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一空間目①
事の始まりは六月中旬に、コンビニで立ち読みしていた本に書かれていた不思議なアルバイトに目を惹かれたこと。
『七月~八月のたった二ヶ月間。私たちに時間を預けてみませんか?人生に疲れた方、少し休憩をしたい方、男性なら年齢・職業問いません。履歴書不要、簡単な面接のみ。詳しくは電話でどうぞ。』
今思ってみてもブラックなにおいしかしない。
だけど人生に疲れていた俺には、どこか魅力的なキャッチコピーだった。職種は分からないけれど、給与も良く、ただただ家から逃げ出したかった俺は、震える手で急いで電話を掛けていた。
そして電話の主は、「お電話ありがとうございます。ご採用おめでとうございます。二ヶ月間で必要な衣類や道具をお持ちの上、○○○までお越しください。簡単な面接を終えた後、詳しくお話します。そこで受けるか受けないかをお決めくださいませ。」とだけ述べ、話を終えたのだった。
「暑ーい…」
そして今に至る。
臓器でも売られて捨てられるんじゃないかと最初は怖くて不安だったが、もう今では割とどうでも良くなっている。この世に必要のない俺なんかの臓器でも誰かの役に立てれば幸いだ。いいリサイクルじゃないか。
それよりも暑い。暑過ぎる。
弟には勝てないと理解したあの日から、ろくに運動もせず、学校に行く時などの必要最低限しか外に出なかったため、日差しが痛い。そういえば、日曜日に外に出たのなんて久しぶりだなぁ。
「あ、…ここかな?」
FAXで貰った地図によれば、目的地に着いたらしい。
白く大きな建物。周りを見渡してみれば、運動場らしき場所も見えた。会社というよりも、病院のようなところだ。
「本当に何をする所なんだろう…」
敷地内に足を踏み入れるのに戸惑い、辺りをキョロキョロと見回していると、急に後ろから肩をポンっと叩かれた。
「……っ!?」
予想外のことに、おもわずびっくりしてしまう。
恐る恐る後ろを振り返ってみると、身長の高い綺麗な女の人が立っていた。
「……ぁ、」
「坊やはここで何をしてるの?」
「…え?あ、いや…その…、」
…坊や?
しかし見た目だけでなく、声まで綺麗な人だな…。
にっこりと笑う美人さんに怖気付きながら、俺はここに面接に来たのだということを伝えた。
「あら!そうなの!おいで、おいで!坊や可愛いから、お姉さんが特別に案内してあげる」
すると綺麗なお姉さんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら、俺の手を取り、引っ張るように歩き出した。
「え、ちょ…っ」
うっ、この人、見掛けによらず力が強い。
振りほどくのも失礼になっちゃうし。どうしよう…。
というか、この人はここの人なのかな?案内してあげる、って言ってたということは関係者なのは間違いなさそうだけど。
「あ、あの、面接官の方なんですか?」
「面接官?やーね、そんな堅苦しい呼び方しなくていいわよ」
ということは、どうやら本当にこのお姉さんは不思議なアルバイトの面接官のようだ。お姉さんのフランクな様子から推測するに、どうやら臓器提供などの危険な仕事ではないように窺える。…でも人をそう簡単に信じてはいけないというのは、中学のときに学んだ。
今のように楽しそうにニコニコと笑いながら「坊やの臓器ちょうだい」なんて軽く言われてしまうかもしれない。
……………。
いや、それはないかな…。
あれこれと考えている内に、目的の場所に着いたようだ。部屋に入るように促され、ソファに座ってと言われた。俺は反論するわけもなく、重たい鞄を床に置き、その指示に従えば、目の前に居る綺麗なお姉さんは、更に深く笑みを浮かべた。
「……あの?」
「ああ、ごめんね。あまりに坊やが可愛いから見惚れちゃってた」
「か、わいい…!?」
今の俺に一番不似合いな言葉だ。
小さい頃は両親や周りの人たちに「可愛いね」などと言われていたものの、今の俺はその可愛さなど皆無といっていいほどだ。顔のパーツはお世辞にも整っているわけでもなく、髪の毛だって整えているわけでもなく、見るからにただの「でぶ」だと思う。ファッショうセンスもないし…。
