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書記√3
それから会長は何度か俺に自分の名前を呼ばせると、満足そうな笑みを浮かべたまま、俺の髪の毛を掻き混ぜるようにワシャワシャと撫でた。会長の突然の行動に驚いたけれど、不思議と嫌悪感は湧かなかったので俺は会長のしたいがままにさせた。
そして、暫くして。会長はそのまま何事もなかったかのように席に着いて、真面目な顔で溜まりに溜まった書類の山に判を押し出したのだった。
「………」
正直。
訳が分からん。
会長は一体何がしたかったんだ?俺に嫌がらせをするだけしたら満足したのか?
あれやこれや考えて、会長の真意を探ってみたものの。目の下に隈を浮かべながらも真剣に書類を片付けていく会長を見て、俺はその思考を途中で遮断させた。
そんなことより先に、サボっていた一週間分を償えるように働こう。
そして会長と犬塚の負担を出来るだけ取り払おう。
そう意気込んで席に着いた時だった。
ガチャリと音を立てて生徒会室の扉が開いたのは……。
「……あ、」
反射的にそちらに目を向ければ、今まで不在だった犬塚が姿を現した。
「い、犬塚…ひ、久しぶりぃ」
いきなりのことだったので、何度も頭の中でシミュレーションしていた気の利いた台詞など言える訳もなく、俺の口からは何とも馬鹿げた言葉しか出なかった。
犬塚はそんな言葉を吐いた俺の方に一度だけ視線を向けると、何事もなかったかのようにすぐに俺から視線を外し席に着いた。
黙々と書類にだけ目を向ける犬塚。
それはまるで俺が居ないように接しているよう。
「…い、ぬづか」
犬塚からそんな素っ気無い反応をされたのは初めてで。
自分を守るために逃げた己の行動でどれだけ犬塚を傷付けてしまったのか、今更ながらに嫌な程痛感した。
犬塚に好きと言われて。その返事は後でするとか言っておきながら避けるように逃げて。
どう言ったら犬塚を傷付けないで断れるだろうかと気を遣う以前の話じゃないか。
俺の身勝手な行動でどれだけ傷付けてしまったんだろう…。
一週間、そう一週間。犬塚はどういう気持ちで居たんだろうか。
悲劇のヒロイン気取りかよ…。俺は馬鹿だ。
「犬塚!」
ドンッと音を立てて机を叩きながら勢い良く立ち上がる。
そうすれば名前を呼ばれた犬塚だけではなく、会長すらも俺に視線を向けた。
再びこちらに視線を向けてくれた。その目には先程のような冷たさはなくて少し安堵する。
「ちょっと、話がある。来て」
有無を言わさない内に、強引に腕を引っ張て連れ去ろうと試みる。
「愛咲」
だが生徒会室を出る寸前で、会長から呼ばれてしまい俺は足を止める。
忙しいこの時期だ。もしかしたら止められてしまうのだろうか。
「四十五分だけだ。時間内に戻って来い」
内心冷や冷やしたものの、どうやら意外にも了承を貰えたようで。
気を遣ってくれた会長に感謝の意味も込めて、「ありがと、焔会長」とだけ述べて、俺は再度犬塚を引っ張って生徒会室から出たのだった。
生徒会室から少し離れていて、その上一般生徒が安易に近寄れない所がいい。
それはこの場から何処が一番適した場所だろうか。犬塚の手を取って勢いで飛び出してきたものの、いい場所が浮かばない。
どうしたものかと速めていた歩を少しだけ緩めれば……。
「っ、!?」
掴んでいた犬塚の腕から逆に手を取られてしまい、目の前の教室に無理やり押し込まれてしまった。
そこは。
偶然にも生徒会役員しか使わない印刷室。
いい場所を選んでくれたじゃないか犬塚君。此処なら一般生徒は疎か、なっちゃん以外の教師や風紀委員すら入らない。
だが他の言い方をすれば、近況から考察するに会長くらいしか入っては来ないということだ。
つまり。何か予期せぬ事態が起きても誰も助けには来ないということにもなる。
だけど俺をこの場に押し込んだのは紛れもなく犬塚だ。不良でもなければ、俺に恨みを抱いている人物ではない。
…いや。
もしかしたらこの一週間で俺に恨みを抱いたかもしれない。
「犬塚」
俺が名前を呼べば、犬塚は掴んだ手をゆっくりと離してくれた。少し痛かったので、簡単に離してくれて正直ホッとした。
だが次の瞬間には壁に押しやられて、まるで逃がさないと言わんばかりに犬塚の左右の腕で囲まれてしまい、再び息を詰める事となった。
「…怒ってる、のか?」
何を当たり前のことを訊いてるんだ俺は。
そんなの訊くまでもなく答えは決まっているじゃないか。
例えどんな聖人君子であろうとも答えは一つだ。
「ああ」
そう、イエスしかない。当たり前だ。
俺が全面的に悪いんだから。
「犬塚、本当にごめん」
「…許さない」
「そうだよな。…本当に悪い。一週間も逃げるような行動を取って…」
「それは別にいい。それより何故会長の名前を呼んだ?」
「……は?」
俺の聞き間違いか?今犬塚は何て言った?
