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四本目は救いを

 音八先輩に音速エアラインの動画を送ってもらった日から、目覚めの一発として朝に見るのが日課になっていた。朝に見るのは、夜寝る前に見たらテンション上がりすぎて眠れなくなったからという馬鹿な理由だ。  一代目音速エアラインの初めてのライブは、音八先輩が高校一年生。今のやる気ゼロな音八先輩とはまるで違う。気だるげな空気感はもちろん纏っているけれど、歌うことが好きで好きでたまらない。楽しくてしょうがないとスタンドマイクを握る手から、歌声から、暴れっぷりから伝わってくる。どうしようもなく荒削りだけれど、それをカバーできる熱量があった。  だけど、音八先輩の言うとおり、一代目のベースは実力不足だ。ルックスは悪くない。襟足長めの金髪、切れ長の明るい茶色の瞳。ベースを弾く姿だけはそれなりに絵になるが、それだけだ。二代目のちいちゃんにかわると、音速エアラインは急激に進化を遂げる。  一番よかったのは、高校三年生の卒業ライブ。ちいちゃんとの連携もとれ、音速エアラインの全盛期とファンから称されるのも納得の仕上がり。このライブをきっかけにデビューしたっておかしくない――だと思ったのに、それ以降わかりやすいほど失速。  ボーカルの音八先輩は完全にやる気を失い、ベースのちいちゃんは手を抜いている。音八先輩いわく、ちいちゃんはデビューしてしまったらちるちるといる時間が少なくなるから、手を抜いているらしいけれど、それなら音八先輩はどういう理由でやる気がなくなったのだろう。母親を殺した後悔のせいなのか? ライブ映像だけでは、その原因は伝わってこない。わかるのは、ギターの隼人さんとドラムの空さんたちの圧倒的な熱量のズレ。  そのズレを、音八先輩とちいちゃんは修正しようと今もがいている。いつかちるちるが言っていた「一生懸命働く者の背中は美しいぞ」の言葉の意味がようやくわかった気がする。今の音八先輩とちいちゃんの背中、サイコーに格好良い。 「変わりたーい、でも変われなーい」  もそもそベッドの中で音速エアラインの動画を再生すると、自然と口ずさむのは『あるオトコのウタ』だ。音速エアラインの低迷期に音八先輩が作詞作曲したその歌は、まるで俺のことを歌っているようだ。  変わりたい でも変われない  変わらなきゃ 口で言うのは簡単なんだ  今日も足踏み そんな自分が大嫌い  サビのフレーズを聞くたびに、どうしようもなく涙がでる。思春期の悩める青少年がミュージシャンの曲を聞いて「これ俺の歌じゃん」と泣いちゃう現象が、この俺の身に起こるとは思わなかった。しかも、音八先輩の歌で。でも、この曲はもちろん俺のことを歌っているわけではなくて、音八先輩自身のことを歌っている。 「……なんなんだろーな、この人は」  苦しげに、切なげに、眉を寄せて歌う音八先輩を眺めてため息を吐いた。  今日は体育祭だというのに、こんな気分でどうする。勢いよくベッドから飛び起きて、全身鏡の前で笑顔を作った。うん、今日も俺の笑顔はパーフェクトだ。 「いっくん、めっっちゃにやにやしてるよ」  ちるちるとおうちゃんが借り物競走に出場するためにいなくなった隙に、いっくんに詰め寄る。  この一週間、ずっと死にそうな顔をしていたいっくんがトイレから戻ってきた瞬間から光り輝いている。女の子の視線が釘づけになるほど。 「三千留と七緒にしかわからないレベルでしょ」 「うん。カズちゃんとなんかあった?」  カズちゃん――おうちゃんのお兄ちゃんで、古典教師の神谷一志(かみやかずし)先生は、いっくんの思い人だ。電車の中で痴漢されているカズちゃんを助けて以来、毎朝一緒に朝ごはんを食べて通学をし、夜は夕飯をともにする。生徒と教師の関係とは思えない親密っぷりだけど、二人はつき合っていない。  俺からしてみたら、好きな人にぐいぐいいけるいっくんはあまりに眩しい。学校ではただの生徒と教師のふりをしている姿さえ、羨ましい。家でだけ特別な顔が見られるなんて、ぐっとくる。 「三千留が一志さんと二人きりにしてくれたおかげで、やる気でた。今日の僕は一味違うよ、僕自身のために本気でリレー走るって決めた。だから、七緒は一位をキープして僕までバトンを繋いでね」  自分のために走る、そう言ったいっくんの黒い瞳は眼鏡で覆われていてもわかるほどキラキラ輝いていた。今まで何事も二番を貫いてきたいっくんが本気で走る、そうさせたのはきっとカズちゃん。  いっくんは恋をしてこれほどキラキラ輝いているのに、どうして俺は馬鹿みたいに苦しんでいるのだろう。四信先輩に救われたはずなのに、いまだ海の底にいるみたいに息が上手にできない。 「うん、ぜったい一位を死守するから。いっくんも一位をキープして、ちゃんしーパイセンに繋いでよ! トップバッターはバスケ部エースあゆさんな時点で勝ち確だけど、油断は禁物!」 「手も早いけど足も早いよねあの人」 「いっくんってば、相変わらずあゆさんに対して辛らつぅー」  リレー練習顔合わせの際、いっくんはあゆさんに対しても朗らかに接していたけれど本人がいないところではものすごく冷めている。ザ優等生対応。  今も、アリーナでストレッチをしているあゆさんを冷めた黒い瞳で見つめている。  いっくんはあゆさんとは対極にいる。基本的に理性を重視し、優等生を貫くいっくん。本能の赴くまま生きているあゆさん。まさに水と油だ。そのうえ、あゆさんはちるちるにとって特別な存在だから面白くないのだろう。いっくんは大人のようで、その実子どもっぽいのだ。

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