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二空間目⑥
手を繋いだまま歩く。
隣を見ればもちろん神田さんが居るわけで、お互いの距離はとても近い。それこそ掴んだその手は当たり前のことだが触れ合っている。
……だけどどちらも言葉を発さない。
「………」
「………」
まず何から話せばいいのかも分からないのだけど。
だがとりあえずこれだけは分かる。この沈黙は不思議と嫌いではない。
「(いつもは沈黙が嫌いなんだけど…何でだろう?)」
隣同士で歩いて触れ合うだけで安心出来るからかな。
周りの好奇や嫉妬の視線がとても鋭いけれど、出来ることならばもう少しこのままがいい。
人の温もりって心地良い。
その俺の願望は叶ったようで、本当に誰にも邪魔はされることはなかった。
驚くことに神田さんも黙ったまま。いつもなら文句や嫌味の一つや二つは言われるはずなのに。
もしかしたら神田さんも俺と同じ気持ちなのかな。そう思うと、少し嬉しいかもしれない。
その気持ちが表情に出てしまっていたのだろうか。
「何笑ってんだお前…」
きめえぞとまで言われた。久しぶりに喋ったと思ったら、開口一番にこれだ。
だけどまさしく神田さんらしくて少し安心してしまったのは言うまでもないだろう。
それに思っていたことが顔に出ていたのなら、本当にニマニマと気持ちの悪い表情をしていたと思う。言われて仕方がないことだ。
「ったく。お前は本当に訳の分からねえ奴だな」
「……え?」
「…変な奴」
真顔でそんなことを言われても返答に困る。
「けなしてるんですか?」と問うべきなのか。
「それって褒め言葉ですか?」とおどけるべきなのか。
何と言うべきなのか迷っていると、神田さんは続けてこう訊いてきた。
「…二人で何かするか?」
「何かって?」
「体動かすことに決まってるじゃねーか」
「……あ」
そりゃあ、そうか。
でも体を動かすって言ってもなぁ。
「お、俺…運動音痴で…」
足を引っ張るかと思いますけれど。
だが神田さんはそのことはすでに許容範囲内だったらしい。
「見れば分かる」
「…で、ですよね」
「お前鈍そうだからな。とりあえずまずはストレッチでもするか」
「あ…は、はいっ」
ということで最初は柔軟運動から始めるらしい。
少し名残惜しいものの、繋いだ手を離して俺は促されるまま芝生に腰を下ろした。
まずは脚を閉じたまま前屈運動。
あまり人に身体を触られ慣れていない俺だが、神田さんの言葉を断れるほどの度胸は俺にはない。神田さんの大きな手の平が背中に触れた瞬間、おもわずビクッと身体が震えてしまった。
……人の温もりに慣れていないせいか、触り方のせいか、それとも体が暴力に過剰な反応をし過ぎたせいなのか。もしかしたら全部かもしれない。
弟達と神田さんは違うのに。
確かに神田さんも時々理不尽な暴力を与えてくるものの、俺を苛める彼等とは似ても似つかない。
「押すぞ」
「は、はい」
そして俺は神田さんの言葉を聞いてウジウジ考えるのを止めた。言葉に従い手を真っ直ぐ前に伸ばす。
腹の肉が多少邪魔であるが、問題なく爪先まで手が届く。久しぶりに柔軟体操をしたのだが、どうやら体は硬くなっていなかったようだ。
それに驚いたのは神田さん。
「…お前、柔らけえな」
「そう、ですかね?」
「すげえ意外」
それはデブのくせにとでも言いたいのだろうか。
でも確かにこの体型を考慮しなくても柔らかい方だと自負している。長所がない俺の唯一の自慢と言っても過言ではない。「運動しないデブのくせに何の役にも立たねーだろ」と言われてしまったらそれまでなのだが。
というか、実際その通りだ。今まで何の役にも立ったことがない。
……それならば、これは長所とも言えないし自慢にもならないな。やっぱり俺には何一つ取り柄がないのかもしれない。
神田さんには聞こえないように溜息を一つ吐く。
「脚開いてみろ」
「……え?」
すると突然こんなことを言われた。
拒否することも承認することも出来ないまま、神田さんの手によって強引に脚を開かされた。
いやん、エッチ。なんておちゃらける暇すらない(もし言える暇があっても言わないけれど)。
「強く押すからな」
「…あ、う」
体が柔らかい人間が開脚状態でいきなり背中を押されたらどうなるかご想像付くだろうか。
答えはこう。
「い、いた…い」
地面と顎がごっつんこだ。
そこまで勢いはなかったが、地味に痛い。
「本当に柔らかいなお前」
だが神田さんは、顎を押さえて痛がる俺を見ても謝罪を述べることはしない。まさに神田さんらしい。ちなみにこれはご察しの通り褒め言葉ではない。
「体痛くねえのか?」
顎が痛いです。
その言葉が喉まで出かかったが、言葉にするのは止めておいた。もちろん神田さんのためではなく、自分のために。やはり怒られるのは嫌だから。
「…はい、一応」
「ふーん」
俺の返答の聞いてどう思ったのか分からないが、神田さんは何かを考え込むように顎を触っている。
何だ?そんなにデブが体が柔らかいのが不思議なのか?珍しいのか?デブだってなぁ、頑張れば出来る子なんだよ。…………多分。
それとももしかしかして神田さんは体が硬いのか?
