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先生√
結論から言えば。
「…それで、何の用なんですか?」
俺は怒っている。
そう、怒っているのだ。チャラ男らしく語尾を伸ばすのも億劫なくらいに。
それだというのに目の前に居る教師は、俺が怒っているということに気が付いているくせに悠長に煙草なんて吸ってやがる。こちらに煙が来ないように極力配慮している様子が窺えるのだが、そんなことよりも先程のことをもっと配慮して欲しかった。
いくら「手を離して」と訴えても一向に離してもらえず、結局目的地である此処に着くまで俺達は手を繋いできた。
男と手を繋ぐということ自体も好ましくないというのに、その道中俺がどれだけの屈辱を受けたか…っ。くそぉ、今思い出しただけでも腸が煮えくり返りそうだ。
何が「お似合いのカップル誕生ですぅ!」だ!
何が「教師と生徒の禁断の愛萌えー!」だ!
しかもどっちが受けの立場なんだろうという話になった際には、満場一致で会計様でしょうと勝手にほざいて嬉々として騒ぎまくっていた。
「……もうお婿に行けない」
まだ女の子とも手を繋いだことないというのに。
ここ最近男とのスキンシップが過剰になっている気がする。こんなことなら両親に無理を言ってでも共学高に通わせて貰うんだったと思いながら、わざとらしくグスンと泣き真似をすれば、なっちゃんは再び鼻で笑ってこう言った。
「その時は責任取って俺が貰ってやるよ」
少し離れた所にある窓際に腰を掛けているなっちゃんは、外に向かって白い煙を吐き出していた。その仕草すら様になっているのが余計に腹が立つ。
「残念でしたぁ。俺は何としてでもおっぱいの柔らかい女の子と結婚しますぅ」
中学生の途中で教師すらも男しか居ないこの学園に入れられてからというものの、本当におっぱいが恋しくなってきた。昔はサイズなんて気にしなかったものの、男の硬そうな胸板ばかりを見ていたら、触ったことも見たこともないのに大の巨乳好きになってしまったくらいだ。
「出来ればDカップかEカップを所望します!」と宣言する俺になっちゃんは「そりゃ残念だ」と言いながら灰皿に煙草を押し付けていた。
「………」
大して感情が篭ってない所を察するに冗談のようだ。
だがなっちゃんのこういう冗談を聞くのは初めてなのでちょっと驚いた。
そういえばいつもキャーキャー言われているくせに、なっちゃんの“そういう噂”を一つも聞いたことがない。教師たる者倫理観は持っているということなのか、俺のように男に興味がないのか。
どちらかなのだろうが、大して興味のなかった俺は早めに話題を切り出した。
「それで、何のご用事?」
お弁当食べながらでもいい話?と訊ねれば、「ああ」と了承を得たので俺は嬉々として弁当箱を開いた。男子学生のお昼時間は一分一秒が惜しいのだ。しかも俺は今日朝から何も食べていないので空腹状態。いただきますと言うなり、箸を持って白米にがっついた。
「…珍しいな」
「んー…?」
あー。やっぱり梅干しと白米は相性抜群だなぁと頬を蕩けさせていれば、俺の持っている弁当箱を物珍しそうに見られた。えー、何なに?
