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四本目は救いを_06

「すげぇな、さすが敏腕ジャーマネだな――卒業式に行く前に母親と喧嘩した。わかりきっていたけど、お互い口ではぜってぇ言わない、言っちゃいけねぇことを、売り言葉に買い言葉みてぇな感じで母親に言って、家を出た。そん時は家に帰ったら謝るかって思ってたのに。卒業式終わって、卒業ライブやって、すっげぇ盛り上がって、ぜってぇデビューするぞって青くせぇことみんなで言って夢を語って……家に帰ったら、母親は息をしてなかった。薬を飲んで、それでも死ねなくて手首を切った末の自殺だった。ああ、俺、言っちゃいけねぇこと言ったんだな、母親を死に追いやるほどの言葉だったんだって、その時ようやく理解した。あの日から、俺が夢を見たらいけねぇ、デビューなんてしていいはずがない、そう思ってたんだけどなぁ」  どうしよう、俺が泣いていいわけないのに。涙が止まらなかった。音八先輩が淡々と、なんてことないように口にしている。だから、泣いちゃいけないんだと歯を食いしばって笑おうとするけれど、唇が震える。  音八先輩がゆっくり俺を見つめた。今まで見たことがないほどに優しい瞳。必死に笑おうとしている俺に音八先輩は軽く噴き出して「ブサイクな顔」と俺の頬を撫でた。びっくりするほど優しい手。ベースを弾き始めたせいか、指の皮がむけていた。  一見努力なんてしませんとやる気なさげなくせに、他人に興味ありませんと冷めてみえるのに、音八先輩は優しい。きっと、ちるちるはそのことをよく知っている。知っていて、俺と音八先輩を引き合わせてくれたのだ。 「……お前の、本郷の言葉で本気になってやるかって思えた」 「お、れ、なんか言いましたっけ」 「三千留と千昭のためになにかできないか、そう言っただろ。二人にはずっと笑っていてほしいとも言ってたよな。俺もそうだ。三千留に笑ってほしくて、歌ってたんだって思い出した。お前のおかげでまた前を向こうって思えた。母親を殺した後悔は一生消えねぇけど、だからこそ生きているかぎり本気で歌おうって思った。ずっと同じとこで足踏みしてるてめぇが、俺を変えたんだよ。お前にとってはぽろっと口にした言葉だろうけど、その言葉が死んでいた俺を生き返らせたんだよ」  音八先輩は俺の胸を小突いて、前を向いて歩き出す。  俺にとっては、なんてことのない言葉。ただちるちるとちいちゃんには笑ってほしい、なにかしたいと思ってぽろっと口にしていただけ。ただの思いつき、責任なんてちっともない軽い言葉。そんな俺の言葉が、あの音八先輩を変えた? 俺なんかが、誰かを変えられるなんて思わなかった――ああ、そういえばちるちるも言っていたっけ。 「お前は知らないかもしれないが、俺だってお前に救われているんだぞ」  きっと俺にとっては些細な言葉、だって俺はちるちるを救った記憶なんてない。いつだって、ちるちると仲良く話していただけ。だけど、その言葉はちるちるにとっては救いになっていたのだろう。それが照れくさくも、誇らしい。  ぼろぼろ流れる涙を手の甲でごしごし拭い、音八先輩のとなりに並ぶ。セブンスターの匂いが鼻を掠める。もうこの匂いにもすっかり慣れた気がした。 「ねぇ、さっき白金の坊ちゃんって言ってなかったこと気づいてます?」 「……マジ? 忘れろ」 「忘れませんよ! 俺にとって、さっきの音八パイセンの言葉は救いみたいなものだから!」 「じゃあてめぇの頭の中で白金の坊ちゃんに変換しとけ」 「無理っす! つーか、本当はちるちるのこと名前で呼んでるんすか」 「あー、うるせぇ、口塞いでやろうか」  さっきまでの優しい瞳はどこへやら、音八先輩は煙草を指に挟むと俺に煙を吹きかけてくる。  確かにセブンスターの匂いには慣れた、慣れたけども! 煙吹きかけるのやめて! 「さっきまでのやさしー音八パイセン返して!」 「残念だったな、それは幻だ」 「ぜったい現実! リアル!」 「現実から目逸らしてるてめぇに言われたかねぇんだけどぉー」 「うっ! 音八パイセン容赦ねぇっす」  わざとらしく胸を抑えると、音八先輩は声を上げて笑う。現実から目をそらしている現状に満足はしていないけれど、たった一人、音八先輩の前では嘘をつかないでいられる。自分自身にさえ嘘をついていた俺が。一歩前進しているような、していないような、すこぶる気分がいいのは確かだ。 「そーいや音八パイセンって百花だったんすね。学園祭ライブ見てビビったっすよ、うちの制服着てんじゃんって! ちいちゃんだけクーロンなのも衝撃」 「メジャーデビューしたら凱旋ライブしてやるか、千昭はお上品な顔してクーロンつーのがギャップあるよな、あいつ多分番長だったと思うぜ、凄むと怖ぇもん」 「細く見えてマッチョだしね!」  音八先輩、隼人さんに空さんは百花、ちいちゃんは不良男子が集まるともっぱらの噂である九龍(くりゅう)男子高校出身だとライブを見て知った。俺にはずいぶん大人に見える四人にも、高校生の頃があったのだと映像を見て改めて感じた。 「凱旋ライブ、マジで期待してますからね!」 「まぁ、期待されすぎても困るけど、されねぇのもつまんねぇし、ほどほどに期待しとけ」 「ほどほどとか無理っす! 全力で期待します」 「てめぇ暑苦しいな。口塞ぐぞ」 「ノーセンキューっす!」  音八先輩の冗談に満面の笑みを返した。「いい笑顔するようになったじゃねぇか」音八先輩のその言葉に、ほんの少しだけ自分を好きになれた気がした。

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