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一空間目②
…………一体何処から声が。
キョロキョロと辺りを見回してみたものの、人の姿は見当たらない。
「…だ、だれ?」
すると俺の声に反応したのか、おそらく先程の声の主が横になっていた身体をムクリと起こした。
そしてその声の主は、俺の顔を見るなり、こう言った。
「内側からその扉は開かねえよ。説明を受けてないのか?」
寝起きなのか、不機嫌そうに言い放った男の人の顔を見て俺は文字通り石のように固まってしまった。
そんな俺を見てどう思ったのか、「聞いてるのか?」と、顔を近付けて訊ねてきた男の人の顔を見て、俺は先程とは違う意味で再び悲鳴を上げる。
「ひぃいっ」
な、ななななな…な、なにこれ!?
上手く状況が掴めず、パニックを起こしてしまった俺は、とりあえず目の前の男から離れようと四つん這いで移動する。そして此処から逃げ出そうと考え至り、再度扉をガチャガチャする。
だがいくら頑張ろうとも扉が開くわけでもなく。
…………俺はというと。
「煩いって言ってるだろうが…!」
額に青筋を立て激怒する神田皇紀に、叩かれてしまったのだった。
……そう。
あの神田皇紀に。
日本人で彼を知らない男は居ないといってもいいほどの超有名人。最近は海外でも活躍中とテレビで見た気がする。
CM、ドラマ、バラエティ、全てを含めて、テレビで見ない日はないだろう。
そんな老若男女からの有名人が一体全体何で此処に!?
「え、…あ、れ?…ぇ!?」
叩かれた頭はそれなりに痛い。
だけどそれ以前に、彼ほどの有名人が何故俺の目の前に居るのかという疑問の方が大きい。
いや、しかしだ。よくよく考えてみれば簡単に分かること。
その理由までもは分からないが、彼が此処に居る理由は一つしか考えられない。
………もしかしなくても。
この方が俺の……、
「…ど、同室者さん?」
「……不本意だが、多分な」
神田皇紀さんは俺から顔を逸らすと、チッと隠しもせずに舌打ちをした。
「………」
ま、まじで…同室者なのか。
し、しかし、テレビで見ていた“神田皇紀”と、目の前に居る“神田皇紀”はまるで別人のようだ。
俺の知っている神田皇紀はこうだ。
容姿端麗、頭脳明晰。
だがそんな彼からは不思議と嫌みたらしさは感じない。爽やかな笑顔に、若者にしては綺麗な言葉遣い。
容姿や演技力だけではなく、彼の人の良さも人気の一つだ。
………だけど。
「あ?何見てんだ?」
俺の目の前に居る神田皇紀は全然違う。
死んだ魚のような目。声も低く、口調も荒い。顔は同じなのだが、テレビで見ていた神田皇紀とは全くの別人だ。
「…あ、いえ…ごめんなさい」
怖くて俺は素直に謝った。つまりテレビに映っていた彼は、猫被っていたということか?
……こっちが本性ということか。
彼の性格込みで好きだっただけに、少しだけショックだ。
だがこうでもしないと厳しい芸能界では生きていけないんだろうな。この部屋に居るということは、神田さんにも色々悩みがあって、逃げ出してきたということだろうし。
目の前に神田皇紀さんは、すごく、すごーく怖い。
だけど両親と弟が居るあの家に戻るよりは、二ヶ月間だけでも此処で住む方が、俺からしてみれば遥かに楽だ。
「…あ、あの」
「あ?」
「お、俺…藤島有希…って言います」
神田さんは二ヶ月間も俺なんかと過ごすのは嫌かもしれない。空気として扱ってくれても構わないし、少しだけなら邪険に扱われようとも構わない。だけど追い出されるのだけは絶対に嫌だ。
俺は深々と頭を下げて、宜しくお願いしますと震える声でそう告げた。
「………」
ドラマや漫画ならば、普通はここで「こちらこそよろしく」という返事が返ってくるだろう。だってそうだ。ここまですれば、いくら彼だって俺が同室者ということを納得してくれるだろう。
だがどうやら。
俺のその考えは甘かったらしい…。
「ふーん。…で?」
彼から返って来たのは、とてつもなくやる気のなさそうな返事だった。
「ふーん」はともかく、「…で?」と返されても、こちらからは返事の仕様がない。やはり現実は、ドラマや漫画の展開のように上手く進まないらしい。しかもひねくれた性格をしていそうな彼だ。仲良く握手までしてくれるという展開には進みそうにはない。
「……えっと」
「何を望んでるんだお前は?」
「の、ぞみ?」
「違うのか?」
「いえ、えっと…俺は二ヶ月間、ここに居させてくれるだけで満足というか…なんというか」
「……それだけか?」
「……?」
え?それ以外に俺は彼に何を望めばいいんだ?
