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六本目は祝福を_04
「俺、ちょっとバルコニー行ってくる!」
「いってらー、音ちゃんと仲良くね!」
生クリームを指ですくい上げぺろりと舐めてから、バルコニーへと向かった。
みんながわいわい騒いでいる中、音八先輩は一人バルコニーで煙草を吸っていた。いつも見慣れている横顔のはずなのに、知らない人のように思えて、声をかけることをためらってしまう。
「どーした本郷。主役がこんなとこいていいのか」
「ちょっと風に当たりたくて」
「ふぅん――なんか、甘い匂いすんな」
くんくん、音八先輩は鼻を動かす。咥えていた煙草を指に挟んで、俺のほうにずいっと顔を近づけてきた。
甘いって、ああ、ケーキか。そういや、音八先輩は一口も食べずにバルコニーに行ったっけ。
「ケーキっすよ。音八パイセンも食べたいんすか? しょうがないなぁー、持ってきま」
すべて言い終わる前に、音八先輩が俺の唇に吸いついてくる。なんの前触れもなく、色気ゼロのそれは振り払うのも馬鹿らしくなる。まぁ、一度したことあるし、二度目も一緒かと目を瞑ると音八先輩がふはっと笑った。なんでそこで笑うかな、俺まで笑いそうになるじゃん。眉根を寄せると、ふぅーと唇の隙間から音八先輩の息が吹き込まれる。あ、セブンスターの香りだ。
かぷり。音八先輩に唇を噛まれ、ゆっくり離れていった。音八先輩は子どもみたいな無邪気な顔をして、俺の顎を痛いほど強く掴む。
「さっきなんで笑ったの」
音八先輩の手の甲を抓り、顎から退けさせながらじっと見つめる。音八先輩の黒い瞳はなにを考えているのか、さっぱりわからない。
「や、キスする時律儀に目瞑るのかよって思ったら笑えた。カーワイイなぁ、おい。お前あれだろ、ちゃんと電気消してセックスするタイプだろ。見た目はチャラいくせに、どこまでも根は真面目だな」
完全に馬鹿にされている気がして腹が立つけれど、おっしゃる通り俺はセックスの時に電気を消す派だ。女の子が消してと言っても、言わなくても、消す。それは気遣いの意味もあるけれど、薄暗くすることによって自分を誤魔化す。今抱いているのは四信先輩だと――電気を消したことで、自分を誤魔化せたことなんて一度だってないけれど。
「そーっすよ、セックスの時はちゃーんと電気消しますよ。でもそれは真面目だからじゃないし」
「ちゃんしーパイセンじゃねぇからか」
「あんた、マジで抉ってきますよね!」
ねぇ! 俺! バースデーボーイなんですけど! 忘れたんすか?!
がくがく音八先輩の肩をわざとらしいほどに揺すると、音八先輩は声を上げて笑う。今日はやたらと上機嫌な気がするのは、気のせいだろうか。
「音八パイセンもしかして機嫌いいっすか」
「どうだろうな、まぁ、お前にそう見えるならそうじゃねぇの」
「なんか哲学的っすね」
「ミュージシャンだからな」
「歌詞はクソダサいですけど」
「うるせぇ」
音八先輩の足が俺の脛を軽く蹴ってくる。
だから、俺バースデーボーイなんですけど!
