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五本目は痛みを_02

「あー……疲れたぁ」  さんざん歌って踊って、隙をついてトイレまで駆け込んだはいいものの、正直言って帰りたくない。  四信先輩とおうちゃんが一緒に帰ってきて、これで四信先輩を見ながら癒されようと思った。だけど、その考えがとんでもなく甘かった。 「旺二郎ー、お前なに歌う?」「旺二郎より俺と一緒にデュエットしたほうが楽しいぜ!」「そろそろ席替えな! 旺二郎、こっち!」  たぶん、俺じゃなかったらそれほど気にならないであろう些細な一言。四信先輩はおうちゃんが困っているとさり気なく助け、フォローする。そのたびにズキズキと胸が痛む。なんとか必死に笑顔を作り、見ないふりをしようとした。見ないふりをしようとすればするほど、視界の端に入る四信先輩とおうちゃんの姿が気になる。  ねぇ、いつの間に二人は距離を縮めたの? 俺の知らないところでなにがあったの? 「……おうちゃんの絵、すごかったなぁ」  ぽつりと呟いて、鏡に映る自分の顔を見る。情けなく嫉妬している男が、そこには映っていた。  美術の授業で『スポーツ』をテーマにしたスケッチを描くため、おうちゃんと一緒に体育館へ行った。四信先輩とあゆさんたちが絶賛バスケ中で、それはもう格好良くて惚れ直した。スケッチという目的で来たことを忘れ、俺は四信先輩を見つめていた。  だけど、おうちゃんは違った。新品のスケッチブックに一心不乱に四信先輩の絵を描いて、描いて、描き尽くし、ついにはすべてのページを四信先輩で埋め尽くしていた。四信先輩の特徴をしっかり捉えて躍動的。今にも動き出しそうな迫力。なにより、おうちゃんが楽しく描いていることが絵から伝わってくる。  そのあとおうちゃんは、四信先輩に絵を一枚あげていた。四信先輩の喜びようを目の前で見たくなくて、逃げるようにそっと二人のそばから離れてしまった。  音八先輩は覚悟を決めたというのに、俺はやっぱり変われない。変わりたいのに。 「独り言言うとは末期だな」 「えっ?! 音八パイセンなにしてんすか!」  音八先輩の声が聞こえ、思わず鏡を見つめる。俺の背後ににやにや笑っている音八先輩が映り、思いきり振り返った。  あんた、なんでここにいるんだ。今日ライブでしょ? 「今上がりでこれからライブの準備」 「今日シフト入ってなかったっすよね」 「俺のシフト把握してんのかよ、やらしー本郷くぅん」 「敏腕ジャーマネですから!」 「はっ、そうだったなぁ――今日のライブは特別だからこそ、いつもと同じようにバイトしたかったんだよ。だから、店長に頼んでねじ込んでもらった」  音八先輩はいつもどおりやる気なさげな顔をしている。だけど、いつもどおりに振舞っているだけだと俺にはわかる。だって、俺も今『チャラくて可愛い後輩キャラのなっちゃん』らしく振舞っているから。  そっと、音八先輩の指先に触れる。音八先輩は驚いたように一瞬黒い瞳を見開くけれど、すぐにいつもどおりやる気なさげに「なんだよ」と呟いた。せいいっぱいやる気なさそうにしている音八先輩がおかしくて、小さく噴き出してからその手を握りしめる。 「ベース、すっげぇ練習したんすね。すっかりベーシストみたいな指」 「ベース初心者の指の間違いだろ。マジでぜんぜんうまくなんねぇわ。千昭はマジすげぇよ、本気のあいつは俺の存在食っちまうからな」 「あー! ベースがちいちゃんに変わった時の学園祭ライブやばいっすよね、ちいちゃんが一番目立ってた」 「自分が言うならいいけど本郷に言われると腹立つわ」  腹立つと口にしながらも、音八先輩は笑っていた。少しずつ音八先輩の緊張が解れていくのがわかる。俺なんかが音八先輩を楽にしてあげられている。俺でも、誰かの役に立てるのだと嬉しくなる。 「で、お前はなんで死人みてぇな顔してんの」 「え」 「好きなオトコとられたみてぇな顔、してんぜ」  視線を音八先輩から鏡へと映す。  さっきも思ったけれど、どこまでもしょぼくれた顔だ。トイレから一歩でたら、いつもの笑顔を作れるだろうか。あの部屋に帰って、また楽しそうに歌って踊ってタンバリンを叩けるだろうか。視界の端に四信先輩とおうちゃんが映ってしまえば、またトイレに逃げ込みたくなるかもしれない。 「……今、ちゃんしーパイセンたちと合コンしてるんすよ」 「ちゃんしーパイセンがオンナにとられそーなわけ」 「女の子じゃなくて、俺の親友に」 「白金の坊ちゃん? 黒髪眼鏡御曹司? 褐色国宝級イケメン?」 「その中なら褐色国宝級イケメンっす」  ちょっと的確なあだ名で笑える。小さく笑みをこぼすけれど、気分はまったく晴れそうにない。 「褐色国宝級イケメンくんは、ちゃんしーパイセンのこと苦手だったんすよ。だから、二人が仲良くなってくれたら嬉しいなーってのんきに思ってたら」 「予想以上に二人が仲良くなって嫉妬してるってわけか、クソだせぇな」  グサグサ、音八先輩は容赦なく俺の心臓に言葉というナイフを突き刺す。遠慮がなさすぎていっそ清々しい。  いつからか、この人のナイフに動じなくなった気がする。突かれたくないことを突いてくるけれど、それは全部俺が情けないゆえに起こっていること。突かれて当然なことだからだろう。

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