「冷凍物もあるから、そんなにじっくり見ちゃいやん」
例えどれだけ料理の腕が良かろうが、彩が良かろうが、バランスが良かろうが、弁当の中身をじっくり見られるのは恥ずかしいものだ。
しかも。
俺は別に例に挙げた三つのように秀たる所などない。
ふつーのおかずにご飯だ。冷凍食品に頼ったりもしている。
「あ。俺の家は特別裕福じゃないからねー」
おそらくなっちゃんは俺の弁当について驚いているのだろう。確かにこの学園では昼ご飯まで自炊する生徒は居なさそうだ。
この学園に通っている九割七分は雲泥の差があれども一般家庭よりも裕福な育ちだろう。だが俺は違う。普通のサラリーマンの父と、専業主婦の母の息子なのだ。でもいい両親になので文句一つもない。他の奴達が羨ましいとも思わない。
「食堂のご飯は高くてちょっとね」
滅多に行けないけれど、美味しいから貰っているお小遣いを切り盛りして一ヶ月に一回くらい行くほどだ。たまに犬塚に奢るからと誘われるものの、さすがに申し訳なくてほとんど断っているし。
「それに食堂の料理には劣るけど、俺の作るご飯も美味しいもんねっ」
昨夜作った唐揚げを両頬膨らませてもぐもぐと咀嚼していると、なっちゃんに頭を撫でられた。
「…今度一緒に飯食いに行くか」
「えー?なっちゃんの奢り?」
「ああ」
「んー、嬉しいけどぉ…悪いからいいや」
「その代り、お前も今度俺に飯を作れ」
「…へ?」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、まだ咀嚼途中の唐揚げをモキュと飲み込んでしまった。
「……まじで言ってんの?」
「等価交換、だろ?」
ニヤリと笑ったなっちゃんにおもわず有無を言えず頷いてしまったのだが。後になって、俺の作る普通の飯と、食堂の高級食材をふんだんに使った飯の何処が等価なのだろうと少し頭を悩ませた。
でもこれは彼なりの社交辞令というか、おそらく金の無い俺に気を遣っての言葉だろう。この場での口実であって多分“今度”なんて来ないはずだ。それなら俺も適当に話を合わせて頷いたままでいいのだろう。
そう納得しながら俺は薄く味を付けたほうれん草を口に放り込んだのだった。
「(…しかし、それにしても)」
まるで目の前にいるなっちゃんはいつものなっちゃんではないようだ。
もちろんいい意味で。
普段ならばもっと口煩くあれやこれや注意してくるはずなのに。「なっちゃん」呼びに対しても。この第三ボタンまで開いた服装に対しても。
悔しい事にどの注意に対しても口答えした挙句、結果全敗しているけど…。
一体どのような心境の変化だろうか、そう考えながらほうれん草を咀嚼している時だった。
「生徒会室に、行ってないようだな」
……今一番触れて欲しくない核心を突かれたのは。
もしかしたらなっちゃんがわざわざ昼休みの時間を使ってまで俺を呼び出した理由はこれなのだろうか。生徒会の仕事を放棄している俺を咎めに来たのかもしれない。それならば俺以外の生徒会の奴等も、一度はなっちゃんに呼び出されたことがあるのか?
「何で、そのこと知ってるの?」
「馬鹿。生徒会の顧問は俺だ」
「そんなことは知ってるけどぉ…」
でもなっちゃんは今まで生徒会室に顔を出したことはなかったじゃないか。それどころか今までなっちゃんと生徒会の事について話したことすらない。しかも俺は生徒会メンバーの中で唯一、一年からなっちゃんの受け持っている生徒だというのに。
「俺が…生徒会の仕事サボってるから怒ってる?」
「…何かあったのか?」
てっきり怒られると思っていた。
当たり前の事だ。生徒の代表として選ばれておきならが自分の仕事を放棄しているのだから。
だけどなっちゃんの声は俺を咎める様な口振りではなく、極めて優しいものだった。
おもわず今まで溜めていたストレスや不満や不安をぶちまけて甘えてしまいたいくらいに。
「べ、つに…ぃ」
でも俺はそれを寸前の所で止める。
言葉にして聞いて貰えれば少しは楽になったのかもしれない。
だけど
人に甘えるのは…、正直苦手だ。
「何でもないから放っておいてよぉ…」
その内ちゃんと生徒会のお仕事をするから今回は許して、と俯きながら付け加えれば、再度髪の毛を掻き混ぜるようにわしゃわしゃと頭を撫でられた。
「な、なに…?」
何で頭撫でんの?
