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二空間目⑤
「こいつと二人じゃつまんないからさ。ね?どう?」
「指差すなボケ。殺すぞ」
「汚い言葉使うなよな。怖がっちゃうだろー」
えっと。察するに二人は同室者なのだろう。
しかしまだ一週間も経っていないというのに、まるで旧来の親友の様に接し合っていることに驚きだ。
俺の場合はいつも一方的な罵倒を受けただけで終わっていたから、こういう多少の罵り合いさえも羨ましく感じてしまう。
こういう「仲が良い」からこそのやり取りは憧れだ。
「あ、…えっと」
「ん?」
……だからこそ。
この二人の間に俺が入っていいんだろうか?
俺は口下手だし、面白い冗談一つさえも言えない自他共に認めるつまらない人間だ。それなのに誘われたからと、その言葉に甘えて加えてもらっても輪を乱すだけじゃないだろうか。自分だけがつまらない思いをするだけではなく、二人にさえもつまらない思いをさせてしまうと分かっているのならば、最初から輪に加わらないことが正解なのだと思う。
…………でも。
「俺で、いいんですか…?」
それでも。
輪に加わりたいと願う俺はやっぱりダメな人間なのだろう。
「当たり前だよ!」
「決まりだな。ほら、行くぞ」
「は、はいっ」
だけど。ダメならダメなりで努力をしてみよう。
そうだよ。大丈夫なはずだ。
だって此処には俺を苛める先輩も同級生も、弟も居ないんだから。
そう決心しながら、差し出された手を掴んで立ち上がろうとした瞬間。
「ぐ、ぇっ!?」
俺がその手を掴むより先に、まるで子猫の首を持つように後ろから急に服を引っ張られ。その結果、蛙が潰れた時のような声が出ただけとなってしまった。
「っ、げほッ、げほ、」
おい、どこのどいつだ。馬鹿野郎ッ。
俺を殺す気かよ…!
急な出来事に対応出来なかった俺の体は、俺の意思とは関係なく、大粒の涙をポロポロと流す。そして咳も止められる事もなく。俺は自分の首を押さえながら、前屈みになったまま後ろをゆっくりと振り返ってみた。
「ぅ、げ、っほ…か、んださん、」
そう。予想は出来ていた。
この場でいきなりこんな傍若無人な行動を取る人なんてこの人くらいしか居ないだろう。
神田さんの表情を下から窺えば、彼は未だに猫を被っているようで、爽やかな笑みを浮かべていた。その顔はやはり魅力的で男だとしても誰もが見惚れてしまうだろう。
だが俺からしてみれば、恐怖以外の何物でもない。
無害な俺にいきなりこんな酷いことをしてきたくせにニコニコと笑ってみせるとは。その爽やかな笑みの下から、苛立った様子さえも感じ取ってしまう俺がおかしいのだろうか。
「すみません。こいつは俺のなんで連れて行っていいですか?」
そして俺が状況分析をしている内に、神田さんは勝手にどんどん話を進めていく。しかも「連れて行っていいですか?」と疑問形と訊ねていながら、相手の返事を聞く前にその場から立ち去る始末だ。
俺の意見さえも聞かずに、神田さんは「行くぞ」と俺にだけしか聞こえない声で凄みながら、俺の手を取り歩を進めていく。
どんだけ自己中心的なんだ。どんだけ俺様なんだ。
「……」
だが俺は掴まれる手の温もりを拒絶することも出来ずに、キョロキョロと双方を見る。俺に声を掛けてくれた二人のお兄さんは困ったように眉を顰めながらも、一人は俺に手を振ってくれた。それは一体どういう意味を込めてなのだろうか。脳内でドナドナの音楽が流れてくるのを聞き流しながら、俺はつられて弱々しくも手を振り返してみた
……だがその瞬間、握られた手をギュッと強く力を入れられてそれ以上何も出来なくなってしまったのは言うまでもないだろう。
そして結局、手を掴んだまま暫く歩き続けることとなった。どうやら神田さんは人気が少ない所に行きたいらしい。だが如何せん神田さんは有名人だ。遠目からでもあまりにも目立ってしまっている。
しかもその国民的スターが得体の知れないデブと手を繋いでいるときた。そりゃ目立つよ。目立ちまくるよね。
あれ?
というか、何で手を繋いでいるんだっけ?
「おい」
そして辺りに人が居ない所まで来ると、神田さんは俺に話掛けて来た。しかもどうやら他の人が居ないせいか素のままだ。何故俺には猫を被ってくれないのだろうか?俺も一度でいいから爽やかな笑みで話し掛けられたいものだ。
「てめえは一人でフラフラしてんじゃねーよ」
「…え?」
しかも第一声がこれだよ。酷い。
あまりにも鬼畜過ぎる。
「誘われたら誰にでも尻尾振るのか?」
「…へ?」
俺には神田さんの言葉が理解が出来ない。
尻尾?そんな物は俺には付いていないぞ。
それにそういうのは大体女の子に言う台詞じゃないのか?男の俺に言う台詞ではないはずだ。
もしかしたら神田さんなりの冗談なのかと思い表情を窺ったのだが。彼の表情は真剣そのもの。というか若干の怒りさえも感じ取れる。どうやら冗談ではないらしい。
「あ、あの…?」
「あ゛?」
「…え?」
俺が、悪いのか?
一人でフラフラしてたのも神田さんの周りに人が居たから近寄れなかっただけだし、折角誘われたのだから断ることなどはしない。
それよりなぜ。
「…お、怒ってるんですか?」
神田さんからしてみたら俺なんて近くに居ない方がいいはずだ。だって邪魔に決まっている。
それに俺なんかでは神田さんの引き立て役にもならないはず。というか彼にはそんなものいらないだろう。
でももしかしたら神田さんには面倒見のいいところがあって、だから心配になって俺のことを探しに来てくれたのかもしれない。
それなら俺は完璧にお荷物じゃないか。
「……俺、他の所に行きますよ?」
それとなく俺は一人でも大丈夫だとアピールしてみた。そうすればこれ以上神田さんに迷惑を掛けなくて済むはずだ。
……だがどういう訳か、それは悪い方に捉えられてしまったようで。
「あっそ。何処にでも好きな所に行けよ」
さっきの男のところでも行って来いと言いながら、神田さんは眉間に皺を寄せ、掴んでいた俺の手を乱暴に振り落した。
「……あ」
強く掴まれていた手が離され確かに自由になった。
これで言われた通り好きな所に行けるだろう。
「………」
先程の男の人達の所に行けば、きっと歓迎してもらえると思う。だってこんな俺にもすごく優しかった。
短気で俺様な神田さんと居るよりずっと優しくしてくれるはず。とても楽しい一時を過ごせるだろう。
「………」
……だが。なくなった手の温もりが妙に寂しい。
そういえば手を繋いだのなんて何年振りだったのだろうか。
そして俺は頭で理解するより先に、なくなった温もりを求め走っていた。
「…待って、」
「………」
神田さんの一歩後ろまで走り、その大きくて温かい手を今度は自分から掴んだ。振り払われないことに安堵し、更に強く握る。
「神田さんの…」
好きな所に行けと言われた。
それならば神田さんの隣でも文句は言われないのだろうか。
「神田さんの、隣でも…いいですか?」
「……ふん。好きにしろって言っただろ」
恐る恐る訪ねてみればどうやら了承を得れたようで。
再び握られたその手は隙間なく繋がれた。
なぜだか分からないが、俺はその温もりにすごく安心した。
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