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第34話 こんがり佐藤
勉強して、受験に備えて、三年になったら模擬とかいっぱい受けて、勉強して、とにかく勉強して成績上げて試験受けて、大学を受験して、大学受かったら、次は少しだけ羽を伸ばして、また次の就職っていう場所に向けて準備を――。
大まかに言えばそういう感じが平均的で一般的で、一番無難。
無難という字は、難しいものが無いと書きます。困難が、無い、とも言います。困難なんて、有るより無いほうが絶対に良い。だから、勉強してる。
今日も勉強……。
「……」
そこで零れそうになった溜め息を慌てて飲み込んだ。
勉強はしないといけないこと。俺の学力じゃちょっと大学は頑張らないといけなくて、夏期講習で漬物化されたほうが絶対にいいはずなところを、うちの家計にとっては救世主的存在の公太のところで無料で勉強を見てもらえてる。しかもおうちデートを兼ねての勉強会。
めちゃくちゃラッキーじゃん。
めちゃくちゃいいじゃん。めちゃくちゃ……。
「あれ? 桂?」
「!」
名前をいきなり呼ばれて、しかもすごいイケテルグループ感がヒシヒシしすぎて目が痛い感じの煌びやかさの方々に、驚くというよりも萎縮に近い飛び上がり方をした。
「え? ぁ? も、もしかして佐藤?」
「あはは、まさかの偶然。何、この辺地元?」
「あーうん」
「そっかぁ」
すごい……こんがり焦げてる。その隣にいるアイドルみたいに可愛い子がものすごい色白だから余計に黒く焦げてる感が。
なんか、色々すごくて、タダの高校生にはどうしたって見えなくて、午前のしかも九時前の駅で見かけると、オールで遊んだ後なのではと思ってしまう、なんというか不健全さが、申し訳ないけれど、そんな不健全な雰囲気が醸し出されてた。
「こ、こんにちは」
「ぶはっ、めっちゃ丁寧な挨拶」
背も高くてイケメンで、それなりにブイブイ言わせてそうで、ブイブイって死語だけど、そんで俺とは別世界の遥か彼方にいる日向男子。日向っていうかもう太陽光線男子のほうが合ってそう。
「なんか、面白いな。桂」
「へ? ぁ、どこが?」
「いや、普通に」
そう俺は普通で一般的。
佐藤は公太よりも派手で、公太よりもイケてる感が強くて、少しだけ、ほんのり、でもけっこうかも、苦手なんだ。
そんな苦手意識なんてものも感じなそうに唇の端を吊り上げて笑う佐藤のTシャツの裾を、隣にいたアイドルみたいな女の子がちょんちょんって引っ張った。ぁ、前にクラスの女子が噂してたっけ。佐藤は他校に彼女がいるって、めちゃくちゃ可愛い子って言ってた。たぶん、その子がこの子だ。
その佐藤の彼女さんが、「だぁれぇ? この人ぉ」って、地味な普通男子高校生な俺を不思議そうに見てた。同じクラスの奴って言われても、さして特徴のない俺には興味を持つ要素もないんだろう。「ふーん……」と、とても退屈そうに返事をされてしまった。
普通すぎて退屈そうな、返事。
公太は学校だと佐藤とよく一緒にいる。
こっち側とかあっち側とかそっち側とかさ、なんとなく、見えないけれどふんわりと薄っすらとスプレーを吹き付けたみたいにエリアが決まっている感じ。俺のいるこっち側と、佐藤のいるあっち側はくっきりとした境界線があるわけじゃないけれど、その足元に目を向ければたしかに色は違うような、そんなエリア分け。実際にそういうエリア分けはあると思うんだ。
それで、あっちの、佐藤がいる側に立つ公太をちょっと想像した。その後、俺があっち側に立っているところも想像してみた。でも、びっくりするほどに、まぁ馴染まない。驚くくらいに馴染んでない。そして、公太があっち側にいる光景は。
「ねー、酒井君とかも一緒に遊びたい!」
「だーかーら、ダメだって」
その名前にピクッてした。
「なんで? ミカが酒井君にチョー会いたいんだって、くっつけたげよーよ」
「会いたいって、ミカちゃん、酒井のことなんで知ってんの?」
「ずっと前に、うちらが待ち合わせした時、道が一緒だからって、いたじゃん」
「いつの話だよ」
佐藤の彼女の言葉に、ピクピクって。
「それにくっつけられないからやめとけって」
「なんでー?」
「酒井、ずっと前から好きな子がいるっつってんじゃん。だから絶対に女の子がいる時は一緒に来ねぇし」
「えー? もうなんでー?」
「なんでも」
え?
