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第3話:銀次と父親のはなし
それからというもの、夜になると、男がやってきた。
ガシャンガシャンと窓ガラスが叩かれ、机に向かっている銀次は立ち上がりそのまま窓側に向かい障子を開けると、当然のように着物姿の男は、にこにこと笑みを浮かべながら立っているので、銀次は鍵を開ける。それを見て、男は自分で窓をガラガラと開けて、よいしょと部屋の中に入ってくる。
その後はたわいもない話をして、共に夜を過ごすのだが、最近、こうして誰かと毎晩のように話をするなんてことはなかった。
当時、大学生だった自分が授賞バブルのせいで、いきなり脚光を浴びることとなり、それと同時に相手が一方的に自分を知っているだけの知り合いが突然増えた。食事の誘いや何やらで、振り回されつつも、最初は嬉しかった。人生の中でこんなにもチヤホヤされたことはなかったせいだと思う。どちらかといえば内向的で友人も数えるほどしかいなかったせいか、人との適正な距離感がいつもわからずにいた。相手が自分に対して何を求めているのか、相手にどのように答えてあげるべきか、図りかねているうちに徐々に周囲から人がいなくなっていた。
そして気づけば、自分に連絡をしてくるものもいなくなり、誰とも話さない毎日が当たり前になった。
所詮、自分はただ"むつらぼし賞を大学生で受賞した南風銀水という小説家 "という、時の人だっただけで、周囲は"平凡な大学生である南銀次"に興味があったわけではない。
ブームが去った。それだけのことだった。
唯一の理解者だった母は、大学四年のときに亡くなり、それからはますます自分の殻に閉じ籠もることが増えたように思う。逆に、唯一の他人だったのは、父だった。大学教授をしている父は普段から忙しく、子供の頃も父に遊んでもらった記憶がない。『一緒に住んでいる血の繋がった他人』これが昔から父に抱いているイメージだ。
周囲が社会人になるタイミングで実家を出て一人暮らしを始めると、ますます誰とも話さなくなった。ここは、通っていた大学の近所ではあるが、知り合いにも合わないし、近くにある商店街も地元の人でにぎわっているから極力寄り付かないようにしている。買い物だってネットで済ませて宅配してもらえるので、引きこもりには生きやすい世の中であると言える。
時折、出版社の担当が連絡をしてくるが、それもどちらかといえば会社から言われた義務感に満ちていたもので、会話など成立していなかった。
男の話題は、このあたりの住民の話題が多かった。
商店街の肉屋の夫婦が喧嘩して業務用の包丁を持ち出した話や、閉店セールの看板が古くなってきたので貼り直した洋服屋の話など、とにかくバラエティに富んでいた。呉服屋という客商売のせいだろうか?聞いている側が引き込まれ、興味を持たせるような話術を持っている。話を一方的に聞いているだけなのに、男の話の中に登場する人物を理解できたような気がするからふしぎだ。
そして自分と違って、たくさんの人と面と向かって接しているせいだろうか、人を観察する眼も持ち合わせているように思う。自分では思いもつかない発想や考え方を持っている。最初は、耳半分で聞いていたのに、いつしか男の話を聞くのが楽しみになっている自分がいた。
体の関係も自分が拒絶しないせいか、男のペースと話術に流されるように、毎日ではないが、続いていた。こちらから求めることは断じてないが、体に触れられれば、情けないことに自分の体のほうが男の愛撫を覚え始めていて、素直に反応するようになった。
布団を引いた枕元にあたる引き出しには、いつのまにかゴムとローションがしまわれていて、どうやら男が持ち込んだようで、行為の最中にそこを自由に引き出して使っている。ひととおりの行為を終えると、男は自分と一緒の布団に入って抱きしめるようにして眠るが、朝になると隣にはいない。いつ出て行ったのかわからないところは確かに、幽霊という設定キャラを唯一男が守っているのかもしれない。
そんな男との奇妙な生活が一ヶ月ほど続いていた。
ある日のこと、普段鳴ることのない携帯がけたたましく鳴った。画面には、『緑子おばちゃん』と表示されていた。
「もしもし」
「銀次くん?おばちゃんだけど、今いい?」
「ああ、何?」
「お父さんが倒れて、病院に運ばれたの」
「え?」
突然の知らせに、言葉を失う。『緑子おばちゃん』は父の妹にあたる人で、寡黙な父にくらべてよくしゃべる明るい女性だ。一人暮らしになってしまった父の面倒をときどき見てくれているらしいが、どうやら大学で倒れてそのまま病院に搬送されたらしく、大学に近い場所に住んでいる自分に先に病院へ行ってほしいという連絡だった。
父親が倒れたと聞いて、まっさきに安否を気遣うべきなのだが、何よりも先に、何を話せばいいのだろうかと思ってしまったのは、今までの関係から仕方のないことなのだろうか。
なんで自分が、とも考えてしまったのは、申し訳ないが親不孝者だと思う。けれどそれくらい自分の人生において父の影は薄いのだ。
ひとまず、病院の場所を聞いて、銀次は家を出た。
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