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第4話 接点ゼロ

「ただいまー……」 「あ、おかえりー、どうだった? 初コーチ」  うちに帰ると、お母さんが廊下にひょこっと顔を出した。  もう見学に来ないけど、小学校低学年まではうちのお母さんも見に来てくれてたっけ。今日も全員のじゃないけど、保護者さんが来てた。 「んー……難しいけど、楽しかった、かな」 「へぇ、よかったじゃん。逆上がりだっけ?」 「うん、そう」  子どもってさ、親が見てると楽しそうだよね。自分もあんな感じでお母さんのこと意識しながらやってたのかなーとか思うとちょっとくすぐったかった。 「小学生相手だと大変でしょー?」  たしかに、子どもって集中力が持続しないから、待ってる間におしゃべりしちゃったり。話も聞いてなかったり。  けど、酒井が上手だった。じゃんけんを始める子どもに話しかけて、意識をレッスンに向けさせたりとかさ。優しく笑って誘導するんだ。ちゃんとしてるほうに。褒めたり、小さい子が何かできたら皆でハイタッチしたり。  最初は皆チラチラ伺って、小さな子どもの中にいるの変って不思議な顔をしてたのに。 「……頑張ってたよ」 「? 柚貴?」  大きな人が小さい子どもと一緒に逆上がりの特訓するんだって笑う子はいなかった。  レッスンが始まってすぐだった。  準備運動までは淡々としてたけど、レッスンが始まってすぐ、身体のサイズが違うから、鉄棒の高さも違う。室内用の高さが調節できる鉄棒が二つ並んでいて、一つは子ども用の高さ、もう一つは俺らのシニアクラスが使っている高さ。  子どもがぽかんって口を開けて、自分たちと同じくらいに鉄棒が不得意な大人サイズの生徒を見てたっけ。  でも、最初だけ。  途中からはじっと見つめてた。 「一生懸命、頑張ってた」  酒井が一生懸命に頑張ってる子どもを褒めて、笑顔で応援してたから、子どもたちも酒井のことを応援していた。 「カッコよかったよ」  ぁ、すごい――そう思ったんだ。 「コーチすんの、すごい楽しかった」 「……」 「お風呂入ってくる」  次は、金曜日。明後日だ。週二回の短期レッスンが早く来ないかなって思うくらいに楽しかった。  たしか、ここら辺にあったはず。この中にとりあえずでしまったと思うんだ。 「うーん……ぁ、ひょあっ? 何っ、これっ」  一瞬冷や汗かいた。押入れの奥のほうへ当たりを定めて手だけ突っ込んで探っていたから、その指先に硬いけど、指先にペトリとくっ付いて、そして押すとぐにゃりとよからぬ感触。何かと思った。 「……なんで、ここに?」  スライム、だったんだろう。ヘドロの塊みたいな形のまま硬く干からびてて、色も怪しい緑のような青のようなドブ色。むしろ、その当時捏ね繰り回して遊んでたスライムよりも、今のほうが宇宙人っぽい感じ。お祭りの夜店とかで買ったのかな。  いや、そうじゃなくて。  発掘したいのは宇宙人のようなスライムじゃなくて。 「あ! あったあった!」  これを探してた。 「うわ。懐かしい」  あけぼのスポーツクラブ、キッズレッスン帳。これをいつも握り締めてレッスンに通ってたっけ。小学生まではこのレッスン帳にそって、それぞれの技を習得していく。鉄棒のレッスンレベル一は、鉄棒を握り、腰を鉄棒にくっつけ、真っ直ぐ脚を伸ばした姿勢を十秒キープ。レベル二は……っていうふうに段階が設定されてた。で、それをできたら、よくできましたスタンプを押してもらって、OK。 「へぇ」  これの通りにやっていけば、逆上がりできるようになるでしょって思ったんだ。サブだし臨時のバイトだし、コーチングなんてしたことないけど。でも、あれ、楽しそうだったからさ。 「……よしっ」  酒井も子どもも皆、楽しく一生懸命に頑張ってたから、俺も適当とかじゃなく、なぁなぁとかじゃなく、一緒に一生懸命にやりたいって思ったんだ。  思ったんだけど。 「はよー、桂ぁ」 「……はよ」  考えたら、俺と酒井の接点って学校で皆無だった。席が隣っていうだけ。会話したことないし。  そして、いきなり話すとする。