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第25話 ふと……

 駆け込みジャンプからの倒立前転、しっかり止まって、倒立、一、二、三、四……五秒、停止してからの前転着地、側転、それで最後がバク転。 「んー、少し、側転の足が速く回ってる。もっと溜めてから、回転だぞ」  あ、やっぱりそこ言われたか。 「はい」  そんな気がしてた。  渋川コーチの目がギロリと……は光らなかったけど、見破られてた。 「ふぅ」 「お疲れー」  俺の前に並んでたのが香織だった。鏡の前、一列に並んでるマットのところに座って、他の人の演舞を見てた。 「最近、あの人見ないねー」 「? 公太?」 「うん、そう……辞めちゃったの?」 「あー、いや、そうじゃないけど短期だったから」 「そっかぁ」  短期集中レッスンが終わってしまって、俺は自分の練習のみに専念すればよくなった。よくなったんだけど、もう公太にここでは会えないかと思うと、さ。  ちょっと寂しいんだ。  いくらでも会えるのに。うちにも行ったくらいなのに。 「そんでー、彼氏んち行ったら、いきなりだよ?」 「げー、うっざ」  俺と香織が二つ三つ言葉を交わした後、静かに他の人の演技を見学しているとそんな言葉が聞こえてきた。女の子二人が、たぶん、彼氏の愚痴を零してる。 「ドン引きだっつうの。いきなり、はぁはぁされたって、はぁ? だっつうの。若干、キモって思った」 「きっつ! でも、思うっしょー。うわぁってなる」 「っつうかさ……キスまでは良い雰囲気だったのになぁ」 「こらー、そこ、私語多いぞー、練習集中しないと怪我するぞー」  愚痴っていた彼女たちは渋川コーチの声に「ヤバ」と呟いてから、ギロリと睨む目線ビームを避けるように肩をすくめた。そして、全然関係ない俺の心臓が止まるかと、思った。  彼氏んち行ったらいきなり、とかも、はぁはぁされたってキモいだけだとかも、ドン引きも、すごい、あの、なんというかとても心臓に悪影響なんだけど。 「すごいね。あんま話したことないけど、華女子の子でしょ?」 「あー、そうかも、知んない」  華女子っていつも略して呼ばれてる女子高の子たちで、あまり香織は仲が良くないらしい。怪訝な顔をして、赤裸々な私語を注意された女子二人から視線を逸らした。俺は、その女子に会話に耳をダンボにして聞き入ってた。  昨日、キスをたくさんした。たくさん、公太の部屋でした。  ――キスまでは良い雰囲気だったのになぁ。  その一言が心臓を抉る。  だって、昨日、キスを公太は止めたんだ。そして好きって言ってくれて、苦しそうに顔をしかめながら何かを口の中でだけ呟いた。でも何を呟いたのかまではわからなかった。でもでも、「ごめん」って言われたような気もする。  わからないけれど。  聞こえなかったけれど。  ただ、あの顔で、あの雰囲気じゃ、その三文字が一番合ってると思った。  じゃあ、なんで「ごめん」なんて? 「次、柚貴だよ」 「ぁ、うん……」  なんで、そんなこと、言ったんだろう。  ぐるぐるぐるぐる、言葉が回る。 「柚貴! 遠くまでごめん!」 「……ううん」 「なんかさ、にいちゃんが逆上がりできるんなら自分らもできるようになりたいとか言い出してさ」  公太は相変わらずカッコいい。今日はイケメン日向男子の公太だ。でもさ、俺は、眼鏡してても、してなくても、普通にカッコいいと思うよ。高校デビューなんてしなくたって、普通に。 「……うん」 「じゃ、行こうか」  そして、俺にいつもどおり笑っててくれて、いつもどおり優しい。けれど、いつもどおり、なんだ。なんていうかさ、自分のうちに彼氏が来るのにいつもどおり。学校で、図書館で、ショッピングモールで会うのと何も変わらない。はぁはぁ、息が荒くなることなんてなくて、どぎまぎもしてない。  