「うん、すっごく可愛い!坊やみたいな子が来てくれて良かった!」
「…えっと、その…」
何処から訂正すればいいのだろうか。
俺のようなデブよりも、楽しそうに笑う目の前のお姉さんの方が何億倍も綺麗で、可愛い。…だがそんな台詞を言えるわけもなく、俺はお姉さんからの熱い視線が恥ずかしくなって、ただただ俯いた。
「ところで坊やの名前訊いていいかな?」
「あ、っと…藤島有希です」
「OK、有希君ね。年齢も訊いていい?」
「はい、17です」
まるで本当のアルバイトの面接のような質問に、堅くなりながら答えれば、俺のそんな様子にもお姉さんは「可愛いー」と笑う。…馬鹿にされている風でもないし、お世辞?いやいや、お世辞にも種類があるだろ。俺に可愛いは絶対おかしい。
「二ヶ月間家に帰れないんだけど、ご両親からのサインは貰ってきたかな?」
「は、はい、これですよね…っ」
「うんうん、ちゃんと貰ってきてるね」
アルバイトの面接の電話を掛けた際に、送られたのは地図だけではなかった。未成年の場合は両親からのサインが必要らしい。まぁ、普通に考えてみたらそうだろう。二ヶ月間も家に帰れないんだ。しかもまだ夏休み前だから、学校も休まなくちゃいけないし。
だけど俺の両親は二つ返事でサインをしてくれた。二ヶ月間も家に帰れないというのに、職種を訊いてくるわけでもなく、心配をしてくるわけでもなく…、ただ簡単に印を押してくれた。
…両親にとって今の俺はその程度の存在なのだ。本当に何で俺産まれてきたんだろう。
「有希君?」
「………」
「…有希君?」
「え、…あ、っ、はい?」
「あー、聞いてなかったでしょー」
「す、すみません、ボーっとしてました」
「ううん、全然いいよ。それでここから本題なんだけど、いいかな?」
「は、はいっ」
…………本題。
ということは、どうやらやっとアルバイト内容を聞けるらしい。一体どんな仕事をするんだろう。
「……え?そんな事だけでいいんですか?」
お姉さんから仕事内容を聞いた俺は、酷く驚いていたりする。
…………それは何故かというと。
お姉さんから聞いた仕事内容はあまりにも簡単過ぎるから。いや、簡単過ぎるという言葉すら勿体ないような気がする。しかしそれにしてはあまりにも給与が良過ぎる。
「あら。意外と結構辛いものなのよ」
お姉さんから聞いた仕事内容はこうだった。
二ヶ月間、監視カメラのある部屋で暮らしてくれ、ということ。ただそれだけ。二人一部屋らしく、同室者がいるようなのだが、食事は一日三回きちんと部屋に届けてくれて、三日に一度は外やトレーニングルームで運動も出来るらしい。
至れり尽くせりではないか。それだけで給与も頂けるのか?…もしかしたら凄く不味い飯を運ばれるのかな?それとも部屋が凄く汚く狭い所とかか…?
どちらにしても普通に暮らすだけでいいというのは、やっぱり少しおかしい。
気に掛かる部分といえば、監視カメラが付いていることと、…あと二人一部屋ということだけ。
「…辛いんですか?」
説明を受けた上で、気になったのはその二つだけだ。
何処が辛いんだろうか。
「24時間監視されてるのよ。プライバシーはないし、よほど図太い精神をしていないと、すごくストレスが掛かっちゃうのよ。だから三日に一回は外で運動出来るようにしてるんだけどね。そうじゃないと、心も身体も保たないから。あ、言い忘れていたけど、トイレとお風呂は一緒ね。そこにはカメラは設置していないから安心して」
そう言ったお姉さんの様子からは、嘘は感じ取れない。本当に辛いのかもしれない。
確かにずっと監視されてるのはきつそうだなぁ。
でも俺からしてみれば両親や弟からの侮蔑の目の方が何倍も辛い。
「これで説明は終わり。質問とかあるかな?」
「…えっと、何で監視カメラなんですか?一体何の目的で…」
「簡単に言えば人間の観察ってとこ、かな。あまり詳しくは言えないなぁ。企業秘密ってところ。…他に質問は?」
「いえ、特には…」
“人間の観察”?
このお姉さんは、精神科か何かかな?
