3 / 14
書記√
ご紹介遅れました。
半年前色々な意味で変身を遂げた俺の名前は愛咲充(あいざき みつる)と申します。チャラ男会計として通っていたりします。
とは言っても、至って中身は面白味もない平凡なやつだけど。
そんな俺は、現在書記である犬塚駿(いぬづか しゅん)にパソコンの使い方を教えていたりする。
「えーっと、ここはねー」
間延びした喋り方。
こんな喋りをしている奴が友達だったら、以前までの自分は「男らしくハキハキ喋れ」と一刀両断していただろう。
でもその考えは間違いだと気が付いた。今の俺のように、そいつなりに事情があるのかもしれないし、それに喋り方はそいつの特徴の一つだ。個性があっていいものだと今なら思う。
しかし半年も経てば、この喋り方も板に付くものだな。もはや完璧に自分の物としている。親父の跡を付かずに、役者の道を選んでみようかな。
…なーんて、冗談冗談。
俺はカチカチッとマウスを動かした。
「…で、ここをこうするの。分かったぁ?」
「……もう一回頼む」
「おーけー。よく見ててよー」
必死に覚えようとPC画面と俺の手の動きを凝視する犬塚の真面目さに、俺はおもわずクスッと笑ってしまった。俺も自分の分の仕事がまだ残ってるんだけど、こんなにも真面目な姿勢を毎回見せられたら断れない。むしろ最近では自分から進んで声を掛けたりしている。大型犬のようで何だか面倒見たくなるんだよなぁ。
無口とか感情が表情に出ないとか傍から言われているけど、そんなことはない。結構喋ってくれるし、表情だって人並み以下だろうけど変化してるぞ?
「えっと、まず最初にここをダブルクリックね」
犬塚は極度の機械音痴だ。決して頭は悪くない。むしろ俺よりも学年順位は良かったりする。
他の事は何でもこなしているようだし。勉強にしても部活の剣道にしても機械を使わない生徒会の仕事も。
だけどその一方、機械音痴の度合いは結構酷くて、最近になってやっと携帯で電話を覚えられるようになった。それも俺が教え込んでやった。やっぱり電話する方法くらいは覚えておかないとな。未だにメールの方は、俺と一緒じゃないと出来ないけれど。
説明するのは大変だけど、犬に躾をしているようで結構楽しい。…おっと、犬と一緒にしたら犬塚も流石に怒るだろうな。
「あ、おさらい。ダブルクリックってどういう意味か分かる?」
「…二回クリックすること」
「そうそう。素早く二回クリックすることね」
「それくらい…覚えてる」
「あはは、ごめんごめん」
まぁ、初歩中の初歩だし、さすがに言葉通りのことだしな。今更の質問をしてきたことに犬塚は少し腹を立てたらしい。ジロリとこちらを睨んできた。だけどそれは全然恐いものではない。俺はもう一度「ごめんね」と謝った。
「じゃぁ、続き」
「……ああ」
「ゆっくりするから、一つ一つ覚えてて」
「…分かった」
「そしたら、次は犬塚に操作してもらうから」
最後に、ね?と同意を求めれば、犬塚はコクンと頷いた。その動作がやはり大型犬のように見えて、俺は頭を撫でたい衝動に駆られながらも必死に我慢した。
撫でたら余計に怒られるだろうし。
折角ここまで築いた友情関係をこんなことで一気に崩してしまうかもしれないと思うと嫌だからな。
さーてと。
俺も真剣に指導しますかね。
*****
「おーけー!上出来!」
「………」
「やっぱり覚えが早いね!」
「…教え方が、上手いから」
「またまたー。煽てても何も出ないんだからね」
教えればそれに応えてくれる。それが嬉しい。
学校の先生達もこんな感じなのだろうか。
