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三本目は覚悟を_02
音八先輩と一緒にカラオケを出ると、ふと向かいのカフェに視線をやる。ガラス張りのカフェだから、ついついバイト帰りに見てしまう。パンケーキがおいしいと女の子に話題にもなり、元カノが俺のことを待っていたらどうしよう、なんて怯えながら。
「あれ、ちいちゃんじゃん」
とびきりの美形が浮かない表情をしていると、なんと絵になるのだろう。憂い帯びたルビーの瞳でコーヒーを見つめるちいちゃんは、カフェにいる女性の視線を独り占めしていた。彼氏と一緒にいる女の子ぐらいは彼氏を見てあげてと言いたくなる。彼氏そっちのけで目がハートになってるよ。彼氏たち泣かないでね、ちいちゃんの美形っぷりが反則なだけだからね。
「千昭? マジだ、あいつ練習前にカフェでコーヒー飲んでんのかよ優雅なやつ」
「優雅つーか、憂い帯びてるっすよ。ちるちると仲直りしたと思ってたんだけどなー」
四月のいつからだろうか。忘れてしまったけれど、ちるちるの運転手がちいちゃんから違う人に変わった。いっくんと「もしかしてちいちゃん振られた?」「千昭さんの愛が重たすぎたのかな」と心配していた。だけど、いっくんの誕生日の翌日、ちるちるの手の甲に赤い花が咲いていた。さすがちいちゃん、情熱的だな。みんなの目に見えるところにつけるのが独占欲強めなちいちゃんらしいといっくんと笑っていたのに。
ちいちゃんを一喜一憂させられる人間は、ちるちるしかいない。だから、ああも沈んでいるのはちるちるとなにかあったとしか思えない。
「……あの女、また千昭といやがる」
「え? あの女って?」
「あのブリュネットの美女だよ、練習終わるとあの女と消えるんだけど、練習前もあの女と一緒にいんのかよ」
音八先輩の視線を追う。カフェのトイレに行っていたのか、豊かなブリュネットの髪を揺らした褐色の美女がちいちゃんのとなりに腰を下ろした。ちいちゃんはちっとも嬉しそうな顔をしないけれど、その女の髪を撫でる。まるで弱みを握られているかのように、ちいちゃんの表情は暗い。
「みち……白金の坊ちゃんといる時とぜんぜん表情違うじゃねぇか。この世の終わりみてぇな顔しやがって。なのに、なんであの女といるんだ? あの女が現れてから、千昭がすっかり抜け殻なんだよ。前からやる気ねぇやつだったけど、デビューしたら坊ちゃんといる時間が少なくなるのが嫌だからっていう我儘さでやる気ねぇだけだったのに、今は違う。マジで抜け殻、坊ちゃん不足すぎて気力がでねぇんだろうな」
いつものらりくらりとして、人の弱みをぐりぐり容赦なく抉るのが大好きな音八先輩が、真剣に怒っている。ちるちるのことを『白金の坊ちゃん』ではなくて『三千留』と呼んでしまいそうになるほど、取り乱している。それだけ、音八先輩にとってバンドが大切なのだと伝わって来た。それと同じくらい、もしかしたらバンド以上に、ちるちるのことが大切だということもわかる。
「俺もちゃんしーパイセン不足で気力がないからわかる……うわぁ、公共の場なのに濃厚すぎでしょ、ちいちゃんマジでつらそう」
ブリュネットの美女がガラス張りのカフェだというのに、ちいちゃんにキスをする。がっつり濃厚なほうを。ちいちゃんはやっぱり苦しげに眉根を寄せ、それでもゆっくり目を閉じた。
音八先輩の言うとおり、ちるちるといる時とはまるで違う。ちるちるの頬へキスをするちいちゃんはいつだって楽しげだ。ちるちるへの愛が止まらないとにこにこ笑っているちいちゃんのことが、俺は大好きだ。だけど、今のちいちゃんはちっとも楽しそうじゃない。
「……ねぇ、音八パイセン、俺ね、ちるちるのことすっげぇ大事なんだ。音八パイセンもそうでしょ。ちるちるとちいちゃんが恋愛関係にならなくてもいいから、二人にはずっと笑っていてほしい。だから、今の二人はだめだよ。なにか、俺たちがしてあげられないかな」
音八先輩の腕をぐいっと引っ張る。
ちいちゃんを食い入るように見つめていた、いや、睨んでいた音八先輩が俺のほうへ向き直る。
「お前、今から時間あるか」
「まぁ、あとは家帰って寝るだけっす」
「つーことは暇だよな、よし、来い」
「へ? どこに?」
「イイトコだよ」
にやりと音八先輩は口角を上げ、カフェの前を通りすぎていく。
言い方がいちいちやらしすぎでしょ! ラブホとか無理ですよ俺制服着てるから! 天下の百花の制服を!
きっとこれ以上なにを言っても無駄だ。音八先輩はそういう男だ。こうなったらやけだと音八先輩の手を握り返す。
「おっ、すっかりやる気じゃねぇか。いいぜ、とことん愛してやるよ」
いつもと同じやる気のない表情。だけど、声だけはやけに艶っぽい。ドキッと胸が締めつけられ、ごまかすようにそっぽを向いた。
「音八パイセンの愛はノーセンキューです」
「つれねぇやつ」
あんたこそ、つれねぇやつでしょ。愛してやると言いながら、きっと誰も愛していない。
その言葉を飲み込む。これじゃあまるで音八先輩のことが気になっているみたいじゃないかと打ち消すために、首をふるふると横に振った。
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