さっきからそればっかりわめき散らしている気がして、そう言うたびに音八先輩は笑っていた。
夜の風が頬を撫で、セブンスターの香りが鼻をくすぐる。この匂いを纏っていない音八先輩は、音八先輩ではないと感じてしまうほど似合っていた。
「音八パイセンってやっぱ中学生くらいから煙草吸ってんすか」
「は? んなわけねぇだろ、十八からだよ」
「えー意外。意外って言うのもあれだけど。中学生くらいから吸いまくってるもんだと思ってた。なんで吸い始めたんすか。恋人の影響とか?」
口にしてから『それはないな』と自分にツッコミを入れて、音八先輩を見つめる。さっきまで楽しげに笑っていた音八先輩は眉根を寄せ、ふぅーと息を吐いた。セブンスターの香りがゆっくり広がる。
「恋人じゃねぇけど、人の影響なのは確かだ」
「俺、地雷踏みましたか」
「俺はわざと踏むけど、お前は空気読みすぎた挙句の果てに踏むタイプだよな――母親が吸っていた銘柄なんだよ、セブンスターは」
最悪なタイプじゃないっすかと笑ってやろうと思ったのに、空気がガラリと変わった。
「母親と一緒に住んでた家、もう引っ越したんだけど、セブンスターの匂いがこびりついてたんだよ。母親が死んだ時も、灰皿に何本も吸い殻があって、今でも血の匂いとセブンスターの匂いが俺の体にこびりついてる気がしている。そんなわけねぇのにな……なんつーか、セブンスターを吸うと母親がまだ生きているような気がして、つい吸っちまうんだよなぁ。ま、吸い始めた理由はただの現実逃避ってやつ。クソだせぇだろ。坊ちゃんにやめろやめろって言われてるのに、やめられねぇ。はー、マジいつになったらやめられるんだか」
音八先輩は煙草が好きで吸っていると思った。『母親』を求めてセブンスターを吸っているなんて、俺を泣かせにかかっているのだろうか。
母親が亡くなった、その上自殺。正直言って俺にとっては「なにそれドラマ?」と思ってしまうほどに非現実だ。両親ともに健在だし、姉も元気で結婚していて、姉の旦那は将来本郷リゾートを継ぐかもしれないと言われているし、俺の家族はかなり幸福だ。それなのに、いつも世界で一番不幸せなのは俺的な気分でうじうじしている。クソダサいのは音八先輩ではなくて、俺だ。
ぐずぐず、鼻をすする。あー、泣くな俺。泣くなよ、泣きたいのはいつだって俺じゃなくて音八先輩だろ。
「俺が、音八パイセンのセブンスターになりますよ」
は? 俺なに言ってんだ?
とっさに口からでた言葉は、どうやっても口の中には戻せない。どう誤魔化そうかと視線を彷徨わせていると、音八先輩は手を叩いて大爆笑。バースデーボーイへのあたりひどくない?
「あー……クソ笑った。お前マジでサイコーだわ」
涙まで流し始めた音八先輩に恥ずかしさやら怒りやらで肩が震える。
この人といるととことん振り回されっぱなしだ。だけど、音八先輩のとなりにいる自分は嫌いじゃない。
「音八パイセンマジでドイヒーだわ」
「それは笑うだろ、だって俺のセブンスターってなんだよ、口寂しくなった俺にキスでもしてくれるってか? お前、けっこー俺のこと好きだろ。そのうちちゃんしーパイセン追い抜くんじゃねぇの」
「それはないっす」
「即答かよ」
「まぁ、実際はわかんないっすけど。今後誰を好きになることがあったとしても、俺にとってちゃんしーパイセンは特別な人だから。永遠のヒーローみたいな。あんたはヒーローよりヴィランズっぽいっすね」
「そういうてめぇはヴィランズの部下Cだな」
「AでもBでもなくてCって!」
ゲラゲラ笑い飛ばすと、音八先輩は俺の指から煙草を取り上げて携帯灰皿に入れる。二本目を吸うのだろうかと眺めていると、顎を思いきり掴まれた。
「俺のセブンスターになってくれるんだろ?」
ゆるく口角を上げた音八先輩に小さく頷いて、音八先輩が笑うとわかっていながらぎゅっと目を瞑る。だけど、音八先輩の笑い声は聞こえてこない。どうしてと薄く目を開ける。音八先輩の黒い瞳は優しい色を浮かばせ「俺もけっこーお前が好きだぜ」唇を重ねた。セブンスターと生クリームが混ざり合う苦くて甘いキスだった。
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