しかしやっぱり犬塚は覚えが早い。もう少ししたら俺の教えもいらなくなるだろうな。その内、俺よりもPCの使い方が上手くなったりして。そしたら、今度は俺が教わる番かぁ。それもそれで楽しそうだ。
「……いつもすまない」
「いつも言ってるじゃん。気にする必要ないよー。俺も教えるの楽しいし」
「…そう、なのか?」
「うんうん。超楽しいよ」
教えるのが楽しいというのもあるけれど。
やっぱり今まで築けなかった友情を、この場を借りて築けられているという事実が嬉しい。あの馬鹿で煩い転入生にはここだけは感謝している。あんなことがなかったら、犬塚とも仲良くなることもなかっただろうし。
「礼に、飯でも奢る…」
「え?いやいや、いいって!大丈夫!そんなことまでしてもらわなくてもさ!」
ここの食堂のメニューは馬鹿みたいに値段が高いから。本当に親には感謝。不自由なく育ててくれたことに近い内に恩返しします。
「しかし…、」
だけど犬塚は納得してくれていないらしい。
そこまで律儀に振舞わなくていいのに。犬塚のそういう所も好きだけど。
「俺も楽しくてしているからね。お礼とか気を遣わなくていいよ」
「………」
「うーん。納得してくれてない感じ?」
犬塚は再びコクンと頷いた。
本当に気にしなくていいのに。一体どうしたら納得してくれるのか…。
あ、いいこと思いついた。
「じゃぁさ、どうしてもっていうなら、お礼はチューでいいよ」
なーちゃって。
そう言って“チャラ男の中のチャラ男”を演じてみせようと思った。
「…ン、む?!」
だけどなんちゃってという冗談だという事を示す言葉を言うより先に、犬塚に唇を奪われてしまった。
なんてことだ!
「ちょ、…っ、ん…ゃ…、」
副会長や双子に下半身ユルユル男なんて言われてるけど、俺のチャラいのは演技だから!童貞の上に、キスすらまだなんだから!初キスなんだから!
「っ、ん…ンぅ」
馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ。
舌なんて入れてくるな。ヌルヌルして気持ち悪いだろうが。背筋がゾクってしただろうが。
息苦しいだろ!
「…ぁ、あ…ャ」
未知な体験は人を恐怖に陥れる。正直に言おう。ちょっと怖い。
俺は離せという意味を込めて、犬塚の逞しい胸板を叩けば、意外にも簡単に唇を離してくれた。
「ぷ、ぁっ」
そして俺は必死に口で息を吸い込む。
鼻で息を吸うなんて聞いていたけれど、そんな暇あるか!出来るわけがない。
チラリと上目遣いで犬塚を見てみれば、息を乱している様子は伺えなかった。なんだよ、慣れているってのか。
俺は唾液で濡れた口元を制服の袖で拭いながら、犬塚を睨んで怒鳴ってやった。
「お、俺の!初チューを返せー!」
まさに言い逃げといっていいだろう。
情けないとでも罵ってくれればいい。どうせなら一回殴ってやれば良かっただろうか。
でもどんなに嘆いても俺の初キスは返ってこない。
悲しいことだが、どんなに唇を拭ってもこの事実は消えないのだ。
そして打開策を思いつくことなく、あっという間に翌日になり、俺はビクビクしながら学校へ行った。
『会計の化けの皮剥がれたり!』とか『チャラ男会計、未だ童貞!』とか学校新聞にあることないことまで下世話な事を書かれているのでは、と内心不安だったのだが、そんな事は一切なかった。というか、そんな噂が一つも立ってはいないようだ。
「………」
そ、そうだよな…。
よくよく考えて見るまでもなく、犬塚はそんな事をする奴じゃないよな。ベラベラとお喋りする方でもないし、ましてや人の弱みにつけ込んで悪口を言う奴でもない。
これが双子の庶務や会長様だったら話は別だけど。
あいつらが犬塚の立場だったら、絶対に愉快犯に走ると思う。多分。いや、確実に。
