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三本目は覚悟を

 音八先輩のフェラでイッてしまって以来、変な空気になると思ったのに、まったくそんなことはなかった。  バイト先で音八先輩に会っても通常運転のやる気のなさ。仕事の途中でも気に入った客がいれば、男だったら抱かれ、女だったら抱く破天荒具合。  そのくせ、受付で二人きりになると「あー、このちんぽ、ぜってぇ気持ちいいだろうなー、尻が疼くわ」と俺の股間を揉んだりするけれど、それだけだ。それ以上のことはしてこない。ただのセクハラ。セクハラですよと思いながら、音八先輩の熱い口の中にぶちまけた俺が言えた義理じゃない。股間を揉む音八先輩の手をべしべしと叩いて「はーい、真面目にバイトしてくださいねー」とへらへら笑うしかなかった。  冷静に考えてみると、あの日ちいちゃん経由で音八先輩とちるちるが知り合ったのか、と聞いてしまったせいで、音八先輩が俺にセクハラするようになった気がする。まるでちるちるとの関係性をごまかすように、フェラをしたとしか思えない。俺だったらへらりと笑ってごまかすけれど、そこは音八先輩だ。バイト中でも男に跨り腰を振るビッチだ。「そこにちんぽがあれば咥えるし、ハメる。それがビッチだ」なんて真顔で言ってのける音八先輩だ。笑ってごまかすことはせず、セクハラをしてごまかすのだろう。  あー、もう、なんで俺、音八先輩のことばっか考えてるんだ? どこで道を踏み外した? 俺、このままどこへ向かえばいいのだろうか。進んだ先は崖っぷちな気がしてならないんですけど!  ロッカールームで着替えてからパイプ椅子にずるずる座り込む。早く家に帰らなきゃと頭ではわかっているのに、力が入らない。体力はありあまっている。精神的にどっと疲れた。 「……あー、いやされたい」  四信先輩と話して癒されたいなぁ。ロッカールームに俺しかいないことを確認し、スマホを取り出す。他人から覗き込まれた時、四信先輩がピンの写真があったら変に思われるだろうから、一枚もない。そのかわり、みんなでわちゃわちゃしている写真はたくさんある。  ニカッと歯を見せて笑う四信先輩を指で触れ、拡大する。あー、癒される。可愛い。好き。いつだって俺に元気を注入してくれる。  この間、四信先輩からラインが来たと思ったら「旺二郎が少しだけ心開いてくれた!」と可愛すぎるメッセージで震えた。俺に報告してくれることが嬉しい。「このままおうちゃんの心の扉開いちゃいましょう!」テンション高く返信をしてから、二人でなんてことない話で盛り上がった。 「今晩のおかずでも物色してんのかぁ? 相変わらずちゃんしーパイセンにお熱だなぁ、本郷くんは」  ガタッ! パイプ椅子から立ち上がり、スマホを隠す。音もなくロッカールームに入って来た音八先輩に思いきりスマホを覗き込まれていた。 「……おかずじゃないっすよ、ただ癒されてただけ」  おかずにしたことはあるけど。もちろんあるけど! 今は眩しい四信先輩の笑顔に癒されていただけ。 「じゃあ俺が癒してやろうか」 「音八パイセンは癒し系じゃなくていやらし系でしょ」 「言えてるなぁ。で、なんでお前は疲れてるわけ」  あんたのせいですよ、あんたの!  とは言えず「もうすぐ六月だからっすかねー、雨が多くて憂鬱的な? いやー、梅雨とか最悪って気分っす」とまったく思ってもいないことを口にする。音八先輩は嘘だとわかっているのだろう、にやにやと笑いながらロッカーを開け、制服を脱いでいく。  びっくりするほど細い体だ。まともな食生活を送っているのか心配になるほど。バンドマンは刹那的な生き方のほうがいい音楽が作れるのだろうか。それにしても、誰彼構わず股を開くビッチなくせに、その体にはキスマークのひとつもない。自分は相手を支配するけれど、相手には自分を支配させたくないのかもしれない。 「なーにじろじろ見てんだよ、シたくなったか」 「そんなわけないでしょ、あんたビッチなわりにキスマークひとつもないと思って」 「俺の体は商品なんだよ、そんなもんつけさせてたまるかよ」 「商品?」 「音速エアラインのボーカルっていう商品だからな」  音八先輩はロングシャツを羽織り、スキニージーンズを履くとロッカーを勢いよく閉める。そうして、俺のほうをまっすぐ見つめてきた。いつものやる気のなさはどこへやら、その黒い瞳には真剣な決意が灯っている。  ああ、この人、すっげぇバンドを愛しているんだ。セックスよりも、ずっとずっとバンドを愛している。それだけ愛しているのに「俺のせいでどうにもうまくいってねぇ」と言ったのは、どうしてだろう。 「バンド、すっげぇ大事なんすね」 「は?」 「だって、音八パイセンの目、いつもと違う」 「そうだな、音速エアラインはなによりも大事だ。でも、けっきょく俺も、本郷と一緒で肝心なところで足踏みしてるくそだせぇ男だ。あの日の後悔が煙みてぇにまとわりついて離れねぇ」  あの日の後悔ってなに?  ぽろりとこぼしてしまったのだろう、音八先輩は首を横に振り「なんでもねぇ、さっさと帰るぞ」と俺の腕をぐいっと掴んで来た。  あ、これってあの日と一緒だ。俺がちるちるとの関係性を聞こうとした時と同じ。きっと、俺に踏み込まれないためにごまかしている。  音八先輩って俺と似ている。少しだけ親近感がわいてしまった。

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