「ミカちゃんのほうが可愛いよ。チョー良い子だし」
「無理だよ。酒井、その子のこと一筋だから、ずっと」
「えー、なんかイケメン」
「は?」
は? は、俺が言いたい。
今、なんて?
ずっと好きな子って、あの中学の? 中学の時に告白したっていう子? でも、あの子のことは吹っ切れてるような雰囲気だった。偶然、会っちゃった時もそんな好きっていう感じはしてなかった。けど、じゃあ、誰にずっと片想いを――。
「それにミカちゃんってこの前まで大学生と付き合ってたじゃん」
「それがねっ」
「はいはい。わかったから。桂、わり、足止めした。それじゃあ、また夏休み明けの学校でな。あ、もしもさ、酒井に会ったら、英語の課題見せてつっといて。礼はするからって」
「え? あ、あのっ」
「そんじゃーな」
公太は、ずっと、誰かに片想いを……してる、の?
公太のことは、知ってたよ。一年の時から目立ってたし。バスケ部レギュラーになった一年生がいて、イケメンで、優しいって、当時同じクラスだった女子が噂してるのを聞いてたから。
酒井公太って、知ってた。
けどさ、俺は噂になるようなところもない普通の高校生だったから、普通の中に埋もれてた。一般的っていうとこにいた。今もそこにいる。話題にならないし、噂にもならない。
俺はそれでいいんだ。目立ちたくない。話題にもなりたくない。
そんな俺のことを公太が知ったのは同じクラスになってから。いや、もしかしたら、席が隣になった時からかもしれない。
けど、公太は誰かにずっと片想いをしてたんだって。
佐藤は今でもしてそうな感じで言ってた。だから、さっきの可愛い彼女さんが友だちを紹介したいって言っても頑なにダメって言ってた。無駄だって。
――ずっと前から好きな子がいるっつってんじゃん。
「柚貴!」
「!」
――だから絶対に女の子がいる時は一緒に来ねぇし。
電車で一時間近く、ガタゴト揺られてる間ずっとさっきの佐藤の言葉が頭の中を走り回ってた。
「今日はあっつ……柚貴、暑くない? 今日、帽子とかかぶったほうがいいかもよ?」
「……ぁ、う……ん」
今日はうちの親が両方とも仕儀とが休み、土日の週末だから。夏休みに入るとそういう曜日感覚がほとんどなくなるけれど、週末で、ユウタ君たちもうちにいる。けど、勉強をするのは公太のうちになった。
なんかユウタ君たちは友だちとその友だちのお母さんと一緒に、近所のお祭りに行ってるんだって。夏にやる地元のお祭りなんだけど、そこで最年少のユウタ君、そうそう、実は最年少っていうのにびっくりした。そのユウタ君が保育園で習った楽器で音楽隊として出演するって。夕方、の出演って言ってた。だからそれを一緒に後で見ようということになったんだ。それまでは部屋でお勉強。
「どう? 指のほうは?」
「……ぇ? あ、何?」
指、そう公太が笑って、突き指をした手を見た。もう湿布もやめてるし、痛みもほとんどなくなった、ほぼ感知している俺の右手。お箸だって普通に持てるし、字を書くのにも支障はほぼない。そんなのすっかり忘れてたくらい。
なんか、突然、ドーンって頭の中に投げ込まれた、のっぺらぼうだけれどたしかに存在している公太の片想いの相手のせいで、突き指なんてものに考えを巡らす隙間がなかった。
「もう、全然……」
「そっか。でも、まだクセになったら大変だから、じっとしといたほうがいいよ」
「……」
「あ、そだ。うちに来る前にコンビニ寄っていい? もしくはスーパー。ちょっと遠回りになるんだけど、そっちのほうが少し安いからさ」
「う、ん」
誰、なんだろ。
ねぇ。
「じゃ、いこっか」
「……」
公太がずっと、片想いしてる人ってさ、一体、誰、なの?
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