“それは別にいい”?
「お前、何言って…」
「あいつとの間に何があった?」
「と、特にないけど……、というか、え?お前は俺に怒ってるんじゃないのか?」
「…俺が怒ってないように見えるか?」
いや、怒っているように見えるけども。
犬塚の怒りの矛先が訳が分からない。俺が一週間音沙汰も無しに逃げていたことに怒っているんじゃないのか。何でそれよりも俺が会長の名前を呼んだだけのことにこんなにも怒ってるんだよ。
「犬塚は俺が返事もせずに逃げたことで、俺を嫌いになったんじゃないのか…?」
「なってない」
「…で、でも」
「何だ?そんなに嫌いになって欲しかったのか?だが残念だったな。余計にお前のことが恋しくて、愛しくなったくらいだ」
そうやって流暢に話す犬塚の台詞は、多分俺が知っている限りで一番長く、そして今までより一番感情が籠っていたと思う。
嘘も飾り気もなく、好きだと言われて嫌な気はしない。
例えそれが男相手で、恋愛感情での好きだとしても。
だけど。
「俺の、…どこが好きなんだ?」
正直、困る。
犬塚に好いて貰える理由が分からないんだ。俺にはそんな魅力も取り得もないから。
女の子のような柔らかさもなければ、この学園の生徒のような可愛げもない。
性格だって最悪だ。それは俺が一番分かっている。素直じゃなくて捻くれてるし、口も態度も悪いし、愛想もない。
それに、ほら。二重人格者みたいだし?
「犬塚に愛される程の価値は俺にないよ」
男同士という禁忌を乗り越えて愛す程の価値など俺にはない。
「婚約者が居るんだろ?その子を大事にしてやれよ」
俺なんかに向ける愛は、時間と労力の無駄遣いだ。将来のことを考えても犬塚の為にはならない。しかも財閥の一人息子となれば尚更だ。
な?と同意を求めるように下から覗き込むように訊ねれば、「…煩い、黙れ」とだけ返事が返ってきた。
「…犬塚?」
「愛咲の価値も、俺が誰を好きになるのかも、決めるのは俺だけだ」
「な、何だよそれ……」
「愛咲のことを悪く言う奴は、例え愛咲自身でも許さない」
「…ば、馬鹿じゃねえの」
犬塚の言葉に咄嗟に生意気な言葉しか口から出なかったが、犬塚のそのお叱りの言葉は意外と嬉しかった。
……だけどその反面、更に不安にもなる。
「犬塚は、俺の何処が好きなんだよ?」
差し支えがなければ教えてくれと頼んだ俺を見て、犬塚は吐息を吐くように笑った。
な、何だ、その笑い方は?どういう意味だ?
「残り四十分程度では全て言い切れそうにないな」
「…な、っ!?」
どんだけ言うつもりなんだよと、俺は渾身のツッコミを犬塚に入れてやった。
冗談だとしてもオーバーに言い過ぎだろ。
「て、適当なこと言ってはぐらかすなよ」
「冗談だと思っているのか?」
「当たり前じゃねえか」
「…冗談ではない」
すると犬塚は俺の反発に腹を立てたのか、少しだけ顔を顰めた。
そして。先程の発言が冗談ではない事を証明するかのように、次々と俺のことについて述べ始めたのだ。
誰に対しても折れぬ信念を貫く所が好きだとか、人一倍責任感が強く、何でも最後までやり通す所が好きだとか、誰も世話をしようとしない花にこっそりと水をあげている奥深い優しさを持っている所が好きだとか、耳を塞ぎたくなるようなその他色々まで延々に。
「ちょっ、馬鹿!もういい…!」
「何だ?まだこれからだぞ?」
「…っ、勘弁してくれ…」
これ以上言われたら羞恥で死ねるような気がする。
いや、割りとマジで。顔が熱くて熱くて堪らない。
というか、何で俺が花に水をあげていること知ってるんだよ…っ。
みっともない程に赤くなっているであろう顔を隠すために、ズルリと壁に凭れながら座り込めば、犬塚は上から覗き込むように俺を見下ろしてきた。
「こっち、…見んな」
「怒った顔も、笑った顔も可愛いと思っていたが、照れている顔も一段と可愛いな」
「う、煩い…!黙れ馬鹿!」
わだかまりが解けて、こうして前と同じように犬塚と話せるようになって嬉しいと思う反面。実はこいつが一番の曲者なのではないかと今更ながらに俺は実感したのだった。
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