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二空間目④

そして俺は監視カメラと神田さんの目を気にしながら、何とか着替えを終えた。本当は絶対に此処では着替えたくなかったんだけどな。 だけど、悲しいことに俺が神田さんに逆らえるわけがない。 俺のみっともない裸なんて誰も見たくないと思うが、俺だって見せたくもないさ。だって恥ずかしいし。それなのに途中、神田さんが俺の贅肉を掴んできたりするものだから、俺は余計惨めな気分に陥った。 やっぱり今度からはユニットバスルームで着替えようと思う。うん。 そしてそうこうしている間にも、刻々と時間は進んでいくわけで。そろそろ集合時間だ。 だが今の俺には嫌悪感や悲愴感は全くない。 それは何故かというと。いくら引っ張っても押してもびくともしなかった玄関の扉が今まさに俺の目の前で開いたからだ!外側からしか開けられない鍵が、カチッと音を立てたのには何故だか分からないが感動した。まだ此処に来て数日も経っていないというのに、部屋の外の空気が美味しいとも思えた。自分が思っていた以上に、慣れない場所にずっと篭っていたのは心身ともに堪えていたみたいだ。 …まあ、それに自分とは全然住む世界の違う有名人と一緒というのが一番の問題だと思うけれど。コミュニケーション能力の低い俺には難度が高過ぎる。 「(もう少し優しくしてもらいたいなぁ)」 そんなことを思いながら外側の人間から開けられた扉をボーっと眺めていたら、後ろからバシッと尻を叩かれた。 「おい、こら」 「…っ、わ」 「行くぞ」 「あ、は…はい」 何も叩かなくてもいいじゃないかと思ったものの。加減してくれたようで、大した力も入っていなかったため痛くなかったから「まあ、いいか」と思ってしまった。それに仰る通りそろそろ移動するべきだろう。遅刻して他の人に迷惑掛けたくもないし。 そう思いながら、俺は神田さんの二歩後ろを歩いて行った。 ***** 「…うわあ」 この施設の大きさからして出入り口もたくさんあるのだろう。俺が此処に来た時とは違う出入り口から施設外に一歩足を出してみれば。「久々の空気は格別美味い」なんて思う暇もなく、俺は目の前に広がる美しい景色に言葉を失った。 前を見ても。左を見ても。右を見ても。 何処を見渡しても、一面緑。 運動場があると書いていたものだから、俺は学校のように砂利が敷き詰められている所だと思い込んでいたのだが、想像を遥かに超えていた。 一面に広がる芝。目に痛いくらいとても綺麗な所だ。 ほう…と法悦に浸り、安らいでいたときだった。 先に運動場に着いていた人達が一斉にこちらを見て、ざわざわと騒ぎ始めた。 ……その騒ぎの原因は。間違いなく、俺の隣に居る神田さんだろう。 「あの人って…、」 「神田皇紀?!」 「何で此処に…!」 有名人が此処に居ることに歓喜の声を上げる者と、だがこんな所に居るわけがないだろうと半信半疑になっている者が居る。 だがどちらも驚きが隠せないようで、俺の隣に居る神田さんを見て大きな声で騒いでいた。 「(…そりゃあ、驚くよなぁ)」 俺も最初見たときはすごく驚いたよ。 ……いや、他の人達よりも見慣れているというのに、俺は未だにこの状況に驚いている。果たして俺はこの人と一緒に生活することに慣れる日は来るんだろうか。 しかし、本当に神田さんはは何でこんな所に来たんだろう。 チラリと横に居る神田さんを見れば、騒がれることを想定していたのか、それとも騒がれることに慣れているのか、無表情のまま突っ立っていた。 あーあ。 皆も神田さんの本性を知ってショックを受けるだろうなぁと他人事のように思っていると、招集が掛かった。と言っても、学校のように綺麗に列を作る必要はないようで。しかも、「基本的に自由行動です。外では球技やジョギングを。少し移動すれば室内でのトレーニングも出来るよう設備が整っています。あとこまめな水分補給をするようにしてください。それでは適度な運動を楽しんでください」との、一分も掛からない簡単な説明で終わった。 どうやら俺が想像していた過酷なマラソンなどはしないらしい。むしろ今の説明から察するに、運動するかしないかも個人の自由のようだ。 「(ど、どうしよう…)」 しかし自由行動でいいなんて言われても、どうすればいいのか分からない。一人でボケッとしているだけでいいのかな? さながら今の俺は、学校の先生から「二人組作ってー」と言われて、二人組を作れず一人だけ余った状況だ。助けを求めるように神田さんの方を見れば、一瞬の内に多数の男の人達に囲まれていた。 「あ、あの!神田皇紀さんですよね!?」 「握手…いいですか?」 「一緒に運動しませんか?」 と、俺とは違って大勢の人から声を掛けられていた。 