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第5話 イケナイ生徒にお仕置きしてみた。
「うわ、懐かしい。村コーチ、いたっけ。あー、教わってた」
レッスン帳に懐かしい名前を発見した。
村コーチはめちゃくちゃ身体が硬くて、いつもスクールの皆で、コーチそれだけ苦手なの変って笑ってた。たぶん、元は器械体操じゃなくて、サッカーとかをやってたっぽい。リフティングがすごい上手でさ。たまに、年数回だったけど、特別にってカリキュラムが早めに終わった時とかにゴムボールでリフティングを披露してもらったりした。もしもそのボールを足で奪えたら、その子が優勝。とくになんも賞品はないけれど、それでも大喜びしてたし、誰かが優勝するのを羨ましいと眺めてたりもしたっけ。
「ふーん、逆上がりって段階あったんだ」
補助器具つき、補助者つき、補助ナシ。あぁ、そうそう思い出した。補助つきからナシへのランクアップに俺も手間取ってたっけ。
「へぇ……」
今日は一人でお昼ご飯にした。金子には購買行ってくるからって言って、そのままあまり人のいない特別教室の階段で食べてた。
レッスン帳が見たかったんだ。これの段階をしっかり覚えておけば、明日レッスンの時、コーチングがしやすいかなって。
ちょっと、これは汚くて見せられないからさ。こんなに古びてて、押入れの隅っこで他の荷物の下敷きになって歪んじゃったようなのもらっても迷惑でしょ? ちょっとヤじゃない?
俺がちゃんと覚えておけばいいだけなんだし。
「ほー……なるほどなるほど」
「ぶごっ、げほっ、うわぁぁぁっ!」
階段に寄りかかって熟読していた真っ最中だった。買ってきた冷え冷えのパックのお茶を飲みながら。
だから驚いた拍子にちょっと零しちゃったじゃん。チェック柄のズボンに零したから目立たなくて助かったけど。
「わりっ、驚かせた」
びっくりするじゃん。誰もいない廊下でいきなり、フクロウみたいな啼き声が唐突に聞こえたら誰だって驚くよ。
「ちょ、酒井~、零しただろ」
「ごめんって」
しかもそれが酒井だなんて。
「よっ」
よっ、て……なんで。
「言っただろ? 友だちになりたいって。そんで飯一緒にって思ったのに金子は別の奴と昼食ってて、桂いないし。訊いたら購買って言ってたのに、購買にもいないし。探した」
な、なんで。だって、なんか。
「はぁ、まさかこんなところにいるとは。けど人いないのな、穴場だ」
どうしたわけ? いつも酒井って、お昼ご飯。
「購買行ってから、佐藤とかと食べてなかった?」
「……」
「あ! ちが! あの、見てたとかじゃなくてっ」
怪しい人みたいな発言だったかもしれない。男子が男子の動向ってあんまり気にしないのかもしれない。ただ俺も目に入っただけっていうか。いつもお昼のチャイムが鳴るとほぼ同時に、やっぱり同列レベルのイケメン佐藤が酒井のことを呼んで、二人で購買へ行く。日向男子は本当に日向みたいに人がわらわら集まってくるなぁって、遠くから眺めてたから、知ってたんだ。別に、そういうのって、普通、だよね?
普通、じゃない?
え? めちゃくちゃ変だった? なんか、すごいぽかんとされてるけど。
「っぷ、すげ。桂が挙動不審。やっぱ、友だちになりてぇ」
「は? な、なんでっ」
「だって、もっとクールなのかと思った」
「は、はい?」
俺が? クール? ぇ、どこが?
酒井はとても楽しそうに笑いながら、購買で買ってきたタマゴパンにパクリと齧りついた。
「クールな美形」
「は、はぁ?」
美形、ってそれこそ、どこが?
