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四本目は救いを_05

「別に本郷をのけもんにしてるわけじゃねぇぞ。あの女、カルメンはマジでやべぇ女だから、お前を巻き込むわけにはいかねぇっていう千昭の優しさだよ」 「そんなにやべぇ女なんすか」  俺にはちいちゃんのことが好きで好きでたまらない美女にしか見えなかった。  音八先輩はチラリとちいちゃんを見る。お前の口から話せとばかりに。ギターを弾いていた隼人さん、ドラムを叩いていた空さんも手を止めてちいちゃんに視線を移す。その空気感から、ちいちゃんの事情をわかっているのは音八先輩だけ。だけど、音八先輩もすべてを知っているわけではなさそうだ。 「そうだなぁ、俺のことが好きすぎて俺を殺そうとしたくらいにはやばいかな」  ちいちゃんは笑って言うけど、まるで笑えない。俺も、隼人さんも絶句。空さんは「恋する女の子って怖いよね!」と頷いているけど、そこ頷くところじゃない。どんな女の子と付き合ってきたのと問い詰めるのはあとにして、ちいちゃんのルビーの瞳を見つめた。 「まぁ俺のことはどうしたって構わないけど、ミチルを殺そうとしたことだけは許せそうにない――だけど、ミチルはきっとカルメンを許すと思う。だから、俺もカルメンを許したい。そもそも、彼女を狂わせたのは俺自身だからね。俺が蹴りをつけないといけない」  ブリュネットの美女――カルメンさんがちいちゃんの心を独占しているちるちるを殺そうとするのは、当然かもしれない。女の子は浮気した男ではなく、浮気相手の女の子に怒りを露わにする。カルメンさんもきっとそうなのだろう。  昔からちるちるが誘拐されて来たことは知っているけれど、『白金の子』だとか『金髪青い目の美少年』としてではなく『ちいちゃんの心を独占した男』として命を狙われたなんて知らなかった。きっといっくんも知らないはずだ。もしかしたら、話すつもりはないのかもしれない。ちるちるは王様だ、俺たちに心配かけないようにいつも配慮して生きている。 「千昭はやべえもん抱えてる気がしてたけど、三千留さんも壮絶だな。音速エアラインとして、できるかぎりのことしてやるよ。だから、千昭、てめえは早く歌詞を完成させろ! 曲はさらっと完成したくせに、歌詞はまだできねえのかよ、歌詞は」  沈黙を破ったのは、音速エアラインのリーダーである隼人さん。確かに曲はあっさり完成させたのに、ちいちゃんは歌詞は「うーん、おりてこない」なんて悩んでいる。音速エアラインの作詞はほとんど音八先輩で、曲は隼人さんだ。たまに音八先輩も作曲するし、隼人さんが作詞することもある。だけどちいちゃんと空さんの曲はひとつもない。ちいちゃんは「曲を作る時間があるならミチルを愛したい」と全力で拒否してきたらしい。 「それな! 音ちゃんみたいにダサい歌詞でいいんだからさー」 「ソラさりげに俺をディスんじゃねぇ!」 「まぁ確かにオトヤの歌詞はダサいけどそこがいいよね」 「わかりみー俺も音八パイセンのくそダサい歌詞好きっすよー」 「俺の歌詞がだせぇって大口叩くならてめぇらが書け!」  ぎゃあぎゃあ騒ぐ音八先輩の肩を叩いてなだめていると、ちいちゃんが大きなため息を吐く。美形ってため息を吐いても絵になるとかずるい。 「どう頑張ってもミチルへ愛を囁くだけの歌詞になっちゃうんだよね。それだとカルメンになにも響かないだろ? だから苦戦してるんだよね」 「千昭だから殴れねぇけど、千昭以外が言ったら確実に顰蹙買う台詞だな。まぁ歌詞のことなら俺に手伝わせろよ、どちゃくそおしゃれにしてやる」  俺たちにさんざんダサいと言われてムキになっているのか、音八先輩は「とりあえず思いついた単語書け!」とちいちゃんの胸ぐらを掴んで作業を再開する。その二人を見て、隼人さんと空さんも練習を始める。  スタジオに音八先輩の怒声が、ちいちゃんの唸り声が、ギターをかき鳴らす音が、ドラムを叩く音が響く。なんて贅沢な時間なのだろうとぼんやりしがちだけど、これではいけないと熱中しすぎる四人に休憩を促したり、ミネラルウォーターを持って行ったり、俺ができることを必死で探す。  この時間が最高に楽しい。楽しいけれど、きっと俺は現実から逃げている。おうちゃんと四信先輩が仲良くなりつつある現実から。 「変わりたーい、でも変われなーい」 「本郷は『あるオトコのウタ』が好きなわけ」 「え、もしかして俺今口ずさんでました? めっっちゃ無意識っす」  こわいなーと笑いながら、音八先輩と一緒に駅まで向かう。音八先輩も「マジ怖ぇ」と笑い、煙草をふかす。  夜が更けると隼人さんに早く帰れとせかされ、音八先輩が駅まで送ってくれる。バイトの話や音速エアラインの話、くだらないことを話しながら二人で歩くこの時間は嫌いじゃない。 「俺の歌かよーーって思ったんすよね。ねぇ、音八パイセン、卒業ライブのあと、なんかあったんすか。あのライブ以降、目に見えて音八パイセンにやる気がない。お母さんを殺したことと関係あるんすか」  いつもなら踏み込まない領域。だけど、今日は踏み込みたくなった。四信先輩に踏み込めないかわりに、音八先輩に踏み込んでいるのかもしれない。最悪な男だなと自分に笑い、音八先輩の横顔を見つめる。音八先輩は俺に視線を合わせることなく、小さく笑った。

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