でもそういえば、犬塚も会長もあの破天荒な転入生と絡んでいるの最近見てないなぁ。副会長や双子は未だべったりのようだけど。
まぁ、最近は色々と仕事が忙しいからな。五割以上は転入生が起こす騒ぎの所為だけど。
「とにかく、放課後犬塚と話そう」
うん。そうしよう。
そして放課後。
案の定、生徒会の仕事は多い。それなのに副会長と双子は居ないのだが。どういうことだよ…?あいつらまた生徒会の権限使って授業も休んだんじゃねぇだろうな。ろくに仕事もしないくせに、権限だけは一丁前に悪用しやがって。
でもまぁ。以前と比べると全然マシか。会長と犬塚は居るんだから。それにあいつらのお陰で宇宙人のような転入生が此処に来ないのは何よりの救いだな。
「おい馬鹿」
「………」
「こら、聞いてんのか」
「………」
「チッ、愛咲てめぇ話を聞きやがれ」
「んー?かいちょー、なぁに?」
「一回で返事しろ、馬鹿」
「俺、馬鹿って名前じゃないもーん。ちゃんと愛咲っていうすばらしー名前があるから」
わざと怒らすように語尾を延ばしながら挑発した喋りをすれば、会長はもう一度舌打ちをした。
「てめぇぶん殴るぞ」
「そんなことすると、俺の可愛い可愛いセフレちゃん達に怒られちゃうよ」
「知るか、ボケ」
まぁ、俺にセフレなんていないけど。
恐い恐い親衛隊長は居るけれども。
「くそ。てめぇと話してると話が進まねぇ」
「ふふ、ペースが乱れちゃってるよダーリン」
会長はなんだかんだ言いながらも暴力は振るわない。
それが分かっているので、俺はいつも軽口を叩いてわざと怒らせるように挑発している。反応や返しが面白いんだよな、会長は。このやり取りが俺は結構好きだったりする。おまけにストレスも発散出来たりする。一方の会長は逆にストレス溜まりまくりだと思うけど。
しかし。
きめぇとか言われちゃったよ。地味にショック。
だけど。うん。俺もそう思う。さすがにダーリンはなかったな。俺、きめぇ。
「…それで?」
「あ?」
「かいちょーは俺に何の用事?」
「…これだ」
「んー?」
「この書類犬塚と二人で片付けろ」
「…ふ、たりで?」
会長の言葉に思わずドキッとしてしまった。
今までならば何とも思わなかったことなのに。むしろ犬塚に教えるのが楽しいと思っていた俺からしてみれば、結構好きな仕事だったりする。
だ、け、ど。
それは昨日のあの事件が起こるまでの話だ。
まともに話や弁解の言葉を言う前に、こうして二人で仕事をしなくてはいけないとか…。
ど、どうしよう。
チラリと横目で犬塚を見る。
「……、」
そうすればバチリと目が合ってしまってびっくりしてしまった。
な、何だよ。その目は。表情の変化に疎いとか言われている犬塚だけど、俺からしてみればそんなことないから。何で今日に限って鋭い目でこっちを見てくるわけ…?!
やっぱり昨日のことか。昨日のことを怒っているのか?!いやいや、怒りたいのはむしろ俺の方だから。
初キスを奪われたんだから。男に。
ううう。思い出したら余計に空しくなってきた。
だがここで俺のペースを崩してはいけない。だって此処には俺と犬塚だけではなく、会長も居るんだから。
とにかく。
会長には勘付かれないようにいつも通りに犬塚に接しよう。きっと俺が普通にしていれば、犬塚も普通に接してくれるはずだ。弁解は会長が居なくなってからだ。
「じゃぁ、犬塚。二人でちゃちゃっと終わらせちゃおーう」
「………」
無視かよ、こんにゃろう。
いいよ。いいよ。別に。
犬塚がそういう態度取るなら、俺だってそれなりの態度を取らせて貰おう。俺の方が立場が不利なようだけど、もし犬塚が会長に喋ろうとすれば強引に口を塞げばいいだけの話だし。一緒の場所に居るのならば、下手に出る必要はないのだから。