「この仕事受けれそう?辛そうだと思ったら、遠慮なく断ってもいいからね」
可愛い坊やとここでお別れなのは寂しいけど、そう言ったお姉さんの何気ない優しさに、おもわずドキっとしてしまった。優しさに飢えている俺には、このお姉さんの笑顔と優しさが温か過ぎて少しだけ…辛い。
「いえ、…俺なんかで良ければ…お願いします」
「本当!ありがとうっ」
「こちらこそ、採用してくださってありがとうございます」
「もう、堅くならなくていいって」
採用して貰えてよかった。
これからお世話になるんだ。それも含めて、深々とお礼をすれば、お姉さんから肩をバシバシっと叩かれてしまった。…本当にこの人は見掛けによらずに力が強い人だ。
「じゃぁ、早速部屋に案内するね」
「は、はい」
「暫く会えないけれど、私は坊やのこと見てるからね」
監視カメラ越しにジーッとね。
そう言って、両手の人差し指と親指を使ってカメラを覗く仕草を取るお姉さんの姿におもわず笑ってしまった。
「お手柔らかにお願いしますっ」
人と話して笑ったのは久しぶりだ。
やっぱりここに来て良かった。改めてそうおもう。
「えっと、この階の一番奥か」
先程のお姉さんとは先程お別れをしたばかり。
案内してくれると言ってくれたものの、部屋を出てすぐに急ぎの仕事の電話が掛かってきたらしく、俺は一人でこれから二ヶ月間暮らす部屋に向かっている。…正直言うと、少し寂しい気持ちだ。もう少しお姉さんと話していたかった。俺のことを馬鹿にするわけでもなく、避けることもなかったあの人と…。
「………」
先程会ったばかりだというのに、すっかり太陽のようなあの人に絆されてしまった自分が居るのが、…何処か恥ずかしく、情けなく思える。…どれだけ人の優しさに飢えてるんだか。「もう少し一緒に居たいです」とおもわず声に出してしまいそうだったが、俺のようなデブが言ったところで、可愛げの欠片も感じない。
俺はハァと深い溜息を一つ吐く。
「…あ、この部屋かな?」
一番奥の部屋。そう教えてもらった。多分この部屋だと思う。
だが一番奥の部屋だと知らされただけなので、本当にこの部屋で合っているのか少々不安だ。というか既に同室者?はもう部屋に居るんだろうか。それならノックとかしたほうがいいのかな?
どうせなら先程のお姉さんに、同室者の名前でも訊いておけば良かった。
入るか入らないべきか少し迷ったものの、このまま扉を見つめているだけでは何も始まらない。とりあえず俺は控えめに三回ほどノックをしてみた。
コンコンコン。
………返事は、ない。
鍵が開いているなら、このまま入っても良さそう、かな?
同室者よりも俺の方が早く着いたのかもしれない。
俺は念のため「失礼します…」と声を掛けて、ドアノブをひねった。部屋に足を踏み入れると、ガチャッと音を立ててドアが閉まったものだから少しだけびっくりしてしまった。
「……広い」
そして部屋に足を踏み入れた俺の第一声はそれだった。
てっきり汚く狭い所だと思っていたが、二人で暮らすには十分なスペースだと思う。特段に広いわけでもないけれど、文句の付け所がない。しかも冷蔵庫とテレビまで見えるんだけど、本当にこの部屋であっているのかな?こんなに豪華な所で過ごすだけで、お金まで貰っていいの?
…もしかして俺、部屋間違えた?
急いで部屋を出ようとドアノブをひねるのだが、何故かガチャガチャと音を立てるだけで、扉が開かない。
「あ、あれ?あれ!?」
な、何で、開かないの!?鍵なんて閉めた覚えがない。というか見たところこちら側に鍵を掛ける部分がない。
一体どういうこと?
焦りながら何度もガチャガチャと音を立てて扉を開けようと頑張るのだが、一向に開く気配がない。
出られない…っ。
よく弟から学校のトイレや教室に鍵を掛けたまま一日放置されていた俺にとっては、この状況は恐怖以外のなにものでもない。
嫌だ、怖い…っ。
「た、たすけてっ」
だがいつだってそうだ。
天才で容姿端麗な弟に逆らう人間など居るわけなく、俺がいくら願っても誰も助けなど来てくれない。
弟が居ないこんな所でも、こんな風になってしまうなんて、つくづく俺は弱い人間だ。
本当に俺なんか産まれて来なければ良かったのに。
何のために俺はこんな所に来たんだろう…。
諦めも入り、最後に数回ほどガチャガチャと音を立ててドアノブをひねり、床に座り込む。
「…煩ぇ」
「……!?」
……すると背後から予想もしていなかった声が聞こえてきたため、俺は驚いておもわずヒッと声を上げてしまった。
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