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第2話 日向男子のリアルなとこ

 顔良し、性格良し、運動もできる爽やか日向男子の酒井には、悩み事なんてないと思ってた。 「ほら、来月、運動能力テストあるだろ? なんか、二年で鉄棒があるって聞いてさ、イタタタ。やばっ! ってなってさ。ここのスポーツクラブをネットで探したんだ。うちの地元から遠いし。キッズに混ざるのはちょっと恥ずかしいけど、絶対にうちの高校の奴には遭遇しないだろ?」  でも、あるんだ。日向男子にも悩みって。こんなイケメンにも。 「!」  そう思いながら眺めてたら、バチッと音がしそうなくらいに目が合った。そして、ニコッと笑われた。「けど、遭遇しちゃったな」って言いながら。  子どもしかいないはずのキッズクラス、しかも短期の一ヶ月、逆上がり集中克服レッスンにまさか高校生のイケメンが来るとはたしかに思わない。だからこのスポーツクラブの近辺でうちの高校の奴に見られても、ジムとかしに行ってんのかな? バスケのトレーニングとか? 程度に思われるだけ。誰もこのスポーツクラブで逆上がりレッスンを、あの酒井が受けてるとは思わない。  そのはずだったんだけど、俺がいたんだ。しかもコーチ側でなんて、予想もしないだろ。 「すげぇ、桂(かつら)身体がめちゃくちゃ柔らかいんだ。知らんかった」  本当予想っていうかさ、思いつきもしない。  まさか、あの酒井が。  逆上がりできないなんて。 「なわけで、ここで教えてもらおうかなって、にしても、桂、ここのコーチしてんだ」  ちょっとびっくりした。 「あー、違うんだ。本物のサブコーチが怪我で無理だから。代打で」 「へぇ。すげ……それ、おでこ、くっつくんだ」 「え? あ、ぁぁ、これ?」  開脚でのストレッチ。膝は上を向くように。爪先の先にまで意識を持っていくように。そして、腰からしっかり前へと身体を倒す。べたーって。 「……痛くねぇの?」 「んー、痛くない。けど、脚の縦開脚はちょっと苦手」 「縦?」  こういうの。前後に脚を開いて股関節までしっかり床にくっつけた形になるストレッチのこと。これは少し上体がぐらつくんだ。それ以外はそれなりに、普通に、かな。 「うわ、すげ……雑技団入れそう」 「あはは。入れないって、こんくらいじゃ。これがゼロならあの人たちはマイナス角度まで持ってけるでしょ。って、酒井……硬いね」  何してんのかと思った。いや、何もしてないんだと思った。脚をわずかに開いて、そこから少しだけ、ほんの少しだけ上体を前へ倒している風の姿勢。  ユラユラ揺れてるのはたぶん前へと反動をつけて、身体を倒してるからなんだろうけど。  ちっとも倒れてない。 「……痛い?」 「んんん、激痛っ」  苦しそうな声、のわりに全くこれっぽっちも柔軟になっていない体勢。 「本気で?」 「ほ、ん、きっ」 「腰から折るんだよ?」 「おっ……って、っる」  いや、ちっとも、です。 「頑張って」 「むっ、りっ」 「…………」  でも、本当に何も柔軟してないよ。 「んぐーっ」 「っぷ」 「笑ったな」 「だって」 「見てないで手伝えよっ」  さして開いてない脚。たいして前に倒れてない身体。一生懸命、ぴょこぴょことちょっとだけでも前へ行かないものだろうかと手が揺れてて。 「んぐぐー!」  なんか、ちょっと、ダサいって思った。あの日向男子でもダサいとこあるんだーって。 「……ほら、もっと開くの」  だから、大丈夫かもしれないと思えた。触ってもさ。緊張するじゃん。モテ男子に遭遇って。  そして、手を少しだけ掴んで引っ張ったんだ。ほんの少しだけ。 「ぎゃああああああ」  けど、そのちょっとだけの綱引きにものすごい断末魔を上げるのがおかしくて、今度はしっかりと手首を掴んで。 「じぬーっ!」  できる限りで引っ張ってみた。 