彼の返答に戸惑い、首を横に傾げれば、神田さんは「…お前は変わっているな」と俺の顔をまじまじと見つめながらそう言った。
いやいや。変わっているのは俺ではなく神田さんの方では?
そう言いたかったけれど、そんなことを言える度胸もなく。それに万が一口を滑らせてそんなことを言おうならば、更に彼との関係性が縺れてしまうかもしれないので俺は口を開くのを止めた。
「あ、あの?」
「…何だ?」
「その、…俺、ここに居てもいいんですか?」
結局俺は彼に認められたのか?
いや、別に認められなくたっていいや。彼に邪険に扱われようとも構わないと思ったのは、先程だけのその場限りの考えではない。血の繋がった家族から邪険に扱われるあの家に戻るくらいなら、こちらの方が数倍いいに決まっている。
それは俺の立場からだけではなく、両親や弟も同じだろう。俺のような邪魔な存在は居ない方がいいのだから。
「いいも何も、俺に拒否権も決定権もねえよ」
「…と、言いますと?」
不本意だが俺とお前は同じ立場だ、なんて言われてもよく分からない。俺ははっきりとした言葉で聞きたいのだ。我ながらしつこいな、と思いつつも深く訊ねれば、神田さんはめんどくさそうに前髪をかき上げる仕草を一度だけ見せた。その男臭い仕草におもわずドキっとしてしまったのはここだけの秘密だ。
「神田さん?」
「……好きにしろって言ってるんだよ」
居てもいい、居ない方がいい。
はっきりとした言葉ではないものの、彼の言葉に俺は内心ガッツポーズを掲げている。
良かった!俺は此処に居られるんだ!たった二ヶ月間でも十分。
「あ、ありがとうございます!」
芸能人の権力などを行使して俺との同室を拒めそうなのに、それをしないでくれた。口調も荒く、乱暴な口調で、漫画でよく見る、所謂「俺様」のような性格の持ち主のようだけど、実際は良い人じゃないか。
「……あっ」
感動のあまり神田さんの手を両手でギュッと握り締めたところで、俺はハッと我に返った。
「ご、ごめんなさいっ」
何と不躾な行動だろうか。俺のようなデブが恐れ多くも、あの神田皇紀さんに強引に握手を求めてしまった。
これは立派な大罪だ。彼のファンにバレたら死刑だろう。殴殺間違いなし。
嬉しさに舞い上がっていたとはいえ、とんでもない行動をしてしまった。顔を青ざめさせながら、握っていた手をパッと離せば、神田さんは再び「やっぱり変な奴だ」と呟いていた。
……変な奴でごめんなさい。
だけどそれ以上その件について追求されることはなかった。てっきり「俺の手を勝手に触ってんじゃねえ!」とか、「触るな、このクソデブ野郎!」とか言われると思っていただけに、少しだけ意外だ。別に罵られたいわけではないけれど、変な感じ。
だが先程の件もある。
これ以上失態を犯せば、追い出されてしまうかもしれない。余計な事を言わず、静かにしていよう。出会いからして最悪で、叫んだり慌てたりと、“煩いデブ”と印象付けられてそうだし。
……空気。
そう、空気だ。
空気にしては図体がでか過ぎるかもしれないけれど、神田さんの邪魔にならないようになるべく心掛けよう。
神田さんがこちらを見ているとは知らず、俺はただただ隅で体育座りを続けた。
空気。俺は空気。
家でも学校でも浮いた存在で居る俺は、いつも空気で居ることを心掛けていた。人に迷惑を掛けないようにしなさいと、誰かに強いられたわけではない。
これは誰かの為ではなく、自分の為。自分が、傷つかない為が故の行動。
確かに最初は、そこに存在しているのに、居ないように扱われるのも辛かった。だがもうそれに慣れてしまえば、それ以上に苛められる方が辛かった。
…特に血の繋がりがある弟からの罵言雑言は。未だに耐え切れるものではない。
弟のことは嫌いじゃないけれど、一番苦手な存在。
…………いや。
だめだだだめだ。折角こんな所まで来たんだ。
暫くは家庭事情のことは忘れておこう。どうせ両親も弟も今頃楽しく過ごしているだろう。俺のことなど目もくれず。
それなら俺だって忘れていよう。此処で暮らす二ヶ月間くらいは。
「………ふー」
ずっと体育座りをしていたため疲れた。お尻が痛い。
