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一本目は辛らつに_05

 四信先輩率いるバスケ部は会計をすませると、わいわい騒ぎながら店を後にした。まだバイトを始めたわけではないけれど、四信先輩たちの背中が見えなくなるまで深々と頭を下げ「またのご来店お待ちしてまーす!」と大きな声で言った。そのとなりで、音八さんは「してまーす」とやる気なさげに言う。   「音八パイセンそれでよくクビにならないっすね」 「あーいう接客は不得意なんだよ」 「じゃあどーいう接客が得意なんすか?」 「あーんなことや、こーんなことする感じの」  音八さんの指先が俺の唇を小突く。  冗談だとわかっているのに、その触り方はどこか性の気配がして思わず後ずさりしてしまう。好きでもない男に触られ、怯んでしまった自分をごまかすように「音八パイセンの不潔ー、休憩室とか案内してくださいよー」と笑った。 「最近の高校生はつれねぇなぁ。ちゃんしーパイセンは可愛かったけど――休憩室はこっちな、ついて来い」  さらりと、四信先輩の名前をだすあたり、この人はなかなか食えない男だ。俺じゃなかったら完全に顔引きつっているところですよ、俺だから大人の対応してますからねと微笑んでみせると音八さんはますます上機嫌な顔をする。ほんっと食えない男!  上機嫌な音八さんは俺の肩を小突くとズカズカと大股で進んでいく。店員とは思えない態度に驚きながらも、「うす!」と嫌な空気を吹き飛ばすために元気よく返事をして、ついていった。音八さんの後ろ姿が驚くほど細く、どこか夜の匂いがした。  休憩室に入ると、そこかしこから煙草の匂いがする。禁煙じゃないのかと眉を寄せていると「禁煙なんだけど、みんな吸ってっから。お前も吸いてぇなら好きに吸えよ」なんて平気で言うから思わず目を丸めてしまった。俺、未成年なんですけど。 「いや、吸わないっす」 「へぇ、真面目だなぁ」 「むしろ今時煙草とかだせぇっすよ」 「こちとらカッコつけて吸ってるわけじゃねぇし。ちょっと一服していいか?」  カッコつけじゃないなら、なんで吸ってるんだ。  ちょっと疑問に思いつつも「お好きにどうぞ」と言い、ソファーに腰を下ろした。思った以上にふかふかして気持ちがいい。カラオケの休憩室とは思えない、白金の力が動いているのか? と勘ぐりたくなるほど。俺が即採用になったことも、ちるちるが手を回してくれたからだ。ただのカラオケにしか思えないけどなぁと背もたれにもたれかかる。 「さっき中途半端にやめちまったから吸いたくて吸いたくてしょうがなかったんだよな」  さっき、というのは俺がカラオケに来る前のことだろうか。ちるちると話していた時には音八さんは吸っていなかったから、ちるちるのために吸うの中断したのかもしれない。やっぱり二人にはなにかしらの縁がある。  音八さんもドカッと俺のとなりに腰を下ろすと、スキニージーンズの後ろポケットからくしゃくしゃの煙草とライターを取り出した。  最近は電子煙草の普及が進んでいると思ったけれど、音八さんは紙煙草にこだわりがあるのだろうか。煙草のパッケージに書かれた英字は、和訳するとななつ星。よく見るとパッケージには七の数字と無数の星が散りばめられていた。七というだけで縁を感じてしまう自分に少し笑っていると「なんだよ吸いてぇのか」と煙草を咥えた音八さんに聞かれる。 「違いますよ、名前が気になっただけ」 「は?」 「セブンスターって名前に親近感わいたんすよ。俺、七とかセブンってついてるもんが妙に気になっちゃうんすよね」  音八さんは「ふぅん」と気のない返事をし、ゆっくり煙を吐いた。音八さんの体にすっかり染みついている甘ったるい匂いがした。 「美味いんすか、それ」 「知りてぇのか」  音八さんは咥えていた煙草を指に挟むとにやりと口角を上げる。どうしたって未成年に吸わせたいのか。ピンクの髪と緑の瞳、人から見たらチャラい高校生だろうけれど、守らなければルールは守りたい。自分のためであり、親のためでもある。俺がなにかしでかせば、本郷リゾートは終わる。父がたった一代で築いた大切なものを俺が壊すわけにはいかないと首を横に振った。 「だから、吸わ」  吸わないっすよ、と言おうと思った。  けれどもその言葉は、大きくて厚ぼったい音八さんの唇に飲み込まれてしまった。あれほど煙は甘ったるく感じていたのに、音八さんとのキスは驚くほど苦かった。 「美味いか?」  ゆっくり離れていく唇は上機嫌に弧を描き、ふぅーっと煙草の煙を顔に吹きかけられた。甘くて苦い煙が俺の体中をまとわりついて離れない。 「不味いっす」  はっきりと音八さんの目を見て言う。音八さんは大きな声を上げて笑った。 「そうかよ――お前、オトコが好きなんじゃなくて、好きなのがオトコなだけか」  一番抉ってほしくないところを、音八さんはぐりぐりと抉ってくる。その細い指先で、俺の心臓を抉りだそうとしているのだ。  ひくひくと口端がつり上がる。挑発に乗りそうになるけれど、それでも必死に笑顔を作る。たぶん、今の俺はちっとも笑えていないだろう。 「そうやって笑ってごまかすの楽しいか? うかうかしてたら、とられちまうぜ。あいつ、すっげーいいオトコじゃん。モテるだろ。オンナにも、オトコにも」  そうですね、そんなこと俺が一番よく知ってますよ、だって四信先輩のこといつだって目で追っているから。  歯を食いしばり、ソファーから腰を上げる。いきなり俺が立ち上がったから驚いたのだろう、音八さんは目を見開いた。 「それ、吸い終わったらロッカールーム案内してくださいね」  ひくひく引きつる口端を気にせずに、音八さんが指で挟んでいる煙草を指差した。俺とは対照的に音八さんはゆるく口角を上げ「やっぱ面白いオトコ」とふっと笑った。

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