「………」 す、すごい。 流石大スター。男の人からの人気も絶大だ。 だが、俺は心配だ。 あ、いや。神田さんではなく。神田さんに群がっている人達が。 「(初対面の俺に向かって遠慮なく暴言を吐いてきた人だからな。あんまり騒ぎ立てると、叩かれちゃうんじゃないかな…)」 俺なんかちょっとしたことでいつも叩かれてるし。暴力沙汰にならなければいいけれど、と神田さんの本性を知っている俺は他人事とは思えずに、少し離れた所で慌てふためいていた。 ……だが、俺が抱いていた不安と焦りは、何とも妙な形で打ち消されることとなった。 「俺のことご存知なんですか?嬉しいです。ありがとうございます。あ、握手ですか?もちろんいいですよ」 遠目でも分かる程に、爽やかな笑みをその端正な顔に貼り付けて、照れた様に人差し指で頬を掻きながら、にこやかに握手にも対応していた神田さんが居たからだ。 俺が危惧していた事態は起こらなかったのだが。敢えて言わせてもらおう。 だ れ だ お 前 !! いや、知ってるよ。テレビに映っていた神田皇紀だろ?でも違うじゃん。違ったじゃん。爽やかでいい人なんて言われてたけど本当は全くの真逆じゃんか。猫被ってるくせに。本当は無愛想で、必要以上は喋らない上に、暴力的なサディストのくせに。 何で俺だけに本性現してるんだよ。何で俺だけに冷たいんだよ。ずるい。卑怯だ。俺にも平等に扱え。 そう声高々に神田さん含め、この場に居る皆に言いたいものの、俺なんかにそんな事を言う度胸があるわけもなく。恨めしい気持ちを胸に抱いたまま、俺はすごすごとその場から離れた。 「(…ふーんだ。ばーか。)」 俺には一度もあんな笑顔向けてくれたことないくせにさ。あの人は俺のこと「ただの家畜」としか思っていないのか? ……ま、別にいいけど。どうでもいいや。人に嫌われるのは慣れているし。俺のことを嫌いな人が一人増えようが二人増えようが大差はないのだから。 よっこいしょ、と。木の陰で日陰になっている場所に腰を下ろす。 神田さん達から出来るだけ遠く離れたいから歩いたものの、流石にちょっと疲れた。でもこの辺りまで来れば、俺の視界に入ることはない。これで余計なことを考えずに済むはずだ。 ふぅと息を吐いて、周りを見渡す。 運動を義務するような事を特に言われていない割には、皆それなりに体を動かしているようだ。 二人組みになってキャッチボールをしている人達。一対一でバスケ勝負をしている人達。大人数でサッカー対戦している人達。もちろん中には座って談笑している人も居るけれど、俺のように一人でボケッと座っている人は俺の見える範囲では居ない。 「(何だよ。皆マジシャンか?一体どんなマジックを使えばそんなにすぐ打ち解けられるんだ…)」 二人組みで居る人達は同室者である程度打ち解けられていたとしてもだ。大人数でスポーツしている人達はどういうマジックを使ったんだよ。さっき会ったばっかりだろ?お金払うから種明かしして欲しいくらいだ。 「(うう、惨めだなぁ…)」 これでは学校に居るときと変わらないじゃないか。 やっぱり他の人達に原因があるんじゃなくて、俺に原因があるのだろう。 どこだ?外見か?それとも中身か?むしろ両方なのか?近寄りたくないオーラとかが俺から噴出しているのかな。 まあ確かに惨めだけれど、マラソンとか過酷な運動を義務付けられるよりもマシか。一人で座ってるだけでいいのなら楽だな。うん。何も問題などない。 「………」 ……でも。 本音を言うと、やっぱりちょっとだけ寂しい、かも。 もういや。このまま寝てしまおう。そう思って顔を俯かせた瞬間だった。 「おーい」 ……頭上から声を掛けられたのは。 ハッとして、顔を上げれば目の前には知らないお兄さんが二人。 もしかしたら神田さんが来てくれたかも、なんて少し期待した数秒前の俺死ね。 「え、…あ、…?」 そしていきなりのことに驚き、緊張して上手く言葉らしい言葉を発せられない俺なんか消えてなくなってしまえばいい。 恥ずかしい。いっそ消させて。 だけどそんな俺を見てもドン引きすることもなく、格好良い今時のお兄さん達は、尚も爽やかに話し掛けてくれた。 「もし良かったら一緒にバスケしないか?」 「嫌だったら野球でもテニスでもいいぜ?」 え、っ…?えっ? その二人の声と言葉の内容はあまりにも優しいもので。 もしかして俺ではなく他の人に話し掛けているのかもと思い、キョロキョロと辺りを見渡して見たのだが、近くには俺以外には誰も見当たらない。 「…え、…お、俺、ですか?」 「そうだよ。君だよ」 「他に誰も居ないだろ」 「……あ、…はい」 ……そうですよね。

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