話し合いはこの仕事が終わってからだ。
とりあえず犬塚が理解しようがしまいが、強引に今回の仕事は早めに終わらせて貰うとしよう。
「それじゃあ、始めようか」
しかし犬塚はまたもや俺の言葉に返事はおろか、頷きもしなかった。
しかも。
今度は無視だけでは済まなかった。
「…お前達は付き合っているのか?」
犬塚はとんだ爆弾発言をしやがったのだ。
「「はあ?!」」
犬塚のこの素っ頓狂かつ摩訶不思議で馬鹿げた的外れな言葉に、普段は意見すらも合わない会長と声が被った。それほど会長も、衝撃展開だったのだろう。
それは俺とて同じだ。
「んなわけ…っ、」
んなわけねーだろ!と声を荒げる寸前で俺は口を手の平で押さえた。
危ねー、危ねー。犬塚のとんでも発言に、おもわず素が出てしまうところだった。こんな所で口汚い言葉遣いをしてみろ。一気にボロボロと“偽りの自分”が暴かれてしまう結果となるぞ。それでは俺の半年の苦労が水の泡になってしまう。
ここは気を落ち着けて冷静に…。
「そ、そんなわけないでしょー」
ね、会長?と首を傾げて同意を求めれば、ハッとしたように会長は俺の言葉に頷いた。
「…ったりめーだ。気持ち悪いことほざくんじゃねぇ」
「あ、気持ち悪いはひどーい。その台詞そのままお返ししまーす」
「はっ、馬鹿か」
クソ野郎…。
鼻で笑った挙句、見下した目で見やがって。
大体犬塚も犬塚だ。
何処で俺たちが付き合っていると勘違いしやがった。そんな所一切なかっただろうが。もし俺が会長を「ダーリン」呼びした所で勘違いしたのならば何も分かっちゃいない。あれはただの冗談だ。もっと的確に言えば、「ただの嫌がらせ」だ。
それに。
俺が会長と付き合っているわけねぇだろうが。百パーセント有り得ないし、これからもそんなことは絶対に起きないと声高々と宣言することだって出来るくらいだ。
「犬塚、分かってくれたぁ?」
頷け。全力で頷きやがれ。
俺がこのばかいちょーとどうこうなるわけがない。
拒否は認めないとばかりに高圧的な目で犬塚を圧迫してやれば、渋々といった感じで犬塚は頷いた。
「分かればよーし!」
頼むからもう気持ちの悪い冗談は言わないでくれよな。そんなことを思いながら、俺は平静を取り戻しながら、生徒会の仕事に取り掛かろうとした。
「チッ、やる気が失せた」
そして一方の精神的被害者の会長は、「後はお前達二人でやっとけ」とだけ命令すると、生徒会室から出て行ってしまった。
いつもならば文句の一つ二つどころか、追い掛けるところだったが、今日は特別に許してやろうではないか。
というか、ぶちゃけ早く出て行って欲しかったくらいだ。
邪魔者は居なくなった。
これでやっと犬塚と二人きりで、腹を割って話せるな。
「………」
やっと犬塚と二人きりになれた。
それはいいことだ。
しかしだ。
どうやって話を切り出そうか…。
このまま話の流れや空気などを無視して昨日の事を切り出すのは簡単なことなのかもしれない。だけどこういうときに限って何故か機嫌の悪い犬塚のタイミングを無視して話すのは少し戸惑ってしまう。
…というか、何故こいつは機嫌が悪いんだ?昨日の所為か?俺が悪いのか?
だが何故犬塚が機嫌を悪くする必要があるんだ。機嫌を悪くするのも泣きたい気分になるのもどちらも俺の方だろうが。勝手に俺のファーストキスを奪ってきやがったくせに生意気な奴め…。
「…愛咲」
「……ん?、ん…何?」
「此処は、どうするんだ…?」
「え、あ、…それはね、こうして、」
あ、あれ?先程とは打って変わって普通じゃん。
機嫌が悪いと思ったのは俺の気の所為だったのか?
