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二本目は淫靡に_04

「……まーた帰って来ない」  飲み物を運んで来ると部屋に行ったきり、音八先輩が受付に帰って来ない。探しに行こうかと頭を捻るも、俺までいなくなったら受付に誰もいなくなってしまう。どうしたものかと悩んでいると「なっちゃん、休憩行ってきなよ。俺受付入るから」と先輩に声をかけられた。 「あ、もう休憩時間すか? じゃあ音八パイセン探しがてら行ってきまーす」 「音八? あいつなら客にせがまれて歌ってんじゃね?」 「あの音八パイセンが歌うんすか」  いつもやる気がなくて、そのくせセックスしている時は狂気に似た笑顔を浮かべる音八先輩が歌う、まったく想像できなくて首を傾げる。 「あー、なっちゃんは知らないんだっけ。音八、ああ見えてバンドマンなんだよ」 「ば、バンドマン? マジっすか」 「いやー、すっげぇうまいよあいつ。いい声してるんだよ。『音速エアライン』っていうバンドなんだけど、いつもデビューしてもおかしくねぇって言われてる。俺けっこーファンなんだよね。ギターもベースもドラムもマジで痺れる」  あの音八先輩がボーカル? ないない、と否定しそうになり、ふと音八先輩の声を思い出す。  言われてみればあれほどスパスパ煙草を吸っているくせに、謎の透明感。そして、無駄に甘い。ボーカリストならそれはきっと無駄ではなく、必要な甘さだろう。それにしても、いつもはやる気ゼロの音八先輩は舞台の上ではやる気があるのだろうか。想像できない。 「ぜんぜん想像できねーって顔してるな。とりあえず見てきたらわかる、いってら!」  どんっと先輩に背中を押され「うす!」と元気よく返事をする。頭の中でああだこうだ想像してもしょうがない、とりあえず見てこよう。  音八先輩が運んだ部屋は確か――この歌、ちるちるの持ち歌のひとつだ。ワンオクの『Wherever you are』が部屋から漏れてきている。マイクを握っているのは音八先輩で、部屋にいる女の子たちはうっとりと音八先輩の歌声に聞き惚れていた。  ああ、確かにこれは、すごい。ぞくりと体が震え、想像をはるかに超えてきた。うまい、なんてものじゃない。聞こうと思っていなくても、自然と立ち止まってしまう。圧倒的な歌唱力と表現力で惹きつけられる。  第一印象は最悪。いまだに良いとはいえない音八先輩に、悔しいけれど魅せられてしまっていた。  俺の気配を察したのか、マイクを握っている音八先輩と目が合う。いつもより艶がある。そんな顔できるんだと驚いていると、音八先輩はゆるく口角を上げ、俺に向かってウィンクをひとつ。瞬間、ぎゅっと心臓を掴まれた気がした。 「……は、なんで」  セックスしている音八先輩じゃまるで反応しなかったのに、どうして今勃っているんだ。  音八先輩の歌を聞いて、ウィンクをされただけだ。ちっとも好きじゃないのに。どうして。  ばくばくばく。うるさすぎる心臓に首を振り、ぎゅっと胸を握りしめる。  このままここにいたら駄目だ。踵を返して、勢いよく休憩室へと走り出した。 「……あー、意味わかんない、マジで」  誰もいない休憩室のソファーに倒れ込むと、どうにか昂ぶった熱を抑えようとする。だけど、そこかしこに煙草の匂い。音八先輩の気配を感じて、よけいに鼓動が早くなる。  別に音八先輩のことなんて好きじゃないのに。童貞みたいにドキドキしてるとか意味わかんないんですけど。俺が好きなのは四信先輩ただ一人だろとクッションに顔を埋め、眉根を寄せる。  ああ、もう! セブンスターの匂いがぷんぷんする! 「なーにしてんだよ、本郷。俺の歌、そんなに良かったわけ?」  休憩室の扉が開いた音で、勢いよく体を起こしてソファーの端っこに座り直す。さっきまでの艶はどこへやら、全身にやる気のなさを纏った音八先輩は煙草を口に咥え、ドカッとソファー腰を下ろした。  熱がゆっくりと収まっていく。ああ、よかった。さっきのは気の迷いかと胸を撫で下ろし、音八先輩を見つめる。 「音八パイセンなにしてんすか」 「なにって休憩だよ休憩」 「音八パイセン仕事してないでしょ」 「さっきのも仕事のうちだよ」 「ていうか音八パイセンってバンドマンなんですね、知らなかった。意外すぎでしょ」  ふぅー、音八先輩が煙を吐いた。やっぱり甘くて苦い。でも、今日は特別苦いように感じた。 「……まぁ、一応バンドマンだけど。俺のせいでどうにもうまくいってねぇ」 「え? どうして。さっきのワンオク、すげぇよかったのに。良すぎて」  良すぎて勃起しました、とは言えない。「良すぎて泣くかと思いました」言葉を濁すと、音八先輩はどこか苛立っているように眉根を寄せる。  俺、なんか変なこと言った? 勃起したと言えばよかったわけ? 馬鹿正直に言ったら食われそうだし、言えるわけないでしょ。  ぐしゃぐしゃと赤い髪を掻き乱した音八先輩は、じっと俺を睨む。これが、おうちゃんが感じた怖さだろうか。俺は怖いとは思わない。音八先輩の真っ黒い瞳が、なにか訴えているように俺を見つめている。視線を反らすことができず、思わず音八先輩の髪に手を伸ばした。  あ、ごわごわ傷んでる。手入れちゃんとしたほうがいいっすよ、ボーカリストなんだから。今度元気な時は言ってやろうと思いながら、ぽんぽんと撫でた。  俺が四信先輩にそうされて救われたように、音八先輩のことをほんの少しでも救えたらいいと、気がついたら頭を撫でていた。

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