「なぁ、それ何読んでんの? すげぇ熱心に読んでた」
「へ? あ、うわぁっ! こ、これは」
「鉄……棒?」
慌てて自分の懐にしまいこんだ。こんな子ども向けの冊子じゃ参考にならないかもしれない。なるかもしれないけど、こんな古くてボロボロで黄ばんだのなんてさ。
「こ、これ、俺が子どもの頃使ってた本なんだ」
鉄棒のさ、逆上がりまでのステップアップ方法が書かれてる。最初は鉄棒の基本姿勢から。しっかり背筋を伸ばして、肘を真っ直ぐ。爪先まで身体を一本の棒みたいにしたまま、十秒間体勢をキープ。たぶんこれは鉄棒に対しての身体の軸がどこなのかを意識するのに必要なんだと思う。
俺らはこれを「ツバメ」って呼んでた。
そういうステップを確実に踏んでいくのが一番の近道なんだろうって思ってさ。
「へぇ……」
「ぁ! その、黄ばんでるし。古いし、押入れから引っ張り出したやつだから、若干埃っぽいし」
「読んでもいい?」
「ぇ、あ……」
けど、汚いよ? 押しつぶされて歪んでるよ? あと、黄ばんでるし。
「ど、どうぞ」
手を差し出されて、めちゃくちゃ笑顔で、まるで「お手」って言われたワンコみたいに、その笑顔に抗えず差し出してた。
「き、汚くない?」
「これ、桂が書いたの?」
「あ、あー、うん。そう」
自分では気がついてなかった。すげ恥ずかしい。
ガッタガッタのへったくそな字が「NAME」ってなった欄のところにぎゅうぎゅうに詰め込むように書かれていた。かつらの「つ」なんて逆向いちゃってるし。
「たぶん年長の時、そこに、ぞう、って書いてあるから」
年長はゾウ組だった。「ゾウかつらゆずき」
「字、すっげぇ筆圧。途中でサインペン潰れてる」
「そ、それは」
「……可愛い」
や、可愛いわけもなく。
ペン先が途中から潰れるくらい力を込めて書いてた。そのガッチャガチャな字を見て、優しく微笑まれて、さっきまで気恥ずかしさがいっぱいだった胸の辺りがくすぐったくて、なんだか言葉がどこかにつっかえた。。
「あと、汚くないし、黄ばんでるのを汚れだとも思わない」
「……」
「押入れの奥にしまってたの引っ張り出してくれたって嬉しかったし」
「……」
「熱心に読んでてくれたの嬉しかったし」
「……」
「それに、子どもの頃から桂はクールな美形とは違ってたって、わかって、楽しいし」
「へ? 何?」
何かと思った。何を酒井は見て笑ってるんだろうって、自分のレッスン帳を覗き込んだ。
「なぁ、これ、渋川コーチに似てない?」
そこには眉間にものすごい皺を刻んだ誰かがいた。渋い顔、ボサボサの髪。
「似、似てないって」
「えー? そう? 似てないかなぁ」
「似てないって」
やっぱりくすぐったい。なんか、すごくくすぐったい。子どもの頃の落書きを見つけられたせいだ。それと、たくさんの人に囲まれてる酒井が今ここにいて、俺らしかいなくて、その中で、いつもよりも少し意地悪な顔をして笑う酒井がレアだから。
なんだか、とてもくすぐったいんだ。
だから、似てないんだってば。
「こんにちは! 逆上がり特訓二回目のレッスンです! それでは出席をとってきます」
絶対に笑っちゃうから、似てないって言い張ったのに。ほら、巨人な酒井の周りの子どもたちが不思議そうにそっち見てるって。
思い出しちゃうから、違うって言ったのに。
俺の筆圧ぐりぐりにして描いた渾身の怒れるコーチ絵を思い出して笑いを堪えるイケメンを目で諭すけれど。
ひどいんだ。
「っ……っ」
渋川コーチが俯いた瞬間、本当にほんの一瞬、酒井が眉間に皺を寄せ渋川顔を作っては、俺のことを道連れにしようとする。
そんな悪い生徒にはお仕置きが必要だと思うんだよね。
「イダダダダダ!」
「……」
「股、裂ける!」
「裂けません」
足はもっと開くんだってば。ほら、このくらい。
「イイイイイイイイ」
足で悪い生徒の足を押し広げて。
「ダダダダダダダダ」
両手を掴んで引っ張り上げる。
身体がガッチガチに硬いその生徒の断末魔が、特別集中レッスンのフロアにとても見事に響いていた。
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