今の俺はどちらかというと褒められるより、叱られるような態度を取ったつもりなんだけど。
「別に。お前が撫でて欲しそうな顔してたから」
「は、はぁ!?」
「何だ?違ったのか?」
「当たり前でしょ!…子供扱いしないでよっ」
やっぱり俺はなっちゃんが苦手だ。自分のペースが上手く作れなくなる。似たような性格をしているはずなのに会長とは全然違うな。
頭に乗せられている頭を少し乱暴に払いのければ、「そういう所も餓鬼っぽいぞ」と言われて、ちょっとむかいついた。
そしてなっちゃんの脈絡のない話はまだ続く。
「…お前が居ないと駄目だとよ」
「は?急に何言ってんの?」
「生徒会長と書記の奴」
「……な、にそれ」
なっちゃんの話はこうだ。
昨日久しぶりに生徒会室まで書類を届けに行ったら俺の姿は見えなくて、苛立った雰囲気を醸し出したまま、無言で机に向かい合う会長と犬塚の姿だけがあったらしい。
やはり六人分の仕事を二人に押し付けたのは不味かったかもしれない。だって今でどんなに忙しくてもそんなに部屋の雰囲気が悪くなることなんてなかった。
「二人に苛められたのか?」
「イジメられてはないと思う…」
多分。
イジメのように悪質なこちはされたけれど。
犬塚に至ってはあれはあいつなりの愛情表現のようだし。会長の件については犬に噛まれたとでも思っている。
そういえば。
二人の声も暫く聞いてないな。
「………」
…一週間。
たった一週間生徒会室に行っていないだけなのに、妙に物足りないと思っていた原因がなんとなく分かったかもしれない。
会長が偉そうに座りながら書類見てて。
犬塚の隣で俺がパソコンの操作を教える。
時には茶々を入れあったり、口喧嘩したり。
六人から三人へと人数が減ったものの、仕事は忙しくても俺はあの独特な雰囲気を意外と気に入っていた。
セクハラ紛いのことをされるのは嫌だけれど、確かに俺はあの空間が好きだったのだ。
「…なっちゃん」
「何だ?」
「あのね。俺、今日…生徒会室に行くよ」
「…そうか」
「うん」
「あんまり根詰めんなよ」
「…うん」
正直二人と顔を合わせるのは気まずい。
でもまずは一週間仕事をサボっていたことを謝ろう。そしてその後、二人を殴ってから一週間前のことを謝らせよう。
それで色々なことがチャラになればいいな。
そんな事を思いながら、俺はまずはこの大事なことに気付かせてくれたなっちゃんにお礼を言うことにした。
「なっちゃんも一応先生なんだね」
「阿呆か」
「教師じゃなくてホストになれば良かったのにとか常々思っててごめんなさい」
「しばくぞ」
「うん。だからね…、」
「……あ?」
眉間に皺を寄せる先生を見て、俺はクスリと笑う。
「ありがと、せんせ」
本当にこういう時はチャラ男キャラをやっていて良かったと思う。こんな照れ臭い台詞、普通の俺だったら絶対に言えない。
便利だしもういっそのことこのままチャラ男キャラで突っ走って行こうかな。
そんなことをぼんやりと考えていると、またもや頭を撫でられた。
「…わ、」
しかも今度はちょっと力強い。
ぐわしぐわし頭を撫でられても全く気持ち良くない。
なになに?やっぱりまだ怒ってるのかよ?
でも俺はそれなりになっちゃんのこと尊敬してますよ?そんなこと絶対口には出さないけれど。
「ちょっ、痛い、いたいよっ」
「うっせ。馬鹿」
口角を上げながら俺の頭を掻き回すなっちゃんに、おもわずつられて俺も笑ってしまう。
少し乱暴で口も悪い所があるけれど。
やっぱり俺の担任がなっちゃんで良かった。
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