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九空間目⑪
「ただいま」
「おかえり」
「お風呂入ってくるね」
「随分と急だな。まだ風呂たまってねえけど?」
「今日は俺はシャワーだけでいいや」
「どうした?なんかあったか?」
「べつに何もないよ。ただ疲れちゃったから早く寝たいだけ」
「……そうか、分かった」
精一杯いつも通りの対応をするように心掛けたのだが、嘘や演技が下手過ぎてあまりにも不自然だったのが自分でも分かる。だけど帝はそれ以上深く追求してくることはなかった。その気遣いがとても嬉しい。俺はすれ違い様に帝に『ありがとう』と言って、着替えだけを取って風呂場へと向かった。
「…………ひっどい顔」
泣いたことがバレないように適当に時間を潰して家に帰ってきたのだが、よく見れば瞼が腫れて目が充血しているのが分かる。上手く笑顔を作って話したつもりだったけど、それもあまりにもぎこちなくて、鏡を見て俺は苦笑した。
とびきり熱いお湯でも浴びて早く寝よう。どうせなら流れる水と共に、この嫌な感情も記憶も流れ落とせればいいのに。そんなことを考えながら、俺はシャワーを浴びたのだった。
「……ハァ」
ボフンと勢いよくベッドに飛び乗る。色々と有り過ぎて今日は疲れた。
勇気を出して神田さんに会いに行ったはいいが、期待していたことは一切おきずに思わずショックを受けて泣いてしまった。……なんとみっともないことか。俺のような家畜以下の存在が神田さんと話せて握手できたことすら奇跡なようなものだったのに、高望みをし過ぎてしまっていたのだ。
「(……会えただけでも良かったじゃないか)」
彼が元気に芸能活動を再開できていてよかった。大勢の人たちから求められるような素晴らしい人で居てくれてよかった。彼と出会えたことでいい刺激をもらって、普通では体験できない生活を送らせてもらえてよかった。……最初から希望がなかった恋の行く末に踏ん切りがついてよかった。
「諦めが付いたってものだよな」
先程の俺に対する神田さんの対応が、告白をする前から結果を教えていてくれたようなものだ。恐れ多くも天下の神田皇紀に告白する前に結果が分かって良かったじゃないか。白い目で見られなくてよかったよ。『気持ち悪いな』とか『勘違いするなよお前』と言われずに済んだだけ軽傷で済んだと思おう。
「……俺も少し優しくされただけで自惚れ過ぎだったんだよ」
愛に飢えすぎていただけなのだ。別にあの時一緒に過ごした人が神田さんではなくても、俺のことだから少し優しくされただけで恋に落ちていたのだろう。そう思うと、少しだけ気持ちが楽になった気がした……
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