったし、倒れちゃって救急車呼ぼうかとか思ったし、心配、だし…………熱出した時、誰でもいいから傍にいたら安心……でしょ?」  そういえばそんな話をしたような気がするけれど、誰でも、だろうか。  親だったら、安心と一緒に申し訳なくなるかもしれない。弟だったら心配させるのは可哀想だし、有川先輩だったら遊ばれて無駄に疲れそうで嫌だ。文月君だったら心底は休めないかもしれない。  いくらか冷めた頭で思い出すと、四肢が凍えて不安でいっぱいだったのに、迎えに来ていた小野の顔を見たら安心したんだ。熱に浮かされていても、いつもみたいに楽しそうに笑ってるのを見て抱いた感情は安堵だった。 「……てて、くれるなら」 「ん?」  笑っててくれるなら、安心するから傍にいてほしい。  そんな風に思うのは、まだ熱が引いていないからだろうか。病人の我侭は、どこまで許されるものだろう。弟ならまだしも、友達を看病したことなどないからわからない。 「……おのは、わらってたほうが……あんしん、する」  結局、事実だけ伝えておくことにした。待っても反応がないので小野をうかがうと、目を見開いたまま固まっていた。どうしてだろう。……あ、質問とは関係ないことを言った。僕の中では繋がっていても、小野からしたら突拍子もない発言だ。 「えと……」 「ねえ」 「ん?」 「それって……オレ、笑ってたら傍にいてもいいってこと?」  答えようとしたが、ちゃんと意図を組んでいたらしいのでこくんと頷いた。途端、眉間にしわを寄せて唇を噛み締めて俯かれて焦る。やっぱり間違っていたか。 「……ん!わかった」  どうしたものかと悩みそうになったのに、それを吹き飛ばす様な笑顔で嬉しそうにするから面食らって言葉がでなかった。でも、きっとずっと、その顔が見たかった。 「あっそう、そうだ。忘れないうちに!」  小野は持っていた丼を机に置くと、慌ただしく荷物を引き寄せて漁り出した。何を焦っているのか知らないが、なかなか見つからないようで、あれ?を繰り返している。 「あった!よかった……はい」  ようやく見つけ出したそれを持って、僕の傍で微笑む。なんだか久々に、小野の目がふわりと光る様に色を変えたのを見た。この一瞬を、美しいと思う。 「だいすき」 「…………ん」  いつもの言葉。初めての単語。不覚にも心臓が跳ねて返事が遅れた。誤摩化すように札に目を落とす。 「きみがため……をしからざりし命さへ、ながくもがなと、思ひけるかな。……あと、半分だな」 「え」  ちょうど五十番目の歌だ。いつ死んでもいいと思っていたのに、逢って、愛を知って、永久に愛しい人と共に在ることを願ったうた。  驚いた様な声を出すから、何が違うのかと顔を上げた。 「おの?」  僕の風邪がうつったのかと思うくらいに、顔を真っ赤にしていた。大丈夫かと声をかけようとしたら、いきなり布団に顔を押し付けた。そのまま頭を抱えて唸り出す。一体どうしたというのだろう。  しばらくして、ようやく少しだけ顔を上げると、まだ少し赤い頬を微笑みに緩ませる。布団の上で指先が触れて、ほんの少しだけ絡んだ。 「……んーん。なんでもない。がんばるから、待っててね」 「――……うん」  結果的に破らなくて済んだ約束を、今度こそ自分の意志で守ろうと思う。そんな小さな決意が伝わったらいいと、目を見て頷いた。

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