だから体が柔らかい俺に嫉妬をしているのか?
そういえば最近、「歌って踊れる俳優」と謳われていたような…。それだったら体が硬いのは多少なりとも不利になりそうだ。
ふはは、バーカ!
柔らかさの秘訣など訊かれても教えてなんかやらないからな!
「……っ、!?」
その考えが読まれたのだろうか。
今度は強引に身体を押し倒され、芝生に寝かされた。
「…ゃ、っ!?」
そのまま膝を無理やり曲げられ、太ももが腹に付くまで脚を押さえつけられた。
確かに前屈運動は得意の俺だが、この形の柔軟体操は少々苦手だ。その理由は腹の肉が邪魔で少し苦しいとは言い辛いけれども。
「か、んださん…っ」
しかしだ。それよりも。
……この体勢が恥ずかしい。
ま、まるで正常位のようだと思う俺が意識し過ぎなのだろうか。これが柔軟体操だということはもちろん分かっているし、男同士なので何の問題もないだろうけれど、如何せん顔が近過ぎる。
ただの柔軟体操というには身体の密着度が高過ぎるのだ。
この体勢にも、自分の破廉恥な思考にも恥ずかしくなった俺は、急激に身体中の体温が上がるのが自分でも分かった。
そしてそのことに気が付かなくてもいいのに、いち早く気が付いた神田さんは、意地悪そうに口角を上げて鼻で笑う。
「何赤くなってんだ?」
「…べ、別に…、」
「このエロ餓鬼」
「な、っ…!?」
あまりにも不名誉過ぎるその物言いに、怒りを抱くよりも余計に恥ずかしくなった。デブの俺だってそれなりに性の知識はあるし、多少の性欲はある。性に敏感なお年頃のこの時期にそれはいささか失礼ではないだろうか。
「お、俺は別に…エロくないです」
気が付けばそう口にしていた。
いつもならば口答えせずに、神田さんが飽きるまでただ黙っていただろう。本来ならばその態度を徹するのが正しかったのだと思う。だけど変にムキになってしまった「俺は、普通です」とまで口にしていた。
「ふーん」
そしてそれを聞いた神田さんはさも楽しそうに目を細めていた。
その神田さんの表情を見て、俺はやっと自分が取り返しの付かない態度を取ってしまったのではないかと我に返る。
「も、もう…離して、ください」
「嫌だ」
「な、んで…?」
「別に。特に理由はねえよ」
ああ、何ていうことだ…。
こういうタイプの人間は歯向かえば歯向かうほど面白がるということは嫌というほど知っていたというのに。
太ももが腹に付くまで押さえつけられたまま、上に伸し掛かるように覆い被さってきた神田さんの胸板を俺は必死に押し返す。だが歯痒いことに俺の力では神田さんの身体はびくともしない。
「…やだ、退いてください、…ば、馬鹿っ」
恐くなって若干鼻声になってしまい暴言を吐いたことは見逃して欲しい。
「か、神田さん、」
「そうだな。あえて言うならば、“嫌がるお前を見るのが楽しいから”だろうな」
「……っ、」
誰か助けてくれと願ってみるものの助けなどは一向に訪れない。この世に神も正義の味方も居ないのだと改めて思い知った。
誰も助けてくれないのならば、こいつの本当の姿だけを報道してくれと願いながら俺は目を閉じて現実から逃げたのだった。
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