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九空間目⑫
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いつも憂鬱な学校での時間も、帰りのホームルームが始まる前だけは少しだけ気分が高揚する。これから家に帰れるという喜びと共に、一日をやりきった感じがしてとても誇らしい気持ちになるのだ。とは言っても俺にはまともに喋れる友達も居なければ知り合いも居ない。だから特に何もすることがないので、机の上に突っ伏して寝たフリをしてホームルームが始まるまで時間を過ごす。
「はー!やっと学校終わるー!速攻本屋行くよ!」
「もっちろん!まじで神田さんの写真集見るの楽しみー!この日のために生きている気がする!」
「サイン会に行けた人がSNSであげてる写真を見る度に発売日まだかよぉって私達嘆いてたよね」
「つーか、あれやばくね!?サイン入りの写真集のオークションの値段見た!?」
「見た!見た!えげつない値段だよね!私もお金があれば買ったかもしれない……!」
「でもさぁ、本物かどうか分からないっしょ。私なら偽物かと思って買わないや」
「まあ、確かに」
そうすれば、近くの席の子たちが盛り上がっている声が聞こえてきた。
運良くチケットが当選してサイン会に行けた人達はそのままサイン入り写真集を貰えていたのだが、その他の人達はそれから二週間後の今日がやっと書店で買うことができるのだ。きっととんでもない量の写真集が今日売れるのだろう。
そんなことを思いながら俺は教室に入って来た先生の姿を見て姿勢を正した。
「ただいま」
今日は帝はバイトのため、帰りが遅くなると言っていた。俺は誰も居ない家の中で小さく帰って来たことを報告してから部屋に戻った。
…………そうか。なるべく神田さんのことを考えないようにしていたけれど、もうあのサイン会の日から二週間が経っていたのか。嫌な記憶を封印するように、必死に一時的に記憶や感情を抑え込んでいたけれど、神田さんのことを聞いて一気に抑えていた感情が溢れ出てきそうになる。
だけど今は恋愛事だけに溺れて一喜一憂するよりも、やっと取り戻した平穏に感謝して普通の人と同等の人生を送った方が絶対にいいだろう。現に一年前の状況と比べると、今の俺は十分なほどに幸せだ。
弟からは暴力を受けることはなくなったし、両親が家に帰って来ない今は、あの人達から白い目で見られることも疎まれることもないのだ。家族の目を気にしてトイレやお風呂に入る必要もなければ、リビングで寛げられることがこんなにも自由で心安らぐものだと思っていなかった。
「……でもまあ、それを気付かせてくれたのも神田さんのお蔭だけどな」
たった二ヶ月という短い期間だったけれど、あの謎のアルバイトと、一緒に過ごしてくれた神田さんのお蔭で色々なことに気付くことができて、人としても成長できた気がする。そんなことを思いながら、俺は高いチケット代と引き換えに手に入れたきり一度も見てすらいなかった神田さんのサイン入り写真集を手に取った。
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