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週末、金曜日はほぼ毎週バー『ヘブン』へ顔を出す。
番である婀都理も、金曜日は休まず出勤している。花の金曜日と言うだけあって、他の平日と比べてやはり客入りは良い。その分忙しくなるので、基本的に金曜日の仕事は休まない。
「あれ?トリじゃね?」
グラスを磨いたり、カクテルを作ったりする婀都理の仕事を見ていると、後ろから声をかけられた。トリ、と言うのは俺の夜の名前。鳥岡からトリと安直すぎる名前だがそれでよかった。
声をかけてきたそいつは、俺のセフレの一人だった。
ベータで、可もなく不可もなくな奴。
「久しぶりだな、エイ」
「まーね。此処も久しく来てなかったし……」
どうやら、最近彼女と別れたらしい。彼女がいた間は、このバーにも来ることは無かったと。
「トリが一人で飲んでるってことは、相手いないんだろ?今夜、どう?」
明け透けに誘われるセックスの話題に、俺はにやりと笑う。
エイはそんな俺を見て、イケる、と思ったのか隣に座っていた体を更に寄せてきた。
「残念、ハズレ」
「えっ?何々、じゃあ今待ち合わせ中?」
ビックリした面持ちのエイ。だが、俺たちの距離はさして離れてはいない。
目の前で氷を削っている婀都理の目が、細められるのを見て少し背筋がゾクゾクした。
「それもハズレ」
そもそも、待ち合わせなんかしてない。
「八坂君、今日はもう上がっていいよ」
店長の声に、昼のカフェから仕事をしていた婀都理は早番として上がるらしい。
にやり、と笑った俺はその顔を隠すようにグラスに口を付けた。
「お待たせしました」
隣でまだ俺を諦めていない様子のエイが、ずっと話していたが俺はその話を聞くことなく酒を飲みながらただ座っていた。
置くから出てきた婀都理は、俺の席へと来ると俺に手を差し出してきて、俺は迷うことなくその手を取った。
「あっ、もしかしてアンタが今日のお相手?なら、俺に譲ってよ」
本当に諦めてなかったのか、婀都理を見ても何も思わないのか、エイはそう言い放った。
だから、彼女にも振られるんだ、と俺は半眼になる。
途端に、俺の手が強く握られてそのまま腕を引かれた。
「譲る?意味がわかりませんね。冗談は顔だけにしてくださいよ、勘違い野郎」
ベータの中ではイケメンの部類に入るエイに、にっこりと言い切った婀都理はエイの言葉を聞くまでもなく、バーの出口を目指す。
途中通ったスタッフに、俺の分の支払いは次の出勤日にすると託を頼んで。
婀都理の車で、家に帰った。婀都理は飲んでいたわけじゃないから、平気だ。
「……なに、怒ってんだ?」
家に帰ってきてからも真顔で、ムスッとしている婀都理に俺は煙草を吸うことすら忘れて問う。
が、婀都理からは別に、としか返ってこなくてそれが妙に腹立たしい。
言いたい事が有れば言えばいいのに。婀都理は少し言葉が足りない事が有るような気がしてならない。
「おい、あとっ、んぅっ?」
どさっと押し倒されたのは、ソファーの上。幾ら発情期に切羽詰まっていたとしても、必ずベッドまで連れて行ってくれていた婀都理が、今日は怒ったように何も言わず、ベッドにも連れて行ってはくれない。
キスを仕掛けられながら、俺はどうしたものかと悩む。
そもそも、なぜ婀都理がこんなに怒っているのか理解できない。
俺はきちんと断っていたはずだし、そもそも、俺に言い寄ってきていたアイツが悪い。
「はっ、何、すんだ婀都理!!」
もがいて、抜け出そうとするも、肩を押さえつけられて動くことすら儘ならない。
婀都理を睨むと、何故か婀都理は悲し気な顔をして、俺はついハッとしてしまう。
「……して……す?」
婀都理が小さな声で何かを言ったが、口ごもるようにつぶやいた声は俺まで届くことがない。
「なに?」
「どうして、番だと言ってくれなかったんです?」
泣きそうな顔をして、婀都理が俺を見て笑いかけて失敗している。
「貴方が昔セフレや恋人が居た事は知ってます。でも……」
実際に見るのと、知っているのでは話が別です、と婀都理は言う。
「俺はね、彩里さんが俺の事をどう思ってるのか、知りません。貴方は何も言ってくれない。それどころか、俺に興味がなさそうに振舞ったりする……今日だってはっきりと拒絶してくれたわけじゃなかった……俺の前だったのに……」
目を瞑り、首を横に振った婀都理はゆっくりと俺から離れて、立ち上がった。
俺は、婀都理の涙に呆然として立ち上がる事はおろか、起き上がる事すらできず婀都理を見つめていた。
涙を流し続ける婀都理に手を伸ばすと、パシッとその手を払われた。
……婀都理からの、初めての拒絶だった。
「すみませっ……、暫く俺、頭冷やします」
バタバタと出て行った婀都理。俺は、そんな婀都理を追いかける事すらできず、ただ払われた手を見ていた。
暫くしてから、婀都理の居場所を探そうと携帯を手に取って知り合いに連絡してみようと思ったけど、はた、と気が付いた。俺は、婀都理の知り合いを知らないし、そもそも仕事場とこの部屋以外の婀都理を知らない、のだと。
誰かに婀都理の居場所を聞こうにも、婀都理の交友関係すらわからない。
手詰まりを感じて、呆然とその場に座り込んでしまった。
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