昨日キスされたことで敵対心有りで話をしていたからそう感じてしまっただけかもしれない。
そうだよな。こいつが怒った所とか見たことないし。俺の気のせいだったんだろう。
俺って余裕ない上に性格悪いなぁ。と少し反省。
「(って、俺は被害者だろ!)」
しかし俺は目の前の男に初キスを奪われた被害者だったことを思い出し、その反省はすぐに止めた。というか撤回する。
俺は悪くない。絶対に悪くない。確かに冗談で「お礼はチューでいいよ」なんてほざいてしまったものの、それを真剣に取った犬塚が悪いんだ。そうだ。そうに決まっている。
…まぁ、俺にも少しは非があるかもしれないが。一ミリくらいは…。
と、とりあえず本題は後回しにしよう。
犬塚にPCの操作を教えながら仕事を終わらせるのが先だ。
俺はそんなことを思いながら、一人で頷いた。
「えっと、それで、こうね」
マウスを巧みに動かし、最後に一回だけクリックをする。これで一通りの教えは終了。少し早口の説明になってしまったが大丈夫だっただろうか。
チラリと犬塚を横目で見れば案の定、理解出来ていないだろう表情をしていた。
「ご、ごめん。少し、早かった…かな?」
「…いや、理解力の足りない俺が悪い」
「ち、違うよ。ごめんね、俺が悪いから」
ああ、駄目だ駄目だ。
犬塚の教師(と自分の中では思っている)として失格だ。今のは完璧に俺の指導ミス。というか焦る気持ちが教えに滲み出ていたと思う。早口だったし、操作も早くし過ぎたし、これで全て理解出来る人間なんて居るわけがない。
それなのに変に犬塚に気を遣わせてしまった挙句謝らせてしまった。最悪。俺のバカ。
「ごめんね。もう一回ね。もう一回。今度はちゃんとするから…」
最初から教えるべくもう一度マウスを手に取れば、犬塚に止められた。
「犬塚?」
「…此処。この箇所だけだけでいい」
「え?そこ、だけ?」
「ああ」
まじかよ。
今の雑な説明でほとんど理解したというのか。やっぱり犬塚は凄いな。
俺は犬塚が手に持っている昨年度の予算書を覗き込んだ。
「これの何処?」
「…此処だ」
「んー?」
「どうやったら合計が出る…?」
「あー、えっとね、そこは」
その部分は口だけで説明するには少し難しいか。
もう一度PC操作しながら説明した方が俺も教え易いし、犬塚も理解し易いかもしれないな。
そう思ってマウスを手に取ろうとした瞬間。
「……、」
振り向き際にふと視界に入った犬塚の唇。
指の腹で触れば、少しかさついているのが分かりそうだ。女の人とは違う、男っぽい唇。そんな感じ。
そうだ…。
昨日俺はこの唇とキスしたんだよな…。
あの時は急な出来事で苦しいだけでよく分からなかったけれど、今思い返してみれば結構生々しい感触だったような気がする。し、舌とか口の中に入ってきてたし。ヌルヌルしていて変な感じだった。
こんな真面目そうな面していて、結構やることはやってんだよな、犬塚も。俺は初めてだから上手い下手とかあまり分からないけれど、初心者なりに犬塚は手馴れているということが分かった。
唇や舌の動かし方や、息遣いが何か慣れてるようだった…。
「………」
そうか。怒りだけであまり実感してなかったけれど。
俺、キスの経験しちゃったんだよな…。
「(何かもう。別にいいかなぁ…とか思っちゃってる自分が居たりする。確かに腹が立ったけれど、今思えばちょっとだけ、き、気持ち良かったし。…一回くらい。それに男とのキスはノーカンだと思うし。回数に入らねぇよな)」
うん、うん。
そうだ。そうに決まっている。
そういうことにしておこう。だから昨日の事はもう忘れてしまおう。多分犬塚も、もう忘れちゃってるよ。
犬に噛まれたくらいに思っておこうじゃないか。犬塚は本当に犬っぽいし。
だから今度こそは、女の子と初キスを経験しよう。
そんな事を思いながらボケッとしていたら、
「…おい」
「、へ?!」
急に犬塚に話し掛けられておもわず肩が跳ね上がってしまった。
「な、何?」
「………」
や、やばい。
自分の世界に入り込んでしまっていた。
謝ろうと口を開けば、何故かそれより先に身体を机に押し付けられたものだから、俺の口からは痛みを訴える悲痛の声しか出なかった。
「ッ、痛、」
ガチャンと何かが床に落ちた音が聞こえてきた。
そりゃ、そうだ。俺のような大の男が乗るようなスペースは机にはない。きっと俺が乗った所為で、代わりに何かが落ちてしまったのだろう。パソコンが落ちてないといいのだが…。
つーか。
この駄犬何してやがんだッ。
「…いきなり、な、にする、ン、?!」
乱暴な事をし出した駄犬に声を荒げようとしたものの、昨日と同様に、何故か近づいてきた犬塚の唇によって俺はセカンドキスと悲鳴の両方を同時に奪われてしまった。
「ん、っ、ゃめ、」
おいおいおいおい!