前屈の体勢を取り、身体をほぐせば、少し楽になった。
「……?」
ふとそこで俺はある物に気が付いた。
床に落ちていた紙切れにだ。四つん這いの体勢で紙が落ちている場所まで静かに移動し、手に取る。
勝手に見てはいけないかもしれないと思ったが、自然に俺の視線は手の中にある紙に移った。
“詳細と注意事項”
どうやらここで暮らす二ヶ月間の事についての内容や注意事項らしい。ざっと目を通すだけでも、俺の知らない情報がたくさんあったことから、お姉さんの説明は大雑把だったということが分かった。
「説明を受けていないのか?」と訊ねてきた神田さんの言葉が今になって理解出来た。
とりあえず。
足りない知識は、この紙に書いている情報から得ておこう。知らないと同室者である神田さんにも迷惑を掛けてしまうだろうし。
えっと。
俺の知らない情報は。
「へー、運ばれてくる食事だけじゃなく、冷蔵庫にも食料が入ってるのか」
食事制限が出来て、この際だからダイエットにも丁度いいと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。……家に居るときのような暴食には気を付けておこう。
あとは。
「テレビはゲーム用?」
変なの。ということは付けても番組は見れずに砂嵐なのか。引きこもり体質の俺は深夜アニメも見ていたため、少しショックだ。とはいっても、ゲーム用にテレビがあるだけ喜ばしいことだけれども。本当にここで暮らすだけで給与を貰えるというのはおかし過ぎる。
…一体何の目的だ?
いやいや。
変に考察するのは止めておこう。
きっと俺には分かり知れない何かがあるんだろう。
…というか、ゲーム?
仲良く同室者としろってこと?
俺と神田さんが?
……ないな。
それにしてもゲーム機が豊富だな。ファミコンからPS2、PS3にWii。
だけど俺が家でいつも多用していたDSやPSPはないのかぁ。
ふとそこで俺は気が付いた。
「……?」
だってあからさまに変だ。置いてあるゲームはどれも“二人”で遊べるディスクだけだったから。もちろん一人で遊ぼうと思えば遊べるようだが、どれも二人プレイを搭載している物だけがここにある。
もしかしてこれは、まずはゲームで仲を縮めろという雇い主側からの粋な計らいだろうか。
「……」
俺はチラリと神田さんの方を見た。
しかし神田さんは先程同様、寝てしまっている。
まぁ、だから俺はこうして息を潜めながら部屋を探索出来ているのだけど。
「……したいな」
二人でゲーム。
それは無理な願いだろうけれど。
というか神田さんはゲームをするのだろうか。彼の性格からすると「こんな低俗な物するかよ」と悪態の一つや二つ、平気で吐き捨てそうな気がする。
「……二人でゲームか」
最後にその楽しさを味わったのはいつだっただろうか。多分小学生低学年のときに弟としたきりだろう。
俺が1Pで。弟が2P。いつもそうだった。
そういえばいつも弟も「1Pがいい!」なんて言ってたっけ。でもその度に俺がじゃんけんで勝って、結局俺が1Pを使う。これがいつものお決まりのパターン。今思えば大人げないというか。こんなことになるなら一回くらい譲ってあげれば良かった。いやそれよりもいつもじゃんけんで最初にチョキを出していることを指摘してあげたほうが良かったのかな?
あの頃の可愛い弟を思い出して、俺はクスリと笑った。
あーあ。何でこんなことになっちゃったんだろう。
弟が悪いのか?
…いや、違う。出来損ないの俺が全て悪い。
もっといいお兄ちゃんになりたかったなぁ。
「………」
ゾンビを倒していくゲームのパッケージの裏をボケーッと見ながら昔の思い出に浸っていたら、急に影が差し込んだ。
びっくりして後ろをすぐさま振り返れば。
先程まで寝ていた神田さんが俺の後ろに立っていた。
「……っ!?」
いきなりのことに、おもわず悲鳴を上げてしまいそうになったが、これ以上失態を犯すわけにはいかない。そう反射的に思った俺は、自分の口を手で押さえて、難を逃れることが出来た。
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