28 / 47
六本目は祝福を_02
「うわー、いっくん、けっこうやったねー。おっさん、ほっぺためっちゃ腫れてるよ」
ちるちると共にエレベーターに乗り、スイートルームへ。部屋の前で倒れている男性を見下ろすと、頬が腫れ上がっているのは酒のせいではないだろう。
このおっさんどうしよっか? ちるちるにそう聞こうと振り返ると、ちるちるは美しい顔にあからさまな不快感を浮かべていた。
「こいつ……百花の理事会のセクハラ男じゃないか」
「えっマジ?」
ちるちるは思いきり顔を歪め「理事会に代理出席した時にこの男にべたべた体を触られた。離婚の原因も同性相手にセクハラをしたせいだと聞いたしな――もっと早くに手を打てば良かった。そうしたら、こんなことにはならなかったのに」苦しげにため息を吐いた。
俺たちのちるちるに、きっとカズちゃんにも、この男はなんてことしてくれるんだ。ムカムカ、イライラ、怒りが急激に沸き上がり、その勢いのままにスマホを取り出した。
音を出さないで写真が撮れるアプリを起動すると、倒れている男を何枚も撮影する。本当はこんな男撮りたくはないけど、『酒を飲んで迷惑行為を働いた男』として父に知らせるためには一番手っ取り早い。この写真を父に送りつけたらそっこーで消そう。この男が俺のスマホに入っていると思うだけで不快だ。
「こいつを今後本郷リゾート出禁にするよ。俺の大切な人たちを傷つけたんだから当然の報いだよね」
「さすが俺様の見込んだ男。七緒が出禁なら、こちらは理事会を追放し、今後一切一志に近づかないように監視下に置くとする」
「ちるちる俺よりよっぽどえげつない!」
へらりと笑いながらも、怒りは収まりそうにない。父に写真とメッセージを送り、スタッフにも「廊下で暴れて倒れた客がいるから、回収してほしい」と連絡を入れる。よし、さっさと写真を消してしまおうと一気に消す。記憶からも消し去ることができたらいいのに、それはどうにもできないけれど、俺ができることはこれで完了。あとはスタッフがこの男を回収してからいっくんに連絡するだけだとスマホをスーツの内ポケットへしまうと、ちるちるに腕を掴まれた。
「どーしたのちるちる」
「本日の主役がそんな顔をするな。この男のいく末を見届けたら、俺様の部屋に行くぞ」
ふに。ちるちるの白くて細い指が俺の頬を摘む。
笑っているつもりだけど、やっぱり幼なじみ。偽りの笑顔なんてお見通しだ。
「えっ、会場戻らなくていいの?」
「あそこにいたって七緒にとってなんの益にもならん。お前はもっとしたいことをして生きろ」
ちるちるは何度も俺に、俺たちに「したいことをして生きろ」と言ってきた。そのたびに俺は「やだなぁ、俺はしたいように生きてるよ」とかなんとか言って誤魔化してきた。十五年間、そうやって生きてきた。どう考えてもクソダサい。十六年目のスタートを切る今日という日さえも、そうやって誤魔化すつもりなのかと自分に問いかける。
「ちるちる、俺「七緒様、お待たせして申し訳ありません。三千留様もいらっしゃいましたか」
一歩踏み出そうとした瞬間、さっき連絡をした昔からよく知る男性スタッフが数人のスタッフを引き連れて駆けつける。なんで今なんだよと思いながら、顔だけはへらりと笑い「待ってないからぜーんぜん大丈夫、来てくれてありがと」ぽんぽんと男性スタッフの肩を叩く。
「この客、かなり泥酔してるみたい。他のお客様にも迷惑行為を働いたっぽいから、父さんにも連絡して出禁にしてもらうことにするよ」
「そうですね、このお客様は他のお客様からの評判が良くありませんでしたし、スタッフにも迷惑行為を働いていて私共も困っていたところなので」
なんてはた迷惑な男なんだと顔を歪ませていると、スタッフたちがのん気に寝ている男を抱え上げる。嫌な顔ひとつせずに運んでくれるからさすがプロだ。
「みんないつも嫌な役回りを押しつけてごめんね、ありがとう」
スタッフたちに頭を下げ、ゆっくり顔を上げる。一人一人の顔を見つめ「これからも本郷リゾートをよろしくね!」にっこり微笑みかける。
年下の俺にたいして敬語を使うのも腹が立つだろうに、そういうことだって顔に出さない。本郷リゾートで働く人たちを小さい頃から見て、俺はたくさんのことを学んだ気がする。
「私共にもったいないお言葉です……スタッフ一同、七緒様の気遣い、心配りにいつも助けられています。こちらこそありがとうございます」
今度は俺が深々と頭を下げられる。
大人の建前かもしれないけれど、今の俺には驚くほどしみわたった。ずび、と鼻をすする。泣いてはだめだと眉根を寄せているとなりにいたちるちるの腕が肩に回る。
「スタッフに愛されているじゃないか。だが、俺も七緒を愛しているぞ。そのことを忘れるな」
もちろん、忘れるわけないじゃん!
ガバッとちるちるに抱きつくと、スタッフたちはみんな笑顔になる。みんな、俺とちるちるが子どもの頃からひっついて一緒にいることを知っている。その笑顔はきっと建前じゃなくて、心からの本音。これこそ、俺が学ぶべき笑顔だとみんなの顔を見ながら思った。
ともだちにシェアしよう!