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三本目は覚悟を_05
「あー、曲聞きたかったのになー。一曲も聞かせてくれないとかマジでドイヒーっすよ」
「俺は別にいいんだけど、ハヤトがくそ真面目だからなー。ま、今度聞かせてやるよ」
練習するかと四人が盛り上がったところで、隼人さんに「おい七緒、お前帰れ。明日も学校だろうが」とくそ真面目な発言。一曲ぐらい聞きたいと暴れる前に音八先輩に首根っこを掴まれ「こいつ、駅まで送るわ」とスタジオからつまみ出されてしまった。
スタジオから駅まで驚くほど近いから送らなくていいと言ったのに、音八先輩は「煙草吸いたかったから」と煙草を咥えながら歩く。たぶんそれは口実で、案外音八先輩は面倒見がいい。
「とりま、ライン交換しません? 練習日程教えてくださいよ、差し入れ行きたいし。俺、敏腕ジャーマネなんで!」
「ジャーマネってなんだよ、つーか、俺たちライン交換してなかったっけ」
「してないっすよ。他の先輩たちとはしたけど、音八パイセンだけはしてないっす」
「マジか。ライン交換より先にフェラするとかうけるわ」
ぜんぜんうけないですけどね! もうそのことは忘れて!
思わず眉根を寄せながら、IDを交換する。スタンドマイクを握った音八先輩の写真がアイコンに設定されていて、ラインを交換していたらすんなりバンドマンだと納得できただろうなと笑った。俺なんかタピオカミルクティーを飲んでいる没個性のアイコン。タピオカミルクティーは嫌いじゃない、むしろ好きだ。だけど、SNS映えするからというきっかけで飲み始めた自分が嫌いだ。
「ねぇ、ちるちるがパトロンってなんなんすか」
スマホをブレザーの内ポケットに入れ、音八先輩を見つめる。音八先輩はふぅーと煙を吐いてから、少し黙る。ちるちるのことを聞くといつもそうだ。どうごまかそうか考えるために音八先輩は少し黙る。
「坊ちゃんの冗談だよ」
「ちるちるは冗談みたいな本気を言うけど、パトロンは冗談みたいな本気でしょ」
「坊ちゃんは、俺たちにとってパトロンで、最終兵器で、救世主で、そんでもって王様で――特別な存在だ。いつも助けられている。だから、今度は俺たちが助けてやりてぇ。そんだけだ」
いつになく真剣な口調だ。それでいて、家族を思う男のような優しい声色。ああ、そんな声もだせるのかと驚いて音八先輩の横顔をじっと見つめてしまった。
「んなことより敏腕ジャーマネになるんだよな? それなら俺たちの動画、全部見ろよ。あとで送る。結成時の青くせぇ俺から今のクソみてぇな俺も全部ちゃーんと見とけ。そんで、これから本気になる俺に惚れとけ」
音八先輩の細い人差し指が俺の胸を突く。ついでにウィンクを飛ばされる。さっきの音八先輩と同じでは芸がないから、へらりと微笑んでウィンクを手で払いのけた。
「ちゃーんとこの両目で見るけど、惚れません。俺、好きな人いるんで!」
「千昭みてぇに当たって砕けりゃいいのに」
「いやー、ちいちゃんのあれはマジですごい。俺だったら死んでる。タフっすよねー」
俺は、四信先輩のとなりで笑っているだけでいい。満足――なふりをしている。たいしてちいちゃんは「ミチル愛してるよ」「ミチル、また美しくなったね」砂糖をどれほど固めたらそうなるのか、とびきり甘い台詞を囁いている。あの低くて甘い声で愛を囁かれたら、女の子なら一瞬で落ちる。だけど、ちるちるはちいちゃんの心を受け入れない。「一人の男である前に王だ。誰かのものにはならない」ちいちゃんだけではなく、頑なに誰かの告白を受け入れたりしないのだ。
ねぇちるちる、一人の男である前に王ではないよ。王である前に、一人の男でしょ。そう言ってあげたいのに言えないのは、俺も一人の男である前に『本郷家の長男』として、『空気が読めるチャラ男なっちゃん』として振舞ってしまうからだ。
情けないなぁ、俺。音八先輩の覚悟を目の当たりにしたら、一歩踏み出せるだろうか。
「そうだな、大事なやつに言葉で殴られると人は簡単に死ぬ。マジで脆い。俺は、俺の言葉で母親を殺した。あの後悔を忘れることはできねぇ」
まるで天気の話をするかのように、音八先輩はさらりと言った。
音八先輩の言葉でお母さんを殺した? それって、バイト終わりにロッカールームで言っていた『あの日の後悔』のこと?
なにを言えばいいのかわからず、どんどん先へと進んでいく音八先輩の細い背中を見つめる。
ねぇ、俺はあんたにどれだけ踏み込んでいいんですか。あんたは勝手に踏み込んでくるけど、俺はあんたに踏み込んでいいんですか。
「だから本郷、てめぇも後悔しねぇほうがいいぞ。言葉つーのは、人を生かすことも殺すこともできる」
くるり、音八先輩が俺のほうへ振り返る。すっかりいつものやる気なさげな表情をしていた。ああ、これ以上踏み込むなってことだろうと察した。
「そうっすね、俺はちゃんしーパイセンに生かされた人間なんでわかる気がする。俺は、ちゃんしーパイセンに救われて、幸せっすよ」
「嘘つけ。幸せじゃねぇだろ」
ぐさり、音八先輩の刃が心臓に刺さる。
俺のことまで殺しにかかっているのか、それとも。音八先輩の真意がわからない。だけど、怯むわけにはいかない。歯を食いしばってでも笑ってやる。
「好きな人に、好きになってもらうことが幸せって言うなら俺はいっしょう幸せになれないけど、だけど、俺はそれでいいって決めたんすよ。ちゃんしーパイセンに救われて、憧れて、好きになって、それだけでいい。もうこれ以上望めない。これは俺の覚悟なんで。音八パイセンになんて言われようと、俺は、ちゃんしーパイセンだけには、嫌われたくない」
笑ってやると決めたはずなのに、緑のカラコンで武装した瞳からぼろぼろ涙がこぼれた。夜でよかった。音八先輩以外、誰も俺が泣いていることに気がつかない。
唯一気がついている音八先輩は「おい泣くことかよ」とぎょっとして、慌てふためく。今日は珍しい音八先輩をたくさん見られた気がするなと泣きながら笑いそうになる。
「泣いてねぇっすよ。すっげぇ笑ってる!」
ぐっと音八先輩の胸ぐらを掴んで、顔を寄せる。音八先輩は慌てて煙草を携帯灰皿に入れ、俺の頭をぽんぽんと撫でた。この間は俺が撫でてあげたのに、ちょっと悔しい。だからといって、俺は音八先輩にキスで反撃したりはしない。歯を食いしばって笑うことしかできない。
「お前の歯を食いしばって笑うとこ、くそダサくてけっこー好きだぜ」
俺はこんな自分が大嫌いですけどね!
心の中で叫びながら「あざーっす」と笑っておいた。つられてふっと笑った音八先輩からは、相変わらずセブンスターの匂いがする。今日は、ほんの少し甘く感じた。
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