でもそれはある意味さ、ドキドキも、してなさそうだなぁって。それはまるで――。 「もしかして……公太?」  名前を呼ばれて、公太がとても気まずそうにしてた。 「嘘……ぇ、公太?」  すごく可愛い子。ショートボブがふわふわしてて、栗色の髪は艶々で、太めの眉毛が可愛くて、赤い唇がよく似合ってる。 「うわ、なんか、変わったね、雰囲気」 「あー、うん。そう、かな」 「めっちゃイケメン!」 「あはは」 「えー? マジで? 似合ってる似合ってる。いい感じだよぉ」  その会話と、公太の表情でなんとなくそうじゃないかなって思った。公太が中学の時に告白して「なんで?」って断った女の子はこの子なんじゃないかなって。なんでだろう。別にそんな会話してないのに。 「……ありがと」 「高校、すっごい遠いとこだから、ちっとも会えなくなっちゃった」 「……うん」  今度皆で集まるって話してたよ。うん。来れたらおいでよ。うん。イケメンすぎて皆びっくりするよ。うん。元気そう。うん、元気だよ。  そんな俺にはつまらなくてわからない会話が続いてた。でも、なんか、おかしくない? だって、彼女は公太のことを振ったのに、なんで普通にしゃべってるんだろ。 「よかった。普通にしゃべってもらえた」 「……え?」  なんで。 「もうきっとしゃべってもらえないと思ったから」 「……」  振ったのか彼女で、振られたのは公太なのに、彼女のほうは嬉しそうにはにかんでるんだろ。 「私さ、小学生の頃、ブスブスって言われてたんだぁ」 「……え?」 「それで、中学の時、うち、学区が微妙なとこでさ、選ぶことができるの。それで、皆と違う中学にしたの」  それはどこかで聞いたことのあるお話。学校が変わるタイミングで自分自身も変身する。 「ダイエットもしたし、毎日アイプチして学校行ってた」 「……」 「だから、公太に告白されたのびっくりしちゃって」 「……」  ふと、思ったんだ。 「なんで私なんかをって……」  こんな可愛い子、そりゃ好きになるよ。恋愛対象がちゃんと女の子なら、きっと絶対に好きになる。男子ならさ。  それなのに、なんで、公太は俺のことを好きになったんだ? なんで、好きになれたんだ? ってさ、そう、思っちゃった。 「ダメだー。全然足上がんない。柚にいちゃん」 「足を上げるんじゃなくて、身体を鉄棒にくっつけるんだよ」 「鉄棒にくっつける」  公太はさ、あの子のことを好きで告白したってことだから、女の子が恋愛対象に含まれてる。男子も含むのかもしれないけれど、女子もありえるんだ。そんでさ、公太のことを好きな女子なんてけっこういるでしょ? 柴田さんもそのうちの一人。他にもチラホラ、女子の会話に公太のことは出てくるよ? 「いーち、にーの、さんっ! あー、全然ダメだぁ」 「ユウタ君、腕を鉄棒にくっ付ける感じだよ」 「腕……腕」  それなのに、なんで俺なんかと付き合ってるの? 「いーち、にーの、さんっ!」  女子のほうがいいんじゃないの? 「またダメだー」 「もう一回」 「うん!」  だって、キス以上のことしない、じゃん? しようとしないじゃん? それってさ。 「いーち、にーの」  それって。 「っっ、さんっ!」  ――キスまでは良い雰囲気だったのになぁ。 「っ、うわっ!」 「ユウタくっ!」  考え事しながら、集中力に欠けた状態で技やると怪我の原因だって、つい昨日教わったのにね。 「柚貴!」 「柚にいちゃん!」  一瞬のことだった。連続で練習してたから子どもの腕力はもう限界で、ユウタ君の補助が遅れた。まっさかさまに落ちるって、慌てて手を出して。あとはもうよくわかんない。 「っ」  ただ、指がめちゃくちゃ痛かった。 「柚貴!」  それと、胸のとこも、ものすごく痛かった。

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