まるで接点のない、まるで共通点のない、まるで違う二人がいきなり「あのさぁ、昨日のなんだけどさぁ」なんて話し始めたとする。そしたら、皆、なんだなんだって思うだろ。なんで昨日まで話したことがちっともなかった二人が急に親しくなってたら、不思議じゃん。どうしてそんな急に仲良く? ってなるよ。  俺が通ってるスポーツクラブに酒井が来たんだよって話したとしたら。 「ぁ、なぁ、桂、お前、レースゲーム昨日こなかったろ」  そしたら、なんで? ってなる。  逆上がりの練習でってさ、答えらんないよね。 「……ぁ、ごめん」 「うわー、忘れてただろ! そのせいで、取れなかったんだかんなー。欲しかったチューニングツール」 「あー、ごめん、マジで」  同じクラスの金子と昨日の九時にオンラインのレースゲームを一緒にやろうって待ち合わせしてたんだ。ペアでのチーム戦で好成績を取って、コインとポイントを貯めてくんだけど。  忘れてた。 「ったく、いいよ、代わりに英語の翻訳の宿題写させてくれたら」 「……あ」  そっちも忘れてた。 「げ、お前もやってねぇのかよ!」 「やってない。っつうか、それって今日の午後だっけ? 提出」 「や、昼でできる量じゃねぇから、だから俺諦めて学校でお前の写させてもらうつもりだったのにー」 「っていうか、俺に頼るなよ」  頼るとこ間違えてるから。  酒井はモテ男子の、なんでもそつなくできちゃう日向男子。俺はやや地味めの普通男子。課題も忘れてあたふたする感じの一般男子。地元も全然違うとこ。一年から、そして席替えをして六日目の今日まで、学校で話したことは一度もない。  逆上がりのことも極秘事項。  酒井の高校デビューのことなんて絶対に口外禁止。  そしたらさ、学校で話せないじゃん。  あ~あ、今日、持って来たけど意味なかったな。あけぼのスポーツクラブ、キッズレッスン帳。 「へー、すげぇ、俺もこの曲めっちゃ好き。ワイヤレスイヤホンかぁ」 「へぇ、酒井君ってワイヤレスの使ってるんだ。音良い?」 「あーうん、いいよ。でも俺の安いから、どうだろ」 「そんなことない絶対に音良い感じがする。ねね、どの曲好きなの?」  女子が酒井にめちゃくちゃ話しかけてた。少し頬が赤いのはお化粧なのか、どうなのか。 「うわぁ、この曲、超好き! えー! 酒井君もこれ好きなんだ。なんか、嬉しー」  さすが、日向男子。  曲一つでこんなに女子のテンションが上がるものなのか。  なんか、渡さなくてよかったかも。レッスン帳。だってもう古びてて、紙もうねってるし、あの押入れの中から発掘されたような黄ばんだ怪しい感じの一冊だし。あと、名前が……俺が書いたんだろう字がはちゃめちゃに汚くて、無理。 「あ、そうだ。桂」  うん。渡さなくてよかった。 「これ、写す?」 「……」 「英語の翻訳」 「……」 「忘れたって、朝、言ってただろ?」  そう言って、酒井がノートを俺の机に置いた。置いて、そんで、またさっきの女子の好きな曲の話の続きを始めた。  接点ないのに。  俺と日向男子の酒井とじゃさ。色々、全然違うのに。 「さ、酒井っ!」  その酒井がちょうど廊下出て行ったから、慌てて追いかけたんだ。名前を呼んで、ちょっとマズったかなって思ったけど。でも、人気者だから一人になることってあんまりなくてさ。  酒井は少し目を丸くしてた。  けどさ、バレたらイヤだろ? その、地元から離れたうちの学校選んだくらいだし、逆上がりだって、特訓を――。 「あー、そりゃ、バレたらちょっとヤだけど」  じゃあ、なんで、急に接点ゼロの俺に話しかけたんだよ。宿題忘れたからって、そんなの金子もそうなのに、なんで、俺に。 「でも、普通に友だちになりたかったから」 「……」 「あの件もこの件も関係なく、桂と友だちになりたいって思ったから」  気のせい、かな。 「英語、早くやっといたほうがいいよ。めっちゃ量あるから」  酒井と話してたら、あったかかった。あったかくて、本物の日向にいるのかと思ったくらいだった。

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