「なんで、もったいないじゃん。あんなにすごい鉄棒技できるって、すごいことだろ」  レッスン後の帰り道、自分の手をじっと見てたら、今日、何度目だろう「すごい」ってまた言われた。たぶんもう百回くらい言われたと思う。 「いや、鉄棒が学校にないし。あっても、怖いでしょ? 昼休みに鉄棒でぐるんぐるん回ってたら」  イタイでしょ。  そう言うと酒井が不服そうな顔をした。 「十四年もやってるんだから、あのくらいできるよ。っていうか、普通に、古株メンバーは皆できるんじゃないかな」  今はもうその古株メンバーも昔の半分以下にまで減ったけれど。皆、中学受験で、とか、高校受験で、とか部活が忙しいから、っていう理由でどんどん辞めてった。俺は幸いなことに受験、あんまり苦しんでなかったし、週二の器械体操を辞めるつもりはなかった。 「……」  一番仲良かった奴が続けてた、から。  ――柚貴っ! 俺さっ。  ――ごめんっ。  結局、そいつは辞めた。あの日、俺が拒否ったせいで。 「…………」 「桂?」 「! ごめっ、えっと、なんだっけ?」  慌てて頭の中で再生された過去の記憶を手で払う。 「すごいよって話。逆上がりできるなんて」」 「……」  また言われた。顔をあげると、酒井が鉄棒をぎゅっと握ったフリをして、眉をひそめて手元を見つめる。。 「逆上がりすらできない俺にしてみたら」  たしかに、ちょっとどうしましょうってレベルのできなさだった。むしろ、ここまでできずにいられたことがすごいというか。 「どうやったら、回れるんだろうな。いち、にぃの」  さん、で回る。  どうやったら。  どうやって回ってるんだろ。あまり意識したことがない。 「テストまでに逆上がりできるようになるんかな」  どうだろう。でも。 「最初は、誰でもできないでしょ」 「……」 「練習すれば大丈夫だよ。うん」  自転車だって、でんぐり返しだって、鉄棒だって、誰だって最初はできないとこからスタートなんだから、って自分で今思って、今、すごい違和感。違和感というか、そう思ってなかったんだ。酒井はさ、なんか最初からなんでもできる奴なんだと思ってた。日向男子って命名するくらい、いつでも明るく健やかな奴なんだって。 「あ、なぁ、桂、のど乾かない?」 「え?」 「ジュースおごるよ」  ちょうどコンビニがあった。真っ暗な帰り道、ほわりとそこが明るくて、店の虫避けライトが小さく、けれど物々しい音をたまに鳴らしてる。 「え、いいよっ」 「口止め料だよ」  なんでもできる日向男子。モテるし、友だち多いし、バスケ部レギュラーな、完璧日向男子だと思ってたから。 「逆上がりできないって言いふらさないように、口止め」 「……」  言わないよ。そうだ。誰でも最初はできないから、笑うようなことでも、言いふらすようなことでもない。 「なんにする? やっぱポカリ」  ちょうどそこでコンビニに到着した。明るいところで見る酒井はやっぱりイケメンで、モテるだろうし、実際モテてる。 「……じゃ、じゃあ、それ、なんだっけ脂肪分解するっていうお茶」 「え?」 「嘘。なんでもいいよ。酒井と同じのでいい。あ、からあげがいい? それともポテト?」  なんでもいいって言ったのに、どんな味なんだろって、酒井は本当にそのべらぼうに高いお茶を手に取った。だから、俺が今度は食べ物おごるよ。  こっちはこっちで口止め料。だって、鉄棒すごいんだぜ? なんて言い振らされて、披露しないといけないなんてことになったら困るから。 「じゃあ……ポテト」  ポテトにお茶。ヘルシーなようでヘルシーではなく。完璧だと思ってた酒井は完璧ではなく、ただの日向男子じゃないのが面白くて、もう少しだけ、そんな日向男子のリアルなとこを覗き見できないかなって、思ったんだ。

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