ふざけんな!
な、何で!ファーストキスならぬ、セカンドキスまでお前に奪われなきゃならんのだ!
「っ、んッ」
まじでふざけんな。
何でこんなことをしてくるんだよ。意味が分からねぇ。だってそうだろ?いくら此処が欲に飢えた男だらけの学園だとしても、お前なら外に出れば女の子だって選り取り見取りのはずなのに。それなのに何で、何で…俺なんかと…。
「ぅあ、ゃめろ…、」
そんな事を考えている内に、犬塚の行動は更に度を増し始めた。逃げようと試みる俺の腕を拘束し出すは、触れるだけのキスでは飽き足らず舌を入れてくるは。
本当にバカ。最悪。
「や、…っ、ンッ」
俺の許可なく勝手に舌を入れるなっ。
ヌルヌルして気持ち悪いし、何か背筋がゾクゾクするだろうが…。
「、ッ、…も、はな…せ」
「嫌だ」
「な、っ?」
しかし犬塚はそう言った直後、俺の口の中から舌を抜いてくれた。だからてっきりそれで終わりだと思ったんだけど…。
「ひ、ぁ…?!」
今度は顎を掴まれて、そのまま上唇から鼻にかけてベロリと舐められ、思わず変な声が出てしまった。
「お、おま…な、何して…っ」
まるで犬に顔面を舐められた気分だった。
だが、どうだ。俺の目の前に居るのは犬のような奴だが、実際は犬ではない。歴とした人間なのだ。それなのに、俺の…顔を。
信じられねぇ、こいつ。
「い、ぬづか…やめ、ろ」
「物欲しそうな顔で見てきたくせに」
「はぁ?!…んなわけね、…ッ、ン」
そして再び濃厚なキスの再開。
悔しい事に力の差は歴然で。俺だって一般男性並みの腕力はあるはずなのに、剣道で鍛えているこいつには歯痒い事に全く歯が立たない。まるで赤子と大人のようだ。抵抗らしい抵抗が出来やしない。股間でも蹴ってやれば一撃だと思うのだが、上に乗られているので、それすらも出来ない。
これが分かっていて俺の身体に体重を乗せてきているのだろうか。そうだとしたら、凄い計算高い奴だよ。
「ふ、ン、ぅ…ぁ」
つーか。誰が“物欲しそうに見てきた”だ。
ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!
そんなことあるわけねぇだろうが!
腹が立った俺は、口の中に勝手に侵入してきている犬塚の舌先をおもいっきり噛んでやった。
「…っ」
すると犬塚の動きが止まった。
そりゃ、そうだ。力一杯噛んでやったからな。もしかしたら切れてしまったかもしれねぇな。
はっ、ざまあみろ。俺の脅威に気付いたならばさっさと離れやがれ。
そう。
俺はそう思っていたんだ。
痛い目に遭わせてやれば後悔して離してくれるって。
……だけど。
「ん、ン…?っ、ひ、ぁ」
こいつは違った。
「ん、ぅ?!」
むしろ更に火が付いたように、俺の口内を激しく掻き回してきた。
しかも今度は血の味付き。やはり俺が噛んだ所為で血が出てしまったのだろう。
鉄の匂いでクラクラする。
それに上顎を舌先でなぞられ、舌を軽く噛まれれば、嫌でも変な声が出てしまう。
「あ、ァ…、ぁ」
そしてついに飲み込みきれなくなった唾液が口端から零れ落ちてしまった。もはやこの唾液がどちらの物なのかは俺には判断できない。
もはやキスという定義すらもあやふやだ。
キスというものはもっとこう、優しくて甘くてふわふわするものだと思っていた。だが、こいつとのキスはどうだ。全く掛け離れている。真逆じゃないか。
「ひ、…ァ、ゃ…ン」
唾液で薄まっているとしても血は不味い。
でもそれなのに血の匂いと味で、変に興奮してしまう俺はおかしいのだろうか。いや、おそらくそれは犬塚も同様なのだろう。
「ん、ぁあっ」
ああ、くそ。気持ちがいいなんて。
情けない。本当に情けない。
男の…犬塚のキステクだけで鳥肌立ちまくりだけでは足らず、まるで全身性感帯にでもなったように身体が震えてしまうなんて。
馬鹿野郎、痙攣するな俺の身体…っ。
ただ拘束するために掴まれている腕さえも、気持ちが良いとか思ってしまう俺はマゾなんだろうか。
いやいや。俺に限ってそんなわけあるまい。
そんな事を思っていると、ヌルリと口内から犬塚の舌が抜かれた。
「ン、ぅ」
「ふ、勃ってるぞ」
「…う、うるさ…ぃ」
ただの生理現象だこの野郎。
精一杯の見栄を張ってそう言えば、犬塚は口角を上げた。
そりゃそうだ。大粒の涙を流しながらそんな事を言われてもただの強がりにしか取られないだろう。だがそんなこと知るか。
「バカ、アホ、シネっ」
「ああ」
「……っ、」
てめぇだって勃起してるくせに。男の…しかも俺なんかとキスしただけでズボンの下で膨らませてやがるくせに。
…うあっ、くそ。そんなのを俺の下半身に擦り付けてくるな。
俺は気が済んだならさっさと離れろという意味を込めて、犬塚の胸板を拳で叩いてやった。とはいっても、上手く力が入らない所為で弱いパンチだったと思うけど。ちくしょう、覚えておけよ。明日はその股間にコークスクリューパンチでもぶちこんでやる。
すると犬塚は拘束していた俺の腕だけを離してくれた。
ああ、くそ。痣が出来てやがる。
「…っ、どけって」
「……セカンドキス」
「は、?」
「…それも、俺が奪えたか?」
「なっ、?!」
何をいけしゃあしゃあと…っ。
カッとなった俺は自由になったその手で犬塚の頬に張り手でも喰らわせようとした。
「…ぁ、」
しかし俺のスピードなど見切れない男ではない。
頬に張り手を喰らわせる前に再び手首を掴まれてしまった。
駄目だ。腕力でもスピードでも頭脳でも。
何一つ俺はこいつに勝てやしねぇ。
「は、なせ…っ」
「……怖いか?俺が」
「ば、馬鹿野郎。てめぇなんか何ともねぇよ」
「そうか」
ただの強がりだと思われてしまっただろうか。
だが俺の言葉を聞いて、犬塚は満足そうに微笑んだ後手を離してくれた。
「お前は、そっちの方がいい」
「…な、にがだよ…?」
「チャラチャラしているのは似合っていない」
「……あ、」
や、やばい。
こいつの言動に振り回されて、頭に血が上っていた所為で、「チャラ男の振り」をするのをすっかり忘れてしまっていた。何て事だ。大失態過ぎる。
「ち、違うっ。これは、」
チャラ男の振りをしていたお陰で生徒会の仕事をスムーズにこなせているかは定かではない。だがチャラ男を演じ始めてから俺の生活は安定してきたのは確かだ。
「犬塚、馬鹿。勘違いすんな。俺の話を聞けって」
「……だが、」
すると再び近付いてきた犬塚の端正な顔。
「…え、」
突然な事に避けることすら出来ずに…、
チュッ。
再び唇が重なった。
「二人だけの秘密というのも悪くないな」
触れるだけのキス。
それはイコール、俺のサードキスすらも奪われた瞬間。
そして。
「っ、うぁああああ!」
犬塚に弱みを握られた瞬間